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元地下アイドルは異世界で皇帝を目指す!  作者: 烏川トオ
第1部 1章 セカンド・デビュー
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7、聖女




 カレンは庭園の東屋(ガゼボ)から、遠くの森に沈みゆく夕日をぼんやりと眺めていた。


 今日中に詩を暗記したいと、根を詰めるカレンを見かねたフレイに、休憩がてら少し庭を歩いてきてはどうかと勧められた。せっかくだから少し一人になりたいと言うと、ロウラントは「遠くに行かなければ」と、しぶしぶながら許可してくれた。


 この世界に来てから今まで、寝ているとき以外はほとんどロウラントかフレイが側に付き添っている。二人のことを疎ましいとまで思わないが、さすがに四六時中他人と過ごす生活は疲れる。衣食住の不自由がないとはいえ、常に人の目に晒されるお姫様も結構大変だ。




 冷たくなってきた風にカレンは二の腕をさする。そろそろ戻らないと、ロウラントが迎えに来そうだ。


 東屋を出ると、目の前の薔薇の植え込みが不自然に揺れる。あきらかに風ではない。猫でもいるのだろうかと思ったが、気の陰から茶色のスカートの裾がちらちらと見えていた。


「……誰?」


 思わず固い声が口を突いて出る。


 皇太子になる望みがないカレンディア皇女が、抹殺される可能性は低いだろうが、何事も絶対はないとロウラントも言っていた。




「すみません……」


 消え入りそうな小さな声は女の子のものだった。カレンは細く息を吐いて肩の力を抜く。


 おずおずとカレンの前に出てきたのは、十歳前後の少女だった。地味な飾り気のないドレスからして貴族ではなさそうだ。宮廷に出入りしている貴婦人の侍女にしても幼すぎる。


「あなた、どこの子? 仕えているご主人様とはぐれたの?」


 カレンは少女の視線に合わせ、身をかがめて問いかけると、小さくうなずいた。


「噴水を探していて……ライオンの」


 カレンは自室のバルコニーから、遠くに見える大きな丸い噴水を思い出す。建物の上から見ればよく目立つが、植木の多い地上からでは確かにわかりにくい。狼藉者の侵入を防ぐために、宮殿の庭はあえて入り組んだ造りになっていると聞いた。




「噴水まで行けば帰り道がわかるの?」


 少女が再びコクリとうなずく。


「じゃあ、一緒に行こう」


 カレンは少女の手を自分から取った。少女はたじろいでいたが、すぐにカレンと共におとなしく歩み始める。


「ねえ、お名前は?」


「ユマ、です……」


「ユマちゃん!? すっごい偶然……私の友達と同じ名前だ」


 アイドルグループのメンバーの一人、由真ゆまはカレンと同じくオーディションを受けて加入した、一番付き合いの長い友人だ。高校も同じで、そういえば最後に会った時、学校の近くに新しくできたカフェに行こうと約束していた。




 思い出すと、鼻の奥がツンとする。あちらの世界のことは、これまであえて考えないようにしていた。


 ロウラントたちは彼らの想定以上に、真剣に課題に取り組むカレンを褒めてくれる。しかし本当は何かに集中することで、元の世界のことや、今後の不安を頭から締め出したかっただけだ。


 多分、春宮カレンの人生は死という形で終わった。


 あの世界で、あの人生で、やり残したことはたくさんある。前を向いて今の人生を生きて行くしかないとわかっているが、自分の中の本音と向き合えば、やるせなさと恐怖で一杯だった。


 幽閉生活も怖いが、それよりも不安なのは、自分の精神がいつまでディアの体に宿っていられるかだ。ある日カレンディアになったように、また突然この体の本来のカレンディアの精神が戻ってくるかもしれない。そうなれば自分はどうなるのか。(れき)死体となった自分の姿を想像して、ゾッとする。




「あ、あの……」


 ユマの声にカレンは我に返る。


 少女が足を止め、びっくりしたように大きな目を見開いていた。いつの間にか自分の目尻に涙が溜まっていたことに気づく。


「や、やだ……目にゴミが入っちゃった」


 慌ててドレスの袖で涙をぬぐう。ユマはきょとんとした顔をしていたが、特に何も言うことなく、再び歩き始める。




 しばらく歩くと、目当ての噴水が見えてきた。近くで見ると一際大きい。何層にも重なる受け皿の一番上にライオン像が鎮座し、その口からは滝のように水が噴出している。


 ふと、噴水の傍らに貴婦人が数人佇んでいることに気づく。その内の一人がカレンたちに気づき、隣の女性に何事かをささやいた。


 ロウラントから館を離れないように言い含められていたことを、ここでようやく思い出した。カレンディア皇女としての記憶を持たない状況で、宮廷の人間に会うのがまずい。誰が知り合いであるのかすらわからないのだから。




