121、一人ぼっち
「――先生、教えて。ロウと姉上と兄上はどうなってる?」
フレイはかすかに躊躇したが、カレンの真剣な眼差しに思うところがあったのか語り始める。
「ロウラント様は取り調べのため連行されたと聞いています」
「じゃあ、皇帝陛下の元に呼び戻されたって考えた方がいいね」
「……おそらくは」
ロウラントの今の立場は皇帝も把握していると聞いた。あれほどの騒ぎを起こした以上、表向きは処分を下さなくてはならないだろう。もしかすると『ロウラント・バスティス』という立場で、カレンの元へ帰ることはないかもしれない。
でもロウラントはそうなったとしても、カレンの元へ必ず戻る。年単位の我慢になろうと、彼は決して諦めない。それだけは確信できた。
「イヴリーズ殿下とグリスウェン殿下は、宮殿のどこかに幽閉されているとか――こちらはあくまで女官から聞きだした噂ですが」
「まだ正式な処分は決定してないんだね」
「噂ではアーシェント伯爵家や騎士団関係者が、殿下方への温情を嘆願されているそうです」
「そっか……さすがにお咎めなしとはいかないだろうけど、庇う人が多ければ陛下も考慮してくれるかもしれないね」
カレンは自身の希望と、フレイへの慰めを込めて言った。
「どっちにしろ、その辺の結論は選帝会議の後になるよね……」
選帝会議まであと十日ほどしか残されていない。どんな処遇になろうと、これ以上騒ぎが大きくなることは皇帝である父の本意ではないはずだ。今の時点で、皇位継承権を持つ皇子皇女を処分するよりは、選帝から漏れた『元』皇子皇女への処分とする方が、世間の関心も薄くなる。
「――カレン様、それと……」
フレイがカレンをまじまじと見つめている。その気遣うような視線に不安を覚える。
「カレン様がお目覚めになったと知らせがあったので、しばしの猶予をいただきましたが、実はここに来る直前、私に陛下から直々のお呼びがありました」
「何それ……どういうこと……?」
まさかフレイの秘密がばれたのではとカレンは青ざめる。だがイヴリーズたちもフレイの正体を把握しているのだ。グリスウェンが皇帝の血を継がぬとすれば、本当の父について話しが及ぶのも当然の成り行きだ。
「ど、どうしよう……フレイ先生だけでも逃げないと――」
「カレン様、落ち着いてください。もし私を罪人として扱うつもりなら、衛兵に問答無用で連行されているでしょう。私に陛下の命令を伝えに来たのは侍従官です」
今回の騒ぎから、幼馴染のフレイならルテアの過去を知る可能性があると判断され、呼び出されたということだろうか。それでもカレンは安心できなかった。
「……先生は陛下に何て答えるの?」
「それは――」
言い淀むフレイをカレンも攻めることはできなかった。本音は何を置いても、自分の元へ帰ってきてほしい。けれど彼の実の子であるグリスウェンの危機を前に、そ知らぬふりで口をつぐんでいろなどと、命じることはできない。
「先生……どんな卑怯な嘘をついてもいいからね。それで、どんな結果になっても私が許す」
しっかりと目を見て、そう言うのが精一杯だった。フレイは心得たようにかすかに微笑んでうなずく。
そしてすぐにフレイは真剣な面持ちになり、カレンに告げる。
「――カレン様。あなたはこのまま必ず皇太子にお成りください」
「そっか、もう皇太子候補は……」
事実上、カレンとミリエルのみだ。こうなった以上、イヴリーズが自分の所業を告白するかもしれないが、あと十日ほどでミリエルの名誉と立場が回復するかは厳しい所だ。選帝会議まであと十日の時点で、無傷な候補者はカレン一人になってしまった。
最後まで座を争ったグリスウェンの支持者たちがどう動くかはわからないが、彼らすべてがミリエルに着くとは思えない。軍部関係者はトランドン伯爵を嫌う者も多い。少なくともカレンを支持する、教団の意向は変わらないのであれば、もはや立場は盤石だろう。
