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元地下アイドルは異世界で皇帝を目指す!  作者: 烏川トオ
第1部 4章 プロモーション
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120、目覚め




 ――薔薇の香りだ。

 

 母は初夏になると、庭で咲いた薔薇を出窓の花瓶に飾った。学校から帰ると、リビングで宿題をしながら、薔薇の棘を切り落とす母の手元を見ていた。揺れるカーテンから入りこむ日差しと花の香り。微睡みそうになるあの午後の光景は、カレンにとって幸せの象徴だった。






 最初に目に入ったは淡いピンク色のドレスだった。こちらに背を向けた小柄な人物が、大輪の薔薇を花瓶に生けている。


(あのドレスの色……)


 お茶会のとき、その辺に生えていた花を指して「ああいう色の方が似合うと思う」とカレンは言った。彼女は大人びた濃い紫や青を好むが、どちらかと言えば淡い色調の方が可愛さを引き立てる。そう言ったら、「子供っぽく見えるから嫌です」とそっぽを向かれた。


「……やっぱり……似合ってるじゃない」




 その声にミリエルが振り向いた

「カレンお姉様……」


「だから……私言ったよね。……そういう方がカワイイって」

 

 声がかすれてガラガラだった。まともに歌えるようになるまで時間かかりそうだ。

 

「まったく……他に言うことはないのですか?」

 ミリエルの声は震えていた。


「だって……大切なことは早く言いたいじゃない」


「大変な目に会ったというのに、相変わらずのようですね、カレンお姉様」


 その言葉にカレンは少し安心する。

「またお姉様って呼んでくれるんだ」


「ただの習慣と言うか、便宜上呼ばざるを得ないだけです」


「それでもいい。……ありがとう」




 カレンは半身を起そうと身をよじるが、体がこわばって腕に力が入らなかった。ミリエルがカレンの背に手を添える。


「まだ無理をしないでください」


「……ミリー、お願い。少し血をちょうだい。この場で飲んで見せるから。そしたら私が本当の姉妹かわかるでしょう?」


 はっとしたミリエルが眉尻を下げた。少し考え込むようにしてから首を振る。


「嫌です。どうしてわたくしが痛い思いをしなければいけないのですか」


「……それもそうだね」


「はい、そんな真似は必要ありません」


 ミリエルがきっぱりと答える。

 二人の間に沈黙が落ちる。くすぐったくはあるが、気まずくはなかった。




「……ここは正宮殿?」

 見慣れぬ壁紙や調度品を見渡しながら尋ねると、ミリエルが頷く。


「そうですよ。しばらくこちらで療養するようにと、お父様が言っていました。お姉様の侍女もこちらに呼んであります」


 フレイのことだ。人の出入りが多い、正宮殿にはあまり足を踏み入れたくはなかっただろう。悪いことをした。




「わたくしは医官を呼んできます。……どうぞ無理はせず、ゆっくりご自愛ください」


「ミリー、もう帰っちゃうの?」


「ええ。これでもいろいろ忙しい身なので」


 そういえば選帝会議まで日がなかったことを思い出す。


「私何日くらい寝てたの?」


「丸二日近く……お姉様が刺されたのは一昨日の夜です」


 カレンは刺されたはずの脇腹に触れる。少し皮膚が痺れるような感覚はあるが、痛みはない。


「イヴ姉上が治してくれたんだね……」


「そうでなければ、今ここにいませんよ。本当に悪運が強くていらっしゃいますね」


 ミリエルが肩をすくめ、ドアへと向かう

「では……ご機嫌よう、お姉様」


「うん。ありがとう、ミリー」

 





 ドアが閉まり一人きりになると、カレンはベッドの上で膝を抱えて顔を埋める。


 自分を刺したのは第六皇妃ベルディ―タだった。なぜあのタイミングで、他の兄弟姉妹きょうだいはなく自分が標的になったのかはわからないが、彼女はディオス皇帝の子供たちを憎んでいた。その本心がすべて明かされることはないのだろう。カレンは意識を失う寸前、彼女が絶命する所を見ている。

