132、再会2
イヴリーズはふらふらと歩み寄ると、その顔をつかむように両手で挟む。ランディスは気まずそうに視線をそらしたが、抵抗はしなかった。
記憶の中にある、まろやかな曲線によって形作られていた面差しは影形もない。すっかり大人の青年らしい、直線的なすっきりした輪郭へと変っている。しかしよくよく見れば、瞳の色、形などは確かに自分が知るランディスの名残があった。
死んだと思われていたユイルヴェルトが現れたことで、「もしやランディスも……」という期待はあったが、まさか本当に健在で、妹の従者をしているなど思いもしなかった。
だが同時に納得もいった。カレンディアの突然の成長と台頭――かつて完全無欠な皇子と言われていた、ランディスと手を組んでいたならあり得ない話ではない。
ランディスは四年前に火事に巻き込まれたはずだが、その肌には傷一つなかった。イヴリーズは事件の後、ただ一度だけグリスウェンと共にランディスを見舞っている。血のにじむ包帯で覆われた顔は見ることはできなかった。だがすえたような傷と薬の混ざった独特の臭いは、火傷の悲惨さを物語っていた。あと数日早く自分が帝都へ戻れていれば、という後悔と共に、今も記憶に深く刻まれている。
今考えれば、あの火事はランディスとユイルヴェルトの企てであろうが、傷は間違いなく本物だった。他人を癒すことのできるイヴリーズは子供の頃から、悲惨な怪我の現場には何度も立ち会っている。あれが偽物でないことは、自分が一番よくわかっていた。
「どういうこと……?」
どんな名医であろうと、あれほどの火傷を完璧に治すことなどできない。張りのある肌に傷の痕跡など微塵もなく、イヴリーズは困惑していた。
ランディスが観念したように語り出す。
「ドーレキアに行っている間に、俺にも『祝福』があることに気づいた。……俺の『祝福』も傷を治せる癒しの力だ。でもイヴと違って自分しか治せない」
「何よそれ、ずるい。私は自分の怪我は治せないのに!」
恨みがましく睨みながら、イヴリーズは腹立ち紛れにランディスの頬に爪を立てた。ランディスは困ったように眉尻を下げ、かすかに苦笑した。その不器用な笑い方は確かに馴染み深い弟の物で、イヴリーズは胸を詰まらせる。
「お前は薄々気づいていたんじゃないか?」
ランディスがグリスウェンに向き直る。
意外な言葉に、イヴリーズは驚いてグリスウェンを見やる。
「いや、気づいていたというより……」
グリスウェンは顎に手を当て、戸惑うように言う。
「ただ、どこかで見たような気はしていた。カレンの従者だったから、前々から気にはかけていたんだ。――それで、馬上槍試合でお前と戦った時、ようやくランと剣や槍の稽古をした時のことを思い出した」
「ああ……あの派手に落馬してたの。そういえば、あなただったわね」
その指摘に、ランディスが少しむっとしたように横を向く。
「底意地の悪い仕掛け方とか、何度振り払っても喰らいついてくるしつこさとか……でも、まさか当人だとは思わなかった」
「お前も誰それ構わず、真っ向勝負を仕掛けてくる所がまったく変わってない――と、言いたいところだが……強くなったなスウェン。もう馬上では、俺はお前に勝てそうにないよ」
少し悔し気なランディスの台詞に、グリスウェンの茜色の瞳が揺らぐ。彼が子供の頃から、ずっとその一言を欲していたのをイヴリーズは知っていた。
同い年でありながら、幼い頃のグリスウェンはランディスから剣の稽古で一本も取ることができなかった。悔しさのあまり陰でこっそり涙しながら、一人でもくもくと剣を素振りする姿を見たことがある。
ランディスとグリスウェンは兄弟であると同時に、親友であり、誰よりも負けられない好敵手でもあった。そこにはイヴリーズですら立ち入れない絆があり、子供の頃はそれが少し羨ましかった。
四年前の事故に誰よりも心を痛め、その日は二度と来ないと覚悟しながらも、ランディスと再会できる日を、誰よりも望んでいたのは間違いなくグリスウェンだ。
「……本当に、ランなのか?」
「そうだ」
すがるようなグリスウェンの問いに、罪悪感のせいか、ランディスは視線も合わせずにうなずく。
「そうか……戻って来たんだな」
グリスウェンは子供の頃のように、屈託のない笑顔をランディスに向ける。それを見たランディスがようやく固い表情を解くのが分かった。
(……あっ)
イヴリーズはふと思い至った想像に、そっと身をひるがえした。窓際のティーテーブルがある場所まで後退する。
そこには三人が話している隙に床を這い、その場で力尽きたらしいユイルヴェルトが転がっていた。床に伏したままうなっているが、あれだけ蹴られた割に大きな怪我はないようなので、放っておくことにした。
イヴリーズが椅子に座ると同時に、グリスウェンが親し気な素振りでランディスの肩に手を置いた。その手が鋭く肩に食い込む。グリスウェンはすっと目の下に皺を刻んだ。
「……ん?」
一瞬呆けたランディスの頬を目掛け、グリスウェンが体を捻り思い切り拳を見舞った。予期することも避けることもできず、頬を殴られたランディスが、吹っ飛ばされて床を転がる。思わず感心するくらい、腰の入ったいい殴打だった。
口の端から血を流し、よろめきながら半身を起したランディスが、愕然とした表情をグリスウェンに向ける。
「スウェン……?」
グリスウェンは四年ぶりに再会となった兄を、冷ややかに見下ろしながら問う。
「それで? お前、一体どのツラ下げて戻って来たんだ?」
「……やっぱりね」
イヴリーズはうんざりしながら、小さく独りごちた。
グリスウェンは陽気で人当たりがいいが、その裏で恐ろしく自尊心が高い。そこからくる呆れるほどの意固地さを、ここ数か月の間にイヴリーズも嫌と言うほど思い知らされた。さんざん心配していた相手に実は騙されていたと知った今、彼が激高するは当然だった。
グリスウェンは乱暴に上着を脱ぎ捨て、完全に臨戦態勢に入っている。対してランディスの顔にもすでに動揺はなく、自分を殴りつけた弟に鋭い視線を向けていた。イヴリーズの記憶にあるランディスは冷静沈着に見えて、その実は激情家だ。生まれ持った性分などそうは変わっていまい。弟から売られた喧嘩を、彼が買わないはずがなかった。
「――あなたたち、ほどほどにしておきなさいよ」
一応二人に声はかけてみたが、イヴリーズの言うことなどまるで耳に入っていない様子で、互いに睨み合っている。
確執を清算するにはこの方法が一番手っ取り早く、後腐れもないだろう。イヴリーズとしても本気で止める気はなく、長子の立場として『言うべきことは言った』という体裁が欲しかっただけだ。
イヴリーズはテーブルで頬杖をつくと、焼き菓子が置いてある皿を引き寄せる。従者のジュゼットが見たら苦言を呈されそうだが、もはや皇子や皇女の品格など問題ではないので、開き直ることにした。
二人は馬上槍試合でもいい勝負だった。先ほどのユイルヴェルトのように、どちらかが一方的にやられることはないだろう。後は当人同士の気の済むまで、黙って見守ろうと決めた。