131、再会1
それはカレンたちが部屋へ到着するより、小一時間ほど前の事だ。
宮殿の一室で軟禁状態にあったイヴリーズは、やってきた女官に別の部屋へ移動するように促された。要件は「これからお会いする方に聞けば、お分かりになるかと……」としか言われなかった。途中の廊下でグリスウェンと行き合ったが、彼も事情は知らないようで、二人で首をかしげながら部屋へと着いた。
そこは幼い頃、皇妃である母たちや兄弟姉妹が集った、皇帝一家専用の談話室だった。大人になってからは、あまり馴染みがなかったので少し懐かしかった。父は時々、ここで子供らが遊ぶ様子を眺めながら、妻たちとお茶の時間を過ごし、ゆっくりと語り合っていた。
部屋の中に入ると、なぜかソファーで堂々と足を組んでくつろぐユイルヴェルトと、その彼を仁王立ちで見下ろす、グリスウェンほどではないが背の高い黒髪の青年がいた。
人の気配に青年がちらりと顔を向ける。それはカレンディアといつも行動を共にしている、ロウラントとかいう名前の不愛想な従者だった。
彼がなぜここにいるかも疑問だったが、今日はいつもと態度も違う。この従者は主以外の皇子皇女に形ばかりの礼節は保っているが、どこかいつも不遜な空気をまとっていた。
めったに人の悪口を言わない、イヴリーズの従者ジュゼットですら「あの方は苦手です」と言っていた。自分が襲撃事件で不在の間、何かロウラントと揉めたらしい。はっきり言って、イヴリーズの心証は良くない。
そして今日は挨拶すらしてこない。そればかりか部屋に入ったイヴリーズたちを見て、面倒くさそうに小さく舌打ちまでされた。
最初は呆気に取られていたが、その態度に段々怒りが込み上げてくる。そもそもこの男が護衛としての務めを果たしていれば、カレンが大怪我を負わなくて済んだはずだ。一言物申してやりたかったが、その前にさらに腹立たしい存在の方が気になった。
ユイルヴェルトを睨みつけると、彼は涼しい顔で「とりあえず姉上たちも座りなよ」と声をかけてきた。父ディオスから『ユイルヴェルトとは後々よく話し合うように』とは言われていたが、仮面舞踏会以来の再会だ。自分たちを窮地に陥れた後ろめたさなど微塵も感じさせない、実にふてぶてしい態度だった。
もはや一発殴らなければ気が済まないと、イヴリーズは拳を震わせ歩み出そうとしたところで、グリスウェンに止められた。
「指を痛めるから拳はやめろ」だの、「せめて話を聞いてから」だのあれこれ説得されたが、最終的に「頼むから、腹の子のために興奮しないでくれ」と懇願され、渋々承諾した。
イヴリーズとグリスウェンが、ユイルヴェルトの対面に座り、その傍らにロウラントが立った。三対の恨みがましい視線を受けても、けろりとした表情のユイルヴェルトは肩をすくめて言った。
「僕があの場に介入してなかったら、姉上たちはベルディ―タ皇妃に告発されていたんだよ」と。
ユイルヴェルトは語った。
心を病んでいたベルディ―タは、しばらく前から怪しげな薬に手を出すようになっていたと。すでに妄想や幻覚に取り付かれるほど、精神を蝕まれていて、もはや何をするかわからない状態だった。ユイルヴェルトが彼女の側で動向を探っていた時、イヴリーズとグリスウェンの話が耳に入った。
ベルディ―タは仮面舞踏会の最中、観衆の前で皇女と皇子を密通の罪で告発することを企てていた。世間には死んだものとされている、ユイルヴェルトに止める手立てはなく、それならば自分が先んじて告発し、二人に血の繋がりがないことまで明かしてしまえば、姉弟で通じた罪だけは逃れられると思った、と。
「もちろん二人には悪いとは思ったよ。でもベルディ―タ皇妃に、花を持たせるのだけは避けたかったんだ。どさくさに紛れて僕も正体も明かせば、多少は醜聞も紛れるだろう? ま、その前にスウェン兄上が自分で告白しちゃったわけだけど。でもほら、自分の身を挺して姉上を庇った形にはなったから、兄上には同情の声も上がってるみたいだよ。結果的によかったじゃないか」
目の前の三人が怒りを通り越して、無表情になっていることにもめげず、ユイルヴェルトはぬけぬけと言う。
(……せめて平手打ちくらい、許されるわよね)
話を聞き終えたイヴリーズが密かに決意を固めていると、それまで無言を貫いていたロウラントが口を開いた。
「なぜ俺に、一言相談しなかった?」
「言ったら、あなたは自分が泥を被ろうとするだろう? そんなのカレンに悪いじゃないか」
「それがお前の答えか? あくまで自分の身勝手を、カレンのためだとのたまうんだな」
怒気を孕んだ低い声に、さすがのユイルヴェルトも怯んだのか、語気が弱くなる。
「……いや、だって、まさかあの子が刺されるとは――」
ロウラントが一歩進み出たと思った瞬間、目の前にあったローテーブルが跳ねあがった。ユイルヴェルトがテーブルを抱えるように、ソファーごと後ろに倒れる。
テーブルを蹴り上げた足を静かに下ろし、ロウラントは倒れたソファーの後ろに回った。もはや言葉は必要ないとばかりに、床でうめくユイルヴェルトを無言のまま蹴り上げる。
「ま、待って――」
床を這い、制止の声を上げたその秀麗な顔を、ロウラントは容赦なく蹴りつける。続け様に、まるで砂袋でも扱うような無情さで、身を縮こまらせるユイルヴェルトの頭を踏みつけた。
その光景にしばらく茫然としていたイヴリーズも、さすがに我に返る。
「や、やり過ぎよ!」
同じく呆気に取られていた、グリスウェンが慌てて立ち上がる。
「おい、やめろ!」
グリスウェンがロウラントを羽交い絞めにして引き離そうとするが、それでも彼はユイルヴェルトを蹴ることをやめない。
「もうよせ、本当に死んでしまうぞ!」
「お前はすっこんでろ!!」
皇女に仕える従者とは思えぬ、どすの利いた声にグリスウェンが唖然とする。
グリスウェンがロウラントを抑えている隙に、ぼろぼろのユイルヴェルトがさらに距離を取ろうと床を這う。
「……おい、こら。なに逃げてるんだよ。まさかこれで済んだと思ってるのか?」
ならず者のような凄み方に、顔を腫らしたユイルヴェルトが降参を示すように両手を上げて叫ぶ。
「――わかった! もう謝るから! 頼むから落ち着いてよ、ラン兄上!!」
その言葉にイヴリーズは目を見開く。
「……ラン、ディス……?」
イヴリーズの口からこぼれたその名に、拘束から逃れようと、グリスウェンと揉み合いになっていたロウラントがふいに動きを止めた。
黒い瞳――いや、よくよく見れば、深い夜を思わせる濃紺の瞳がイヴリーズに向けられる。驚きと、わずかな恐怖が宿るその瞳を見た瞬間、頭の中でバラバラだった違和感の欠片が組み上がり、事の全貌を悟る。
脱力のあまりイヴリーズは床に崩れ落ちそうになった。なぜ今の今まで気づかなかったのか……。
「嘘、だろう……」
グリスウェンの腕からするりと力が抜けた。拘束から解かれたロウラントは、肩を押さえながらぼそりと言う。
「……相変わらずの馬鹿力だな、スウェン」
それは何とも素直でない、ランディスらしい肯定の言葉だった。