124、すべてを見届けた皇妃
イゼルダが含み笑いでカレンに言う。
「――ねえカレンディア殿下、知っていて? うちの愚息はあなたのことをとても愛しているみたいよ」
「あ、はい。そのようですね」
カレンはあっさりと返事をする。
最初の頃はロウラントも参謀の自覚があったかはわからないが、カレンを導く者としてのプライドがあったはずだ。ただ最近はもう諦めたのか、あるいは面倒くさくなったのか、カレンへの思慕を隠そうともしていなかった。
「面倒な子よねえ……。基本的に他人に興味がないくせに、一度執着すると、形振り構わず側に置きたがる癖は陛下と一緒。あれは間違いなく皇家の血筋よ」
「……なるほど」
厳しさと優しさで散々心を揺さぶり、人を利用した挙句開き直り、自ら誓約を迫る。性質が悪いという次元を超えて、カレン相手でなければ犯罪の域だ。
「でもあれも愛の一つの形には違いないわ。――イヴリーズ殿下やグリスウェン殿下もそう。一見涙ぐましい悲恋の恋人同士だけど、あの子たちも本性はランといい勝負よ」
イヴリーズとグリスウェンは互いの手を離さぬため、そして妹たちを閉ざされた未来から救うため、自らの手を汚した。あの二人の愛は間違いなく深く強く――そして傲慢だ。
愛した者を守るためなら、周囲を欺き陥れ、その本人の志すら踏みにじることをためらわない。
あの二人のことは大好きだし、そこまでして守ろうとしてくれたことに感謝もしているが、身勝手な行動に怒りがないわけではない。本音の言うなら、もっと自分やミリエルを信じて頼ってほしかった。
「あの三人は賢いのかもしれないけど、皇帝には向かないわね。いざとなれば、一番大切な物以外全部かなぐり捨てる破滅的な愛は、為政者が携えるべきものではないわ」
手厳しい言葉に、カレンは少し考え込む。
「……イゼルダ様、私はこの国の象徴たる偶像として、たくさんの人に愛し愛されたいと思っているんです」
「あら、殿下は博愛主義なのね」
「どうでしょうか……大切の中にも、家族とか臣下とか優先順位はありますし」
「それはそうよ。皆に平等では、皆に愛がないのと変らないわ」
「それに例えば私は、イゼルダ様のご子息のことが――腹も立つし、時々殴りたいとか思うし、実際に殴っちゃったんですけど……とにかく公私共に一番大切な存在で、大好きなんです」
その言葉にしばしイゼルダが目を瞬かせた後、憐みの視線を送る。
「……ねえ殿下、大丈夫? お疲れじゃない? わたくしも他人のことは言えないけれど、さすがにアレはあまり趣味が良いとは言えなくてよ。……ああ、でも」
イゼルダは少し安堵したように息をつく。
「あの子の湿っぽくて陰険な好意は、普通の女性には重すぎるでしょうから、一方通行でないなら安心したわ」
「私も変わり者なのでそこは大丈夫です。……ですがご存じの通り、私が判断を誤ったせいで、彼を窮地に追い込んでしまいました。私は臣下を守らなければいけない立場なのに……。それは本当に申し訳なく思っています」
「あれは殿下のせいではないでしょう。むしろ――」
「ただ……どうせいつか自力で戻ってくるだろうし、ロウのことは別に放っておいてもいいかなあ、とも思ってるんです」
「それもそうね」
本人が聞いたら憤死しそうな会話だが、いないのでそこは気にしない。
「もちろんロウ以外の人には、そこまで雑な扱いはしませんけど、私は自分や大切な人を担保にしてでも、無謀なことに挑戦しようとする傾向があるらしいんです」
「取り戻す自信があるから、そうなさるんでしょう?」
「そうはそうですが、私の愛だって、やっぱり他の人と同じで身勝手だと思うんです。将来皇帝になる人間として正しいのか、少し自信がなくなってきました……」
イゼルダは少し眉根を寄せて嘆息する。
