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元地下アイドルは異世界で皇帝を目指す!  作者: 烏川トオ
第1部 4章 プロモーション
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126、攻勢のカレンディア




(……顔、上げなきゃ)


 ここで屈しては、ロウラントに申し訳が立たない。そう思ったとき、カレンの震える二の腕に何かが触れた。絹の手袋に包まれた、細い指先の感触に顔を上げると、そこにいたのはフィンシャー男爵夫人シレナだった。


「カレンディア殿下、ご気分は大丈夫ですか?」

 シレナはこわばった笑顔を向け、カレンを支えるように壁際へと促す。


「貧血のようですわね。私も殿下くらいの年頃には悩まされました」


 ただでさえ内気なシレナは、きっとこういう振る舞いに慣れていないのだろう。緊張に震える声を張って、わざと周囲に聞こえるように言う。若い娘にありがちな体調不良という形で、カレンをその場から助けてくれたのだ。

 

「シレナ様……」


「もう大丈夫ですわ。さあ、ゆっくりお進みください」


 腕に触れる手袋越しのぬくもりに、堪えていたもの溢れるように瞳に涙がにじむ。




 

「殿下、よろしければこちらでお休みください」

 

 静かな場所に行きつくと、一人の青年が椅子を運んできてカレンに勧めてくれた。騎士団でグリスウェンを訪ねた時に見た顔だ。


 椅子に座ると、まだ小刻みに震える手を握るように老婦人が膝をついた。


「まあまあ、お可哀想にこんなに手が冷えて」


「ねえ、誰か暖かい飲み物をお持ちして」


 婦人たちがあれよあれよと集まってきて、肩にショールを掛けたり、暖かいお茶を勧めたり、カレンの世話を焼いてくれる。周囲の視線から守るように、背の高い男性たちがカレンの前にさりげなく立つ。そこには知っている顔も、知らない顔もあった。


(……私、全然見えてなかった)


 向けられる悪意にばかり気を取られ、この優しく勇気ある人々の存在に気づかぬところだった。数多ある美しい物から目を背け、人の粗や失態にばかり囚われているようでは、自分を攻撃する人々と同じだ。不甲斐なさを痛感し、カレンはうなだれる。




「あ、あの――」


 愛らしい声に顔を上げれば、ミリエルよりも幼いくらいの十二、三歳くらいの少女たちがいた。まだ宮廷に上がって間もない娘たちなのだろう。ふっくらとした頬の、童女のような一人が緊張した面持ちで、必死に言葉を紡ごうとしているのがわかった。


「……わ、わたくしたちはカレンディア皇女殿下を尊敬申し上げております」

 一緒にいた少女の友人たちも、同意するように懸命にうなずく。


 この状況でそのたどたどしい一言を伝えるために、彼女たちがどれほどの勇気を振り絞ったかを想像し、カレンは胸を詰まらせる。目頭に込み上げる物を堪え、少女たちにとっておきの笑顔を向ける。


「……ありがとう。私もあなたたちのような、可愛くて勇敢な女の子が大好きよ」


 その言葉に少女たちが顔を真っ赤にして手を取り合い、黄色い悲鳴を上げる。年上の婦人に、「皇女殿下の御前ですよ、静かになさい!」と叱責され、しゅんと縮こまる少女たちにカレンは苦笑して首を振る。


「いいんです。もうだいぶ落ち着きました。皆さんも……ありがとうございます」

 辺りを見渡して言うと、近くに立っていた髭を貯えた男性が笑う。


「娘か妹くらいの若い女性がお困りなら、当然のことです。どうかお気遣いなさらないでください」


 その言葉に、周囲の人々も「そうですよ」と、何ということもないように相槌を打つ。カレンはドレスの胸元をぎゅっと掴む。

 



 この歪んだ宮廷にも、ごく当たり前でいて、そして強く優しい人々はたくさんいる。その姿に自分の中に再び火が灯るのを感じ始める。


 この場にはこびる悪意にもう囚われるつもりはない。だが臆する姿をさらしたまま、終わるわけにもいかなかった。皇女なら目の前にいる少女たちの標であらなければならない。そして、自分を推してくれる人々に希望を与えるのが、帝国の偶像アイドルたる皇帝になるべき人間の役割だ。




 つまらないことをして、とばかりに、助けに入った人々に冷ややかな視線を向ける一団を見やりながら、カレンは傍らにいたシレナ声をかける。


「シレナ様、お願いがあるのですが……確かピアノが得意でいらっしゃいましたね?」


「得意と言えるほどでは……」


 内気で会話下手なシレナだが、音楽会や茶会でその腕を乞われれば、水を得た魚のように伸びやかに演奏するのを知っていた。


「少し私に付き合ってもらえませんか?」


「それは構いませんが……何をされるのですか?」


「ぶちかましに、です。シレナ様」


「……え?」

 貴婦人であるシレナが到底聞いたこともない言葉で答え、カレンは優雅に微笑んだ。











 音楽会という建前はすっかり忘れられているのか、広間の片隅にぽつんとピアノが置かれていた。力任せに鍵盤に両の指を叩きつけると、耳をつんざくような音が響いた。


 その轟音に、辺りの人々は顔をしかめピアノの方を睨むが、無表情でたたずむ皇女の姿を見るや、気まずそうに視線を逸らす。




 カレンは打って変わっていつもの朗らかな表情を作り、人々へ微笑みかける。


「嫌だわ……何か皆様にご披露をと思ったのに、わたくしピアノが弾けないことを今思い出しました」


 一瞬の沈黙の後、白々しい笑いが周囲を包む。


「ま、まあ皇女殿下ったら……」


「ほほ、面白いご冗談を」


 カレンの内から立ち上る剣呑な空気は隠しきれていないのか、人々の表情は硬い。




「皇女殿下、久方ぶりにお歌でも披露いただけませんか?」


「そ、そうですわ。今日は音楽会ですもの」


 沈黙に耐え切れなくなった貴婦人たちが、愛想笑いを浮かべながらカレンに勧める。


「あら、そう?」

 カレンが涼やかな表情で小首を傾げると、打ち合わせ通りにシレナが何食わぬ顔で進み出た。


「カレンディア殿下。よろしければ、わたくしが伴奏をいたします」


「そうね。せっかくの機会ですもの。ぜひお願いするわ」

 



 シレナがピアノの前に座ると、カレンはその横に立ち高らかと告げる。


「――では、ギルデールの『狂乱の女王の独唱アリア』を」

 

 その曲名に周囲がざわめく。

 腹の前で手を組んだカレンが、聴衆に向き直った。シレナの指が鍵盤上を滑るように動き、序奏が奏でられる。











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