「あっ……」


 傍らにいたユマがカレンの手を離し、小走りで貴婦人たちの元へ駆けてゆく。一人の女性の前で、ユマがたどたどしくお辞儀する。その人がかすかに微笑んだのが見えた。


 この国の人間の年齢はわかりにくいが、おそらくカレンよりは少し年上、二十代前半くらいだろう。光沢のあるダスティーグリーンの生地に、小花を散らした品のいいドレスをまとっている。




 女性がカレンを見て歩み寄って来る。


「ご機嫌よう、気持ちの良い夕暮れですこと」


 涼やかな声にカレンは身を強張らせる。しかし黙っているのも不自然だ。


「……ご機嫌よう」


 フレイに習った通り、ぎこちなくカレンは言葉を返す。こんな芝居がかった挨拶、あちらの世界ではお嬢様学校の生徒くらいしかしてなかった。


「ユマを――わたくしの小間使いをここまで案内してくださったようですね。お礼を申し上げます」


「いえ……」


 チラリと視線を向ければ、真冬の晴れた空のように鮮やかな青色の瞳が細められた。凛とした品を感じさせるが、その微笑はけして居丈高ではなく優しげだ。




 よく見れば、彼女のドレスの花柄は、すべて色とりどりの糸で縫い取られていた。耳から上の髪は結い上げられ、絹糸のようになめらかな金髪が肩を覆う。


 背後に控える女性たちは、ドレスの装飾も色も質素なので、目の前の女性がこの一団の主人なのだろう。

 

 豪華なドレスに、よく手入れされた髪。侍女の数からして、目の前の女性がかなり身分の高い女性であることは間違いなかった。




 女が口持ちに指を当て、かすかに目を見張る。


「もしや、カレンディア皇女殿下でいらっしゃいますか?」


「……え、ええ、そうです」


 あっさりと正体を言い当てられ、カレンはギクリとしたが、余計なこと言うまいと、極力言葉少なく返答する。


 女性の様子からして、よく顔を合わせるような親密な知り合いではなさそうだ。


「これは知らぬこととはいえ、失礼をいたしました」


 女性は膝を屈め、かるく頭を伏せる。


 礼儀正しいが、その優雅な動きに卑屈さがない。これが気品というものかと、カレンはこっそり舌を巻く。確かにこれはロウラントたちの言う通り、一夜漬けなどで身に付くものではない。




「……なぜ、私だとわかったのですか?」


 会話をするのは危険と分かっていたが、カレンが思わず見とれるくらい、美しい貴婦人への興味が止められなかった。


「ここはカレンディア殿下の離邸のすぐ近くですもの。それにわたくしは幼い頃、殿下の遊び相手を務めさせていただいたことがございます」


 やはり聞くべきでなかったとカレンは後悔する。彼女はカレンが知らないディアの過去を知っているのだ。


「殿下の赤銅あかがねの御髪も、その暁の空のように美しい瞳も、あの頃とお変わりありません」

 

 その口調から世辞ではないく、滲むような愛わしさが伝わってくる。きっと悪い人ではない。本心からカレンの慕ってくれているのだろう。――だからこそ危険だと思った。気を許せばきっと違和感を持たれてしまう。


「皇女殿下、本当にわたくしを覚えていらっしゃいませんか?」


「……その……申し訳ありません……」


 女な瞳に一瞬失望が宿るが、すぐに打ち消すように笑みを浮かべた。


 カレンは罪悪感にさいなまれるが、適当に話を合わせるわけにもいかない。幸いにも忘れていてもおかしくないくらい、久しぶりの再会だったようだ。




「……貴女のお名前を伺ってもよろしいですか?」

 

 この程度の質問なら危険はないだろう。どちらにしろ、こうなった以上ロウラントたちに彼女への対策を考えてもらわないとならない。こうして宮廷の庭を自由に歩いているくらいなのだから、また顔を合わせる機会もあるだろう。


 女は口を開きかけたが、すぐに首を振る。


「近いうちにわかりますわ。その時に改めてご挨拶いたします。……実を申しますと――」

 

 どこか悪戯めいた笑みは、気品と愛らしさを矛盾することなく併せ持っていた。




「一番のお付きの者に黙って、ここまで来てしまいました。そろそろ戻らなくては、叱られてしまいます。殿下も従者や侍女のお姿がないようですが?」

 

 その言葉にカレンははっと、顔を引きつらせる。もう外へ出てからずいぶん時間が経っている。いつまでも戻ってこないカレンに痺れを切らし、ロウラントが探しているかもしれない。

 

 表情に出ていたのか、女はくすりと笑う。


「お互い早く戻った方がよさそうですね」


「え、ええ……では、ご機嫌よう……」


 カレンは女の返事を待たず、さっと身を翻して元の道を早足で帰った。








 ――カレンが去った後、その後ろ姿が見えなくなるまで見送っていた女に、侍女の一人がそっと近づいてくる。


「驚きましたわ。あの《ひきこもり姫》がこんな場所にお出ましとは……」


 女がわずかに眉を寄せ、侍女をじっと見やる。主人の無言の咎めに、侍女は弾かれたように頭を伏せた。


「も、申し訳ございません!」


 震え上がる侍女に静かな眼差しを送り、女は首を振る。


「いいわ。あの子と会うなんて、私も驚いたもの」


 女はカレンが消えていった道の先を見つめ、憂うように表情を曇らせる。


「そう……いよいよあなたも表舞台に出てくるのね」






 ※※※※※※※※※※






「……間違いありません。それはイヴリーズ皇女殿下です」


 ロウラントが額を抑え、深い溜息をつく。

 