カレンは皮肉な笑いをこぼす。
「変なの……案外うれしくないね」
「皆様を心配にされる気持ちはわかります。だからこそ、カレン様が皇太子になるべきです。この状況でも心を屈することなく、現実と向き合おうとしたあなたならば、必ずご兄弟姉妹の助けになれるはずです」
普段ロウラントに苦言を呈されるほど、フレイはカレンに対してひたすら甘いのに、こういう時だけ教師っぽいことを言う。ずるいなと思った。
※※※※※※※※※※
カレンが目覚めてからさらに三日後、自分の離邸に戻ってよいという許可が降りた。結局ロウラントもフレイもカレンの戻ることはなかった。
(一人ぼっちになっちゃったなあ……)
ひさびさに戻った自室は何も変わっていない。離宮は正宮殿から使わされた女官たちによって、何不自由なく整えられている。ただいつもより広く見える、がらんとした部屋の様子に肌寒さすら感じた。
カレンは靴を脱いでソファーに座り膝を抱える。こんな場面を見つかれば、『行儀が悪い』と叱りつける、口うるさい従者の声すら今は恋しかった。
ミリエルもあの日以来訪ねて来ないし、イヴリーズとグリスウェンの動向もわからない。皇帝への謁見も申し出たが、多忙を理由にそれ以上の音沙汰がない。頼るべき臣下も家族も、誰も側にいなかった。
そして、さらにもう一つの別れがあった。
離宮へと戻る直前のカレンの元へ、バルゼルトが見舞いにやって来た。山賊かと見紛うばかりの強面に似合わぬ細やかな心配りで、花やお菓子などの携えてきた彼は唐突に言った。
「これから国へ帰る。兄上がいよいよ危篤状態だ」と。
すでにベッドから起き上がれるようになっていたので、カレンはお茶の席でその話を聞いた。ドーレキアの王太子が余命わずかとは聞いていたが、こんなに早くその日が来るとは思わなかった。茫然とするあまり、ティーカップを取り落としそうになった。
「……バルゼルト殿下、どうぞお気持ちを強く――」
「そなたの方が大変な立場であろう。余計なことは言わんでよい」
うまい言葉が見つからないカレンに、バルゼルトはぴしゃりと告げた。
「言ったであろう。覚悟はとうにできていると。後悔はない」
その清々しいまでの言葉が、今のカレンには羨ましかった。
頭上に広がる、蒼穹の空にも似た曇りのない潔さ。舞踏会の日、皇帝の前で自分の正体を告白したグリスウェンもまた、同じ清さを携えていた。彼もバルゼルトも、己の志を剣に賭ける高潔な騎士だ。だからこそ、己の決めたことに澄んだ覚悟を持てるのだろうか。こうも潔く在れる日が自分には来るのだろうか。
バルゼルトは強面で泰然と笑って見せる。凶悪な笑顔に、カレンが顔を引きつらせていると、こう言った。
「次に会う時は、互いに王太子の立場だな」
「あ、はい。今後ともよろしくお願いします」
「……そこで謙遜しない辺り、つくづくそなたは可愛げがないな。だが為政者を志す者としては、それくらい図々しい方がいいのかもしれん」
カレンは首をひねる。
「私はよい皇帝になれるのでしょうか?」
「そういうことを他国の王子に聞いているようでは、まだまだであろうな。だがそなたが他者より欠けている点があるように、そなたしか備えておらぬ物もあるはずだ。――そなたにしかできぬこともな」
「私にしかできないこと……」
「もちろんよく熟慮し行動することが前提だ。そして最後は心のままに全力を投じればよい」
「心のまま……」
「そうだ。最後の決断だけは、根本にある己の志は曲げてはならん」
そう言葉を伝え、バルゼルトは故国へと帰って行った。
人々が自らの力で明日を踏み出せるような、夢と希望となる。そのはずだったが、今のカレンでは身近な人々すら助けられない。
(私にまだできることがあるのかな……)
この世界に来て初めて一人ぼっちになり、カレンは心細さにぶるりと身を震わせ、自分をかき抱くように丸くなった。