130、宣言
カレンが観音開きの扉を勢いよく開けると、巨大な円卓に着いた人々の視線が一斉に集まった。外から開くはずの扉が開いたのだから当然だ。呆然と目を見開く者、いぶかしげに顔をしかめる者、肩をすくめ苦笑する者など、反応はまちまちだ。
「ミリー、どうしてここに……」
最初に言葉を発したのは、本来ここにいてはならない孫娘の姿を見た、財務大臣トランドン伯爵だった。動揺する一同とは対照的に、扉の正面に座る皇帝ディオスは表情一つ変えず、机に両肘を付き、顎の前で指を組んでいる。
「――誰がここに入る許可を与えた?」
静かな声音だが、さすがの皇帝の凄みは違う。その威圧感にカレンの背中に冷たい物が流れ、隣にいたミリエルが緊張に身を固くするのがわかった。
声が震えないように、カレンは腹に丹田に力を入れる。
「――私が無理やり衛兵を脅し、押し通りました。どうしてもこの場で申し上げたい儀がございます」
「必要ない。去れ」
皇帝のにべもない言葉に、カレンも二の句が継げなくなる。一歩前に進み出たのはミリエルだった。
「皇帝陛下に申し上げますっ!」
上擦った声だったが、ミリエルははっきりと皇帝を見据えて言った。
「わたくしは、皇太子候補の座から降りさせていただきます」
皇女の宣言に室内がざわつき、 トランドン伯爵が体をわななかせる。
「な、何を言っているのだ!?」
「皇位継承権を返上すると申し上げました。――トランドン伯爵、あなたのこれまでの忠義に感謝いたします」
「ミリー!?」
祖父ではなく、臣下への言葉としてミリエルは告げる。そして結い上げていた髪から、宝玉に飾られた金の簪を抜き取る。絹のような黒髪がさらりと音を立て、背中へと流れ落ちた。ミリエルは緊張した面持ちで一息つくと、鋭くとがった簪の先を高く振り上げた。室内にいた一同が息を呑む。
簪は貴婦人の装飾具であると同時に、いざというときの護身用具でもある。先はわずかに丸めてあるので、重傷を負わせるほどの武器にならない、気休め程度の物だ。ためらえば薄皮一枚貫通できないそれを、ミリエルは渾身の力で自分の手のひらへと突き立てた。喰いしばった歯の奥から、小さく悲鳴が零れたが、ミリエルはやり遂げた。
痛みと興奮に体を震わせながら、円卓の間にいる一同に見せつけるように血が流れる手のひらをかざす。そして隣へとその手を差し出し、カレンを促すように仰ぎ見る。
カレンは包むようにミリエルの手を取ると、流れ落ちる血液に口づけた。一口、二口とゆっくり嚥下する。すぐに血にまみれた口でドレスの袖を引き裂き、ミリエルの手へと巻き付ける。到底すぐ治まりそうもない出血に、カレンは表情を曇らせたが、ミリエルは姉を安心させるようにかすかに笑ってうなずいた。
ミリエルは自分のすべきことを果たした。今度はカレンの番だ。親指で血に濡れた唇を拭うと、カレンは茫然としている一同を見渡し、胸に五指を置き高らかと言った。
「わたくしは紛れもなく皇帝陛下の子。そしてこのわたくしこそが、次代皇帝に誰よりもふさわしいとお知りおきください」
傲慢なほど堂々たる宣告に、室内の誰もが呆気に取られ、言葉を発しない。カレンも反応が欲しくてやったことではないので、別に構わなかった。
そして一同の前でにっこりと微笑むと、足を引いてお辞儀する。
「お話しの中、失礼をいたしました。申し上げたいことは以上でございます」
言ったきり、くるりと背を向け立ち去ろうとすると、声がかかる。
「――待て」
ディオスが二人を呼び止めた。
カレンがきょとんと父を見返す。ディオスは表情一つ変えず、一同の中で際立って体格のいい男に声をかけた。
「近衛騎士団総長」
整えられた髭が印象的な壮年の男が我に返り、正面の皇帝に向き直る。
「はい、陛下」
「カレンディアとミリエルを連行するよう、衛兵に命じよ」
「……御意に」
(まあ、そうなるよね……)
ある程度覚悟はしていたが、案の定大事になった。青ざめて自分を見やるミリエルに、カレンは苦笑いで肩をすくめた。
数十分後、衛兵や女官に取り囲まれて、正宮殿の最奥部に連行されたカレンとミリエルは、ある部屋の前に辿り着く。分厚そうなドアの向こうから、人の話し声が聞こえてきた。
「お入りください」
女官から部屋の中へ入るように促される。
カレンは扉をノックするが返事がなかったので、ゆっくりとドアを押す。中の様子をうかがおうとした瞬間、何かが叩きつけられる音が響き、思わずびくりと肩が震える。
ドアの隙間をそっと覗くと、そこにはなぜかロウラントが床に座り込み、口の端から流れる血を拭っていた。