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元地下アイドルは異世界で皇帝を目指す!  作者: 烏川トオ
第1部 3章 バック・ステージ
105/228

101、密告




令和5年2月12日 誤字訂正




 音を立てぬように移動したグリスウェンは、ゆっくりとドアを開ける。廊下に人がいないことを確認すると、向かいのドアを開けた。イヴリーズは戸惑いながらも、グリスウェンの後に着いていく。


 グリスウェンの自室の向かいは空き部屋だったはずだ。使っていない調度品が乱雑に置かれている。カーテンが閉め切ってある部屋の中は、仄暗く埃っぽい。ふと耳を澄ますと、空気が漏れるような「すーすー」という、か細い音が聞こえてきた。

 

 グリスウェンが音のする方へ向かうと、棚と棚の間に何かを見つけたようだ。困惑した表情で彼が指し示すその先には、お仕着せ姿の小さな少女がいた。膝を抱えて座り込んだまま、棚に頭を預けて眠っている。




「ユマ!?」

 その声にびくりと肩を揺らした少女が目を開けて、せわしなく周囲を見回す。

 

 それはイヴリーズの元で小間使いとして働かせていた少女だった。元は慈善活動で訪れていた孤児院の子供だ。孤児院を出る年齢になったが、行き場がないというのでイヴリーズが引き取ったのだ。無学で賢いとは言えないが、素直でよく働く子なので重宝していた。


 他の侍女たちとは違い、主が失踪すれば身寄りのないユマは行き場がなくなる。皇太子候補を辞せば離宮を退去することになるからと、グリスウェンに相談し預けてあったのだ。




「こんなところで何してるの?」


 元主人と現主人を前に、慌てて立ち上がる少女にイヴリーズは優しく問いかける。


「ランタンを磨いておくように言われて――」


「探している内に眠ってしまったのね?」

 イヴリーズはこっそり胸を撫で下ろす。


「そういった物はここではなく、階下の倉庫にある。他の使用人には黙っておくから、早く行くといい」


 グリスウェンの言葉にそそくさと挨拶をして、少女が早足で去っていく。その背を見送ると、イヴリーズはグリスウェンと顔を見合わせ、ため息をついた。




「肝が冷えたな……」


「ちょっとそそっかしい子なの。お使いに出せば、宮殿の中で迷子になるし……。でもいい子だから、よく面倒を見てあげてね」


「わかってる。心配するな」

 イヴリーズとグリスウェンはそんな会話を交わしつつ、部屋へと戻っていった。






 ※※※※※※※※※※






 紅唇から白い煙が吐き出さる。たなびく煙は蛇がのたうつように宙を舞う。


 美しい銀細工が装飾された、幼児の背丈ほどもある青いガラス瓶が置かれていた。そこから管が伸び、吸い口に女が唇を寄せるとコポコポと水音が鳴った。東部領から伝わる水煙草だ。周囲には、甘い花のような香りの中に、抜いたばかりの雑草のような青臭いに匂いも漂う。


 白い煙がくゆる部屋の中は、東方風の調度品で飾られ、絨毯の上に直接クッションが置かれている。周囲には数人の男女がいて、クッションに持たれながら水煙草を楽しんでいた。中には人目もはばからず、淫靡に絡み合う男女の姿もある。ここで用いられている水煙草には、快楽と引き換えに理性を病ませる作用がある。




 頭からすっぽり被ったヴェールで目元まで覆った女は、今一度白い煙を吐き出す。傍らには銀色の仮面を着けた青年が、しどけなくシャツの胸元をはだけクッションに寝そべっていた。女は青年の灰褐色の髪に指を差し入れる。猫を愛でるように、女はうっとりと目を細めて、その柔らかな感触を楽しんだ。


「ああ、お前は本当に美しいわ……あの方の若い頃にそっくり」


 青年が女を見上げ優雅に微笑む。女は青年の頬に手を添えながら、目の前に視線を移した。そこには小柄な少女が平伏していた。豪華な調度品に覆われたこの部屋には似つかわしくない、質素な町娘のような服装だ。