 

 ベルディ―タの凶行を止めたのはロウラントだった。ベルディ―タの背にナイフを投擲し、とどめに首筋を掻き切った後、その体を冷ややかに睥睨する彼は、まるで別の人間の様だった。


 彼の剣は見かけ倒しではない。いざとなればロウラントが他者の命を摘むことを、ためらわない側の人間だということはわかっていた。わかっていたが――。


(怖かったとか……情けな……)


 あの時、体の自由が効けば悲鳴を上げていたかもしれない。自分の覚悟の甘さにカレンは自己嫌悪に陥る。恐怖していることを、ロウラントに悟られたかもしれない。意識が朦朧としていたので自制できた自信がない。助けた相手に怖がられたのでは、ロウラントが気の毒過ぎる。

 



 その上、直前には彼に手を上げてしまった。

(ロウは何も悪くなかったのに……)


 ロウラントはあの誰も想定していない最悪の状況下で、可能な限りの最善の道を探っていた。イヴリーズとグリスウェンを救い、カレンの立場を損なわないための。


 たとえ忠誠を誓った臣下とはいえ、彼の心の内にある優先順位は、カレンの口が出せることではない。ましてその先頭にいるカレンがその場に胡坐をかきながら、ロウラントを批判するなど、おこがましいにもほどがある。




 そういえばミリエルはロウラントのことを何も言わなかった。イヴリーズやグリスウェンのこともだ。カレンに尋ねられれば、嘘をつくわけにはいかない。賢明で、そして優しい妹のことだ、それを避けるためにさっさと部屋を去ったのだろう。


 カレンを刺したとはいえ、皇妃を堂々と手に掛けたロウラントは、お咎めなしとはいかないはずだ。彼の表向きの立場は皇女の従者、一介の騎士にしか過ぎない。今は皇帝である父の監視下に置かれているだろう。




 恐らくロウラントは、イヴリーズたちを密かに宮廷から連れ出すことも算段していたはずだ。しかし、その線もこれで潰えた。二人にどんな処分が下されるかはわからないが、皇位継承権の剥奪は免れないだろう。


 特にグリスウェンの方は皇帝の子でなかったばかりか、皇女と密通していたのだ。状況を考えれば、命を守れれば御の字だ。考えたくはないが、二人の子供を助けるにはもう遅いかもしれない。


(これで終わり……私にできることはもうないの……?)

 

 頭を抱えていると、ふいにドアがノックされた。ミリエルが呼んだ医官かと思い、声をかけると、顔を出したのはフレイだった。目の下に大きく隈を作った、憔悴しきった顔にカレンは罪悪感を覚える。




「……カレン様っ」


 フレイはおぼつかない足取りで、カレンのベッドに歩み寄るとその両手を握り、跪く。


「よかった……あなたを失ったら、私は――」


「ごめんね、ごめんね……心配かけて」


 フレイからすれば血の繋がった我が子と、我が子同然の子の命の危機だ。どれほどこの二日間心を痛めたことだろう。




「カレン様が謝ることではありません。あなたは巻き込まれただけではないですか」


「違うの! 私はあの人が、皇帝の子供を憎んでいることに気づいていた。……もっと私が警戒するべきだった」


 例えば馬上槍試合大会の日に盗み聞いた、ベルディ―タとイゼルダの会話について、ロウラントに相談しておけば結果は違ったはずだ。


少なくともロウラントを危機に追い込み、フレイを絶望させた原因は自分にある。そしてロウラントが自由の身であれば、イヴリーズたちを救う手立ても講じられただろう。

 



 自分の愚かしい判断ミスに、腹の底が怒りが込み上げてくる。


「情けないね……私は皆に助けてもらってばっかりなのに、足引っ張って――本当、悔しいよっ……」


「カレン様……」


 カレンの両手を包むフレイの手の力が強くなる。その温かさに泣きたくなるが、唇を噛み締めて堪えた。












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