 あの後、急いで離邸に戻ったが、案の定ロウラントが額に青筋を立てて待ち構えていた。説教と夕食の後に、噴水の前で出会った金髪の貴婦人について、ロウラントとフレイに尋ねてみた。


「イヴリーズって……ディアのお姉さん!?」

 

 第一皇女イヴリーズ。確かカレンディアの異母姉で、『聖女』と名高い、もっとも皇帝に近いと言われている皇女だ。


「どおりでねえ……」


 名実ともに帝国第一の姫君(プリンセス)。あの溢れんばかりの気品も納得だ。




「もしかして他人行儀な態度はまずかった?」


 フレイが少し考え込んで言う。


「ディア様が幼少のみぎりには、よく遊んでいただきましたが、姉君と最後に顔を合わせたのは四年も前です。イヴリーズ殿下もあの頃とは少し雰囲気が変わりましたから、あり得ないこともないですが……」


「でも薄情っちゃ薄情だよね……」


 久しぶりに会った妹に、顔をすっかり忘れられていたのなら、イヴリーズの落胆も当然だ。


「悪いことしたかな?」




「そういう問題ではありません!」


 ロウラントが苦々しい表情でカレンを睨む。


「実の姉とはいえ、継承権を競う相手でもあるのですよ。今の状況で、会話まで交わすなど迂闊(うかつ)過ぎます」


「でも、良い人そうだったけどなあ」


「状況がわかっていますか? それはあなたが敵からはほど遠い、取るに足らない《ひきこもり姫》と思われているからです。ダンスが踊れたところで、あなたの不利は変わりません。仲良く交友を深めようなどという、甘い考えはお捨てください」




 痛い現実を突き付けてくるロウラントを、カレンは反抗的な目で睨み返す。


「そう何度も同じこと言わないでよ! もしかして、ディアにもそういう物言いしてたの? 自信無くして当たり前じゃない。ディアのひきこもりの原因はロウのせいでもあるんじゃないの?」


「それは――」


 カレンの指摘に思うところがあったのか、ロウラントが言い詰まる。


 論理的、合理的に物事を進めたがるロウラントの性格からして、無為に日々を過ごすディアを見過ごせなかったのかもしれない。しかし自分の至らなさに気落ちしている人間へ、現実を突きつけるのが逆効果であることぐらい、カレンにもわかる。

 



「……ロウラント様が従者になる前から、ディア様は部屋にこもりがちでした」

 

 剣呑な空気を漂わせ初めた二人を見かねて、フレイが助け舟を出す。


「ロウラント様のせいではありません。もっとディア様をお支えするべきだったのは、教育係りであるこの私です」


 カレンとロウラントは気まずそうに視線を逸らす。フレイにそう言われては、これ以上この話題を続けられなかった。


「……とにかく、誰がいつあなたを陥れようとするかなど、誰にもわかりません。敵と見なされなくとも、策略に利用される可能性はあります。兄弟姉妹きょうだいと言えど、気を抜かないでください」


 ロウラントはそう言って、部屋を出て行った。




 フレイがなぜか、微笑ましい物を見るような表情をしていた。


「ロウラント様はうれしいのですね」


「え?」


「カレン様が我々の想像以上に、一生懸命学ぼうとしてくれる姿がうれしいのですよ」


「そ、そうなの……うれしいようには見えないけど」


 姑かというくらい、さんざん小言を喰らっている。


「ロウラント様自身も優秀な方ですから。ディア様の元ではその実力を発揮する機会がなくて、歯がゆい思いをされていたのでしょう」 


「へ、へえ……」


 ロウラントは出世に興味がないとは言っていたが、それと仕事のやりがいはまた別の話だろう。性格を除けば、確かに彼は優秀な人間だ。息苦しい思いをしていたのは、ディアだけではなかったのかもしれない。




「だからこそ、カレン様の状況を少しでも好転させようと、つい言葉が過ぎてしまうのかもしれません」


 自分の不甲斐なさに気落ちしている相手に、現実を突きつける残酷さ。

 

 ロウラントがディアに言ったことを非難しながら、同じことを彼にしてしまった。ディアのために力を尽くそうと思いながら、それが逆効果になる悪循環に、ロウラントも頭を痛めていただろう。きっと当の本人が一番わかっていたはずだ。


 カレンは椅子の上で膝を抱えて、身を丸める。


「明日ロウにちょっと謝るよ。……ちょっとね」


「ええ、それがよろしいかと」


 フレイの言葉に、カレンは小さくうなずいた。






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