119、ユイルヴェルトの裏舞台
「そして、一人では事態を止める方法がなかったお前は、二人に血の繋がりがないことも含め、ベルディ―タに先んじて秘密を暴露したということか。スウェンの性格なら、必ずあの場でイヴをかばうと想定の上で。……確かにお前の目論見通り、潔く一人で罪を背負おうとしたスウェンへの同情は少なくなさそうだ」
夜中だというのに、親族のアーシェント伯爵家や騎士団の上官たちだけでなく、数名の貴族からグリスウェンへの減刑嘆願書が、早くもディオスの元へ届けられている。
皇家に人生を翻弄されたながらも、皇女への愛を貫いた憐れな青年――いかにも宮廷貴族たちが好きそうな悲恋の物語であり、グリスウェンの人望が成せる業でもあるが、お膳立てしたのは間違いなくユイルヴェルトだ。
幼い頃から文学や芸術を好み、皇子でなかったら舞台作家になっていたなどとうそぶいてはいたが、ユイルヴェルトはついにこの宮廷を自分の劇場に仕立て上げてしまった。表舞台で兄弟姉妹たちが過酷な競争を繰り広げる中、ユイルヴェルトもまた裏で運命に立ちむかうべく奔走し続けていた。
「仮に私がスウェンを罰するつもりだったとしても、反対意見が多ければ無視できなかったであろうな。……だが、さすがにやり過ぎだ」
「姉上だけに罪を着せる真似を、あの誇り高いスウェン兄上がよしとするはずがありません。万が一、兄上にまで母と同じ道を歩ませたら、一生自分が許せなくなる……そう思ったんです」
ユイルヴェルトが出奔するきっかけとなった事件。第五皇妃ティアヌは、実家の処罰に対し、抗議と温情を嘆願するため、自害の道を選んでいる。
「……確かに、あれはそういうことをやりかねん」
グリスウェン本人に問いただすことはしないが、掃討作戦時の無謀は、今思えばそういうことだったのではないかと疑っていた。自分が名誉ある戦死を遂げれば、騎士としての誇りと、同母妹であるカレンの命だけは守れる――グリスウェンならば考えそうなことだ。
「とはいえ、お前や私が考える以上に、スウェンの精神は健全だったようだ」
あるいはイヴリーズと子供を得たことで、本物の強さを得たのかもしれない。その点については結構なことだが、おかげで後始末が複雑になった。
「そして、お前が一人で事態を収めようとしたせいで、この件で落ち度のないカレンが危険な目に遭った。お前は自分一人が皆の憎しみを背負えば済む、などと考えていたのだろうが、それもまた驕りだ。……因果とはそんな容易い物ではない」
行動の報いは必ずしも自分に返ってくるとは限らない。ディオスにはそれが痛いほどわかっていた。
「はい……これは僕のせいで招いた結末です。みんなには一生憎まれても仕方ありません」
「それはどうだかな。少なくともイヴとスウェンは弟妹には甘い。……せいぜい心から謝罪し、許しを乞うのだな」
「いっそのこと、殴ってくれた方が楽ですよ」
自嘲するようにユイルヴェルトが言った。
重苦しい空気の中、エスラムが一つ咳払いをする。
「――親子の対話中に失礼をいたします。ですが、例の件について早くお知らせすべきかと……」
「何かわかったか?」
「ベルディ―タ皇妃の古参の侍女が、例の件に関与を認める供述をしております」
ディオスはしばし沈黙した後、重く嘆息した。
「……そうか。そうであったか……」
「こうなったのは想定外でしたが、やはり今回の選帝会議は二度とない好機です」
「何の話ですか?」
ユイルヴェルトが怪訝そうな表情を浮かべている。
エスラムにはユイルヴェルトのことは皇子扱いせず、ディラーン商会の人材として、遠慮なく使えと言ってある。しかしある件だけは秘匿にさせていた。
「ユール、この件はいずれきちんと話す。他の兄弟姉妹にもだ」
「……はい」
いぶかしみつつも、ユイルヴェルトは素直にうなずく。
「エスラム、証拠はこちらで用意する。準備を進めてくれ」
「御意に、陛下」
――招いてしまった失態を取り返せないならば、状況を利用するしかない。
数時間前にイヴリーズに言った言葉だ。
「……結局は失態とその場しのぎの繰り返しだな」
おそらく後世に伝わる自分の評価は、歴代皇帝の中でも碌なものにならないだろう。それでも子供たちを、そしてこの国を担う次の世代を、少しでもましな未来へ導くための繋ぎとなるなら悪くはないと思った。
「これからますます忙しくなるな……」
「しかし陛下、さすがに今晩はお疲れでしょう。お気持ちはお察ししますが、今からでもお休みになられた方がよろしいのでは?」
「ああ、わかっている」
そう答えたが、ディオスは少し思い直す。
もうしばらくすれば、階上では窓の外が白み始めるはずだ。眠りにつくのは、日の出を見てからにしようと思った。
何が起ころうと、終わりのない夜はない。帝国はもうじき、誰もが想像をしなかった新たな夜明けを迎えることになるだろう。