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元地下アイドルは異世界で皇帝を目指す!  作者: 烏川トオ
第1部 3章 バック・ステージ
110/228

106、凶行


R15に該当しそうな流血シーンがあります。









  ――違う、こんなはずではなかった。

 女は扇の陰で、わななく紅唇を歪ませた。


 正義の告発をするのは自分だったはずだ。

 皇妃たちは誰もかれもが、ただ一人の夫であるはずの皇帝をないがしろにし、心の拠り所を他に求めた。その淫婦共はもういないが、彼女たちがこの宮廷という名の伏魔殿に産み落とした、生粋の化け物たちは残っている。

 



 その中でも特に忌々しい、イヴリーズとグリスウェン。彼らの汚らわしい所業を暴き、正義の執行者として人々に賞賛される。そうすれば、皇帝ディオスも再び自分に目をかけてくれるはずと信じていた。それをあのユイルヴェルトが邪魔をした。


 彼の母親も皇妃という立場でありながら、決して与えられることのない、父親の愛情を死ぬまで欲し続けた、憐れで愚かな女だ。憎むべき淫婦の一人には違いないが、他の淫婦よりましな点は自ら死んでくれたことだ。


 彼女の残した、よすがのない皇子を憐れんで側においてやったのに。よもや自分の役を奪うとは……。しょせん彼も、淫婦が産み落とした薄汚い肉塊に過ぎなかった。

 





「――ねえ、見て。カレンディア皇女がレブラッド公爵と話されているわ」


「あのようなことがあったのに、堂々とされているのね」


「選帝会議はどうなるのでしょう……?」


 耳に入る貴婦人たちのささやきに、女は視線を巡らせる。

 



 ――そうだ。まだこの場には、汚らわしい化け物が二匹も残っている。

 今度こそ自分が正義の鉄槌を下し、この汚れてしまった宮廷を浄化させるのだ。

 

 女は扇を畳み、その要から飾り紐をするりと引いた。






 ※※※※※※※※※※






 気もそぞろのあまり、その後のどうやって過ごしたのか記憶があまりない。


 あのような出来事があった後でも――いや、だからこそか、カレンへのダンスの誘いは絶えなかった。好奇心旺盛な人々の詮索をかわしつつ、何曲かを踊り終えるとカレンは壁際へと下がった。


 喉が渇いたので、冷えたワインをあおる。体がなおさら火照ったが、何かで気分を紛らわせたかった。これがやけ酒というものかと、妙に冷静な頭で思う。




 その時、名を呼ばれたような気がした。振り返った瞬間、誰かが勢いよく肩口へとぶつかった。カレンよりも背の低い、小柄な貴婦人だった。


(――あれ? この人……)


 見覚えのある姿にカレンははっとする。つい先日の馬上槍試合大会トーナメントでも顔を合わせていた。




 あの時は何か張りつめた面持ちで、カレンやイヴリーズを見つめていたのが、妙に引っかかっていた。その後、偶然にも天幕で言い争う声を聞き、彼女の視線の意味が分かった。


 ――皇妃の中で唯一、()()()()()()()()彼女は、カレンを含め他の皇妃たちが生んだ子供を憎んでいるのだと。




「……ベルディ―タ様?」


 華やかなもう一人の皇妃の影に隠れるように、宮廷でずっと息を潜めていた皇妃。


 その名を呼ぶと、第六皇妃ベルディ―タが口元を歪ませ、血走った目でカレンを睨め上げた。あからさまな敵意を向けられ、カレンは困惑する。




 ぶつかったときの勢いで、カレンが持っていたワインがこぼれ、ベルディ―タのドレスの肩口を赤く染めていた。謝罪しようと口を開きかけた時――わき腹がじわりと熱くなるのを感じた。ベルディ―タがホットワインでも持っていたのだろうか。


 確認しようと視線を下げた時、ベルディ―タがうめき声をこぼした。その体がカレンへとのしかかる。受け止めようとしたが、思うように力が入らず一緒に後ろへと倒れ込んだ。ドレスの下に仕込まれた大きなパニエのおかげで、後頭部を打たずに済んだ。

 

 華奢なはずのベルディ―タの体が思ったよりも重く、カレンは立ち上がれなかった。息が苦しくなってくる。




 ふと、ベルディ―タの肩越しにナイフの柄が見えた。視線をさらにたどれば、柄の部分が女の体に密着し、見る見る内に赤い染みが広がっていく。ナイフの刃が彼女の体に深く突き刺さっているのだとわかった。事態を察し、カレンは喉の奥で悲鳴を漏らす。


 突然顔を上げたベルディ―タが腕を伸ばした。その爪がカレンの頬や首筋に突き立てられ、深く食い込む。


「――淫婦の娘があぁぁ!!」


 血走った目に宿る本気の殺意に、カレンは縫い留められたように動けなかった。




 ふいにベルディ―タの体が持ち上がるほど勢いで、その背から短剣が抜かれた。何者かの足が、小柄な体を容赦なく蹴り上げる。同時に、カレンの体を圧迫していた重さからようやく解放された。


 視線だけでその動きを追うと、一人の男がカレンに背を向けて、仰向けに倒れたベルディ―タの元へ屈み込む。何か腕に力を込めてから、ゆっくりと立ち上がった。


 その足の向こうに、目を見開いたまま、口から血泡を吐いたベルティータの姿があった。もうすでに、その魂がないことは明らかだった。




 人の命を奪ったとは思えない、舞踏のように滑らかで無駄のない動きを見せた男が、カレンの元へと歩いてくる。


(誰……?)


 悲鳴を上げ、卒倒する貴婦人たちの姿も、駆け付ける衛兵の姿もはっきりとわかるのに、その男の顔だけがぼやけて見えない。




「カレンお姉様……? いやあああ、お姉様!!」


 視界いっぱいに青ざめたミリエルの顔が写る。


「ミリー?」


「しゃべらないで! お腹に刃物が――」


「……え?」


 何の冗談かと思いつつ、恐る恐る片手を伸ばすと、右の脇腹に何か固い物が触れる。その下をたどると、お湯に触れたように、手袋がじっとりと生暖かく湿っていくのがわかった。


 ドレス越しとはいえ、確かに触れているはずなのに、なぜか腹の皮膚にまるで感覚がない。もう体を圧迫する物はないのに、息がどんどん苦しくなってくる。それにひどく寒い。歯の根が音を立てるが、自分の意志で止めることができない。




「――殿下!!」


 カレンの前にひざまずいた男が手を握った。ベルディ―タを殺害したあの男だ。人を殺した手――。その事実にカレンに再び恐怖が宿る。


 感情を読まれたのだろうか、息を飲むような気配の後、するりと握られていた手が解かれる。




 視界から徐々に色彩が失われ、やがて暗くなっていく。


「殿下、しっかりしてください! 殿下!!」


(……おっかしいなぁ)


 上擦った声も、体にかけられた上着に残る糸杉と杜松の香りも、これまでずっと自分の側にいた従者のものだ。


 それなのにわからない。イヴリーズとグリスウェンの子供を見殺しにしようとした男が。事もなげにベルディ―タの命を奪った男が。


 もう誰なのか、わからなかった。








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