「……実はわたくしね、今回の件で息子にはとても腹を立てているの。だからあの子の気持ちを代弁してあげたいなんて、これっぽっちも思わないのよ? ――ただランはあなたの存在に、とても救われていると思うわ。今まであの子の世界には、守るべき人間と、それ以外のどうでもいい人間しかいなかったのよ。守るべき人間のために、あの子は自らの可能性を縛り続けていたわ」
「わかる気がします」
イゼルダの話を聞いて、以前ロウラントが自分の過去を少しだけ語ってくれた時のことを思い出す。彼は『信じていたものがまったく違っていた』と言っていた。あれは皇帝の血を継いでいないと知った時のことだろう。
そして『為すべきことを為すために、この人生があると思っている』とも言った。自ら皇太子候補を降りた彼は、兄弟姉妹を救う道をずっと模索し続けていた。その目的があったから、自分の出生の秘密を知っても、ロウラントは自暴自棄にならずに済んだのかもしれない。しかしロウラントの可能性を縛ってしまったことも事実だ。
ロウラントは大抵のことは何でも高水準で器用にこなせる。父の本当の子ではないという負い目がなければ、不本意ながら自分が皇帝になる道を選んだだろう。騎士でも、大臣でも、革命家でも、彼が本気で望めば何にでもなれたはずだ。
「……殿下はね、ランにとって守るべき者であると同時に、背中を預けられる寄る辺でもあるのよ。あなたならどんな困難の中でも凛と立ち続け、自分の帰りを待っていてくれると信じているのね。だから多少無茶をしてでも、ランは思う存分に力の限りを尽くせるの。ずっと自分を押さえ続けてきたあの子にとって、これほど幸せなことはないわ」
自分の存在が誰かを奮い立たせる大義名分となれば――。それはずっとカレンの中にあった想いだ。彼の前で言葉にしたことはなかったが、気づいてくれていたのだろうか。
「だからあなたは自分の従者を信じて、泰然と構えていればいいのよ。確かに身勝手なことだけど、それを必要としている人はいるわ。ランだって殿下が恋しくなれば、その内勝手に戻って来るわよ」
犬か猫のような言い草に、カレンは少し笑う。
「わたくしは選帝会議に口を挟める立場ではないけれど、少なくとも上の三人よりは、カレンディア殿下の方が見込みはあると思うわ。――愛し愛されることを恐れず、堂々とそれを口にできるあなたならね」
「イゼルダ様……」
「これはわたくしの部屋に飾ろうかと思っていたけど、殿下に差し上げるわ」
イゼルダは手に抱えていた、皇妃たちの名前を持つ薔薇の花束をカレンに手渡す。
「……ルテアもディ―タも最初はわたくしの侍女だったの。意外かもしれないけど、真っ直ぐで純粋なあの娘たちが大好きだったわ。だから二人を陛下の妃に勧めたの。それがわたくしの責務で、陛下への恩義に報いる、唯一の方法だと信じていたのよ」
いまだに父であるディオスの人柄はよくわからないが、イゼルダと少し話しただけで、彼女が一番最初の皇妃に任じられた理由はわかった。
おそらくロウラントがカレンを求めたのと同じ理由だ。イゼルダなら陰謀渦巻く宮廷の闇に呑まれず、気ままで朗らかな性質を失わないと、ディオスは信じていたのだ。子は成せないとわかっていても、ただ側にいてくれるだけでよかったのだろう。しかしイゼルダの方が、その見返りを求めない愛に確証が持てなかったのだ。
「だからこういうことは、一方通行じゃダメなのよ」
イゼルダは苦笑して言った。
「わたくしが妃に勧めたせいで、あの娘たちの人生を歪めてしまった。もしわたくしやあの娘たちに、愛に怯むことなく受け入れる強さがあれば、避けられた悲劇だったかもしれない。……カレンディア殿下、あなたはどうか愛し愛される覚悟を忘れないでね」
『ルテア』と『ベルディ―タ』に寄り添う、『イゼルダ』の花束を両手に抱えながら、カレンは「はい」と、うなずいた。
五人の皇妃たちの人生を見届け、そしてこれからも皇家を見守り続けるであろう皇妃は、満足そうに微笑んだ。