108、化け物になった皇妃2
やがて月日は流れ、ベルディータが皇妃となってから五度目の春を迎えていた。
数か月前、待ちに待った懐妊の診断を受けていたが、十日前に子供は流れた。転んだわけでも、病にかかったわけでもない。「誰も悪くない。気に病むな」と夫である皇帝ディオスは言ったが、それはベルティータにとって、己の体に問題があると言われたも同然だった。
ずっと床に臥せっていたが、医官に少しずつ体を動かすように言われ、宮殿の中を散歩するようになった。誰とも会話をしたくなかったので、その日は侍女も連れず、一人で西の森を散策していた。
森の緑と清浄な空気に、ささくれ立っていた心は少しばかり慰められた。ふいに、湖の方から甲高いはしゃぎ声が聞こえてきた。幼い子供の声だ。ベルティータの足は自然と、声の方へと向いた。
木の影から湖の方をうかがい見ると、畔に三人の子供がいた。まだ春が訪れて間もないというのに、今日は日差しの下では汗ばむほど暖かい。気の早い子供たちが陽気に釣られ、水辺で遊んでいるようだ。
黒髪の少年と赤銅色の髪の少年が、足まで水に浸かり、その少し離れた場所には金髪の少女が草地でたたずんでいた。少女が今年八歳になる第一皇女イヴリーズ、そして少年らがどちらも七歳になる、第一、第二皇子のランディスとグリスウェンだ。
彼らを見かけたら、大切な物をすぐに仕舞えと言われているほど、宮廷中で悪童として知れ渡っていた三人だ。ただ内面はともかく、外見はいずれも天使のように愛らしかった。
美しい衣装をまとい、何不自由ない環境で、大切に大切に育てられている皇帝の子供たち。無事に産まれていれば、我が子もいずれあんな風に育っていたのかと、ベルディ―タは胸を詰まらせた。
はしゃぎ声をあげながら、兄弟で水をかけあっていた少年の一人が、ふと動きを止めた。
「……イヴは何ですねてるんだよ?」
同じ年の弟であるグリスウェン問いに、ランディスが答える。
「アンフィリーネの部屋にカエルを投げ込んで、父上に叱られたんだってさ」
第四皇妃であるが、アンフィリーネは六人の皇妃たちの中で一番若い。わずか十三歳の時に父親の意向で嫁いできたが、あまりにも子供じみていたため、皇帝ディオスに持て余され半ば放置されていた。その間にアンフィリーネの我がままで奔放な性格は助長され、子供ながら気位が高く、我の強いイヴリーズ皇女とは犬猿の仲だった。
「何やってるんだよ……」
呆れたような弟の声に、「うるさいな!」とイヴリーズが叫んだ。
「あの人が悪いのよ! 『あなたのお母様ももうすぐ死ぬから、陛下の寵愛は私のものよ』って言ったんだもん!」
ベルディ―タはその言葉にぎょっとした。確かにイヴリーズの母、第二皇妃セリシアは病の床にあり、余命わずかと言われている。いくらアンフィリーネといえど、幼い皇女相手にそんな言葉を向けるほど愚かとは思わなかった。
「浅はかな女の言葉なんか、いちいち真に受けるなよ」
三人の中でも、一際大人びたランディスがつまらなそうに言った。
「やめろよ、ラン。父上に言われているだろう? 子供は皇妃様の悪口を言ったらいけないんだ」
「それは違うだろ、スウェン」
たしなめるグリスウェンを、ランディスが鼻で笑った。
「皇子である俺たちが皇妃に敬意を払う理由は、兄弟姉妹たちの母君だからだ。アンフィリーネは違う。まだ義務を果たしてない」
七歳の少年とは思えぬ冷ややかな台詞に、ベルディ―タは凍りつく。
「そうよ。皇妃は皇子や皇女を産むためにいるのよ。役目を果たしてない内は、本当の意味で家族とは言えないわ」
追従する少女の言葉もまた鋭利な刃物のように、真新しい心の傷をえぐった。
ベルディ―タはぞっとする。この宮廷がどれほど残酷な場所かは身を以て知ったつもりだった。五年も掛けようやく宿した皇帝の子を流した時、漏れ聞こえてきた心無い言葉は、ベルディ―タの心をずたずたに引き裂いた。
そして目の前にいる愛らしい子供たちは、そんな伏魔殿で生を受け育まれた、生粋の化け物だ。皇子や皇女とは最初から、自分たちとは違う生き物なのだと思い知らされる。
せせら笑う兄姉たちに、グリスウェンがむきになったように言い返す。
「アンフィリーネ様だって、もうすぐ俺たちの弟か妹を産むじゃないか。二人だって楽しみにしてるだろう?」
グリスウェンの言う通り、アンフィリーネは妊娠中ですでに臨月に入っている。生まれてくる子供はイヴリーズたちと七、八歳差。将来皇太子の座を争う上で、年齢的にはこの三人より不利ではあるが、七家門のトランドン伯爵家を後ろ盾に持つ子だ、勝算が皆無とは言えない。アンフィリーネの父親である伯爵は、娘の懐妊に小躍りしたという噂だ。
「もちろん兄弟姉妹が増えるのは楽しみよ。でもあの人がお産の後も、皇妃様でいられるかはまだわからないじゃない」
「何で?」
「ばあやが言ってたわ、お産で死んじゃう人はたくさんいるのよ。いっそのこと、あんな人いなくなっちゃえば――」
「イヴ!」
調子に乗るイヴリーズを、ランディスが鋭くたしなめた。