99、共にあるために
「誰が言ったの!?」
最初に頭を過ったのは、事情を知る侍女たちの誰かが、グリスウェンに秘密を暴露したと言うことだ。
グリスウェンはイヴリーズの剣幕にぱっと手を放して、降参を示すように手を上げる。そして苦笑しながら首を振った。
「誰も」
「……え?」
グリスウェンがくくっと喉の奥でおかしそうに笑う。
「俺がイヴを出し抜けたのは、初めてかもな」
「あ……」
イヴリーズの顔から血の気が引く。しまった、と思ったがもう遅かった。
「俺は女性のことには疎いが、イヴのことならわかる。ずっと側で見ていたからな」
思えば、このソファが置かれるようになったのは、いよいよ本格的に体調が悪くなってからだ。そういえば紅茶も香りがやわらかい銘柄に変えられていた。レモンが添えてあったこともあった。それに――。
「だからあまり触れないように、我慢してただろ?」
その意味を察し、イヴリーズは反射的にグリスウェンの背に平手を振り下ろす。軽快な音が響きグリスウェンが顔をしかめた。
「っ……! イヴ……さすがに痛い……」
「生意気なのよっ……スウェンのくせに!」
「その台詞ひさびさに