「……それで、今の話に間違いないのね?」


「はい。全部は聞けませんでしたが、イヴリーズ殿下のお腹には赤ちゃんがいて、父親はグリスウェン殿下のようです」


 あどけなさの残る声に似つかわしくない内容だが、女は鷹揚に頷いた。


「――結構よ。持っておいき」


 絨毯の上に光る物が跳ねる。投げ落とされた金貨を這いつくばって拾い上げた少女が、にこにこと笑みを浮かべる。しかし女の冷ややかな視線に気づくと、はっとしたように頭を下げて退出していった。




「そう……あのイヴリーズとグリスウェンがねえ。異母姉弟にしては仲がいいとは思っていたけど……まさかそんなことになっていたなんて。因果応報とはこのことね」


 女は艶やかな唇に笑みを刻んだ。

 青年が気だるげに半身を起し、女に話しかける。


「娘が報酬目当てに作り話をしただけでは……まさか帝国の皇女と皇子たる者がそんな――」


「汚らわしいことを?」

 言い淀んだ青年の言葉を女が引き継ぐ。


「宮廷という伏魔殿なら何でもありえるわ。それはあなたが一番よく知っているでしょう? それに、あの子ネズミに作り話をする能などないわ」




 イヴリーズ皇女――清楚で儚げな見た目に似合わずしたたかな娘。なかなか弱みを見せなかったが、ここに来てついに馬脚を露わした。側に置く人間を厳選し、取り巻きにすら本音を見せない、皇子皇女の中でも特に警戒心が強く小賢しい、けれど所詮は世間知らずな小娘だ。


 自身が孤児院から拾い小間使いにした少女を、まるで警戒していなかった。何も知らない無垢な子供は、悪意を抱かないと軽んじていたのだろう。


 ああいう手合いは無垢だから――無知だからこそ、人として超えてはならぬ境界をいとも簡単に踏み越える。人を裏切ることも、陥れることも。明日も知れぬ彼らの中で、確かなことは自分の欲望だけだ。




 人が悪の道に走るのは環境のせいと、弱者の救済をイヴリーズは訴えていた。


「馬鹿な子……人に悪も善もないのにね」


 環境のせいというのはある意味正しい。皆より自分に都合よく生きるため、ただ周囲に順応しているだけだ。


 あの小間使いの少女とて、イヴリーズを心から慕っているのだろう。それと同時に、小金のため主の秘密を他人に売ることもためらわない。別に矛盾することでない。彼女なりに、明日をよりよく生きようとしているだけだ。




 女はくつくつと笑いながら、弾むような気持で考える。

 ――この秘密をどう使おうか? ただ皇帝陛下に密告するだけではつまらない。


「ねえ、近日中に大きな催しはあったかしら?」


「もうすぐ秋の舞踏会がありますが……」


「ああ、仮面舞踏会ね。それは素敵……。そうだわ、あなたも舞踏会へいらっしゃいな」


「ですが……」

 困惑したように口ごもる青年の、白磁のような頬を長い爪がたどる。


「大丈夫。こうやって仮面をつけていれば誰にもわからないわ。こんな見世物、めったに見れなくてよ」




 あの女たちの子供を絶望に叩き込んでやる。自分に長年の屈辱を与え続けた四人の女ども。その死後ですら、身を焼く怒りが鎮まることはなかった。彼女たちに安らかな眠りなど与えてやるものか。


 淫婦たちが最も大事にするものを打ち壊す舞台に、仮面舞踏会ほどふさわしい場所はない。皇女たちから美しい仮面を引き剥がし、観衆の前でその醜い正体を晒してやるのだ。


 甘美な妄想に酔いしれながら、女は高らかに笑った。




 ――その傍らの、淡い空色の瞳に宿った冷ややかな光に、ついに気づくことはなかった。









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