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元地下アイドルは異世界で皇帝を目指す!  作者: 烏川トオ
第1部 4章 プロモーション
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128、成る




 ロウラントは口元を押さえ肩を震わせていた。込み上げる笑いを堪え切れなかった。痛快さに腹を抱えて笑うなど、何年ぶりのことだろう。それをもたらした本人が見たら、顔を引きつらせていただろうなと思うと、また笑えた。


(……やっぱりあの人は想定の外を行く)

 これまでの鬱屈をすべて吹き飛ばすような高揚感に、背筋がぞくりとした。






 選帝会議当日の未明、帝都郊外のレブラッド公爵家が所有する屋敷にいたロウラントは、突然父からの呼び出しを受け、まだ空が仄暗いうちに宮殿へと入った。

 

 到着するやいなや、正宮殿の一室で監禁状態に置かれ、状況がまるで理解できなかった。用意されていた部屋はさほど広くはないが、応接室の奥が寝室となっていて、今日中に要件が終わらないことを予感させた。食事は差し入れられたが、暇をつぶせるような物は何もない。


 夜中に呼びつけられたこともあり、半ば投げやりに仮眠を取っていたところ、聞き覚えのある声に意識を呼び戻された。それは外から聞こえているのではなく、暖炉や通気口を介して聞こえてくる声だった。滞在する居室は、催しや式典が行われる大広間から遠くない上階だったと気づく。




 カレンの声だとはすぐに気づいた。ただしいつも部屋で適当に口ずさんでいる時の、少し鼻にかかった甘い声ではない。もっと成熟した女性のような、静謐な愁いを帯びた声だ。


 すぐに今話題の歌劇の曲だとわかった。ロウラントもカレンに随行した劇場で聞いたことがある。『狂乱の女王の独唱』――女王を裏切り、その尊厳を踏みにじった者たちへの復讐の歌だ。




 後半の転調から急に曲調ががらりと変わった。女王の怨念を想わせる、魂に叩きつけられるような高音と、底冷えするような低音が乱高下する。


 技量としては未熟な点がなかったわけではないが、その声には不思議と聴き手を世界観に引き込む求心力があった。慈悲と畏怖の念を同時に呼び起こすその荘厳な声音は、女王の風格を完璧に体現している。愛らしくどこか飄々(ひょうひょう)としたカレンに、こんな一面があったのかとロウラントは驚愕した


 内容を考えれば気軽な昼下がりの音楽会に、まして宮殿で歌うにはそぐわない。これは警告なのだとロウラントにはわかった。カレンを愛想がいいだけの小娘と侮り、誇りを汚した者たちへの。




 何があったかは大体想像がつく。選帝会議の行く末と、罪を犯した皇女と皇子の失墜は、貴族たちにとって恰好の話の種だろう。


 カレンにとってイヴリーズとグリスウェンは、両親から得られなかった愛情を与えてくれた存在であり、聖域も同然だ。自分への誹謗は受け流せても、あの二人への侮辱は見過ごせなかったのだろう。




 ロウラントはあえて指摘しなかったが、実のところカレンには皇太子候補として、他の兄弟姉妹より致命的に欠けている点があった。知識などと違い、数か月程度の付け焼刃でどうにかなることではなかった。


 それは皇子皇女なら生まれ落ちた瞬間から、乳母や女官にかしずかれ自然と身につくもの――皇族としての『矜持』だ。


 見るからに居丈高なイヴリーズやミリエルはもちろん、誰にでも人当たりのいいグリスウェンですら、あれでなかなか自尊心は高い。生まれ持った性格で左右される物でなく、他者とは決定的に線引きされたその立場が、人の上に立つ存在としての自覚を自然と促すのだろう。


 身分制度のない、市井暮らしだったというカレンにこれを身に着けさせるのは、一朝一夕でいかないことはわかり切っていた。選帝会議に間に合わせるのは不可能だと。


 実際にカレンは物怖じしない明るい性格から、宮廷の人々に好感を持たれてはいたが、同時に甘い性格と侮られている節は合った。御しやすい、と思わせるのも一つの作戦ではあったので、そこはあえて目をつぶった。カレンには後々で、その場に応じた対応を教えていくしかないと思っていた。




 ところがカレンはここに来て、ロウラントの想像を超える存在となった。


 イヴリーズたちやカレンへの侮辱は、個人の尊厳の問題だけではすまない。皇族としての威光を傷つけることに繋がる。皇族の威光とは帝国の秩序を支える柱であり、そこを甘い顔で見過ごせば、結果的に守るべき人々を窮地に陥らせることになる。カレンはその重要性を教えられずとも、理解していたのだ。


 感情のままに怒りや悲しみをぶつけても、宮廷人たちの嘲笑を買うだけだ。あくまで皇女として冷静に自分の立場を表明し、臣下ならば踏み越えてはならない一線を弁えろと警告する必要があった。


 音楽会の演目として、直接的な言葉は用いることなく、貴族の体面は慮る王者の度量も示して見せた。どこまで計算していたかわからないが、今のカレンにできうる限りの、非の打ち所がない対応だ。


 舐め腐っていた相手に鼻っ柱を折られ、沈痛な面持ちをした貴族たちが棒立ちになっている大広間を想像すると、笑いが耐えられなかった。伸び代がある方が育て甲斐もあるだろうと、カレンは言った。今はそれに返す言葉がない。




 盤上遊戯であるシャスランでは、『歩兵』が敵陣に攻勢をかけ条件を満たすと転身し、最強の駒である『女王』に成ることができる。かつての取るに足らない《ひきこもり姫》もまた、味方を取られながら単騎で攻勢に出て、敵地のど真ん中でついに女王と成った。


 選定会議の結果はもう揺るぎようがない。だが本当の闘いが始まるのはこれからだ。その布石となる、極めて重要な一手をカレンは放った。




 カレンは最も良い場所から、自分の活躍を見せてやるとロウラントに豪語した。その自信過剰な発言に呆れると同時に脱帽する。主がここまでの結果を出したのだ。ならばその期待に自分も応えなければならない。


 ロウラントはひとしきり笑った後、改めて覚悟を決める。

 ――この先何があろうと、どんなことをしてでも、必ずあの人の元へ還る、と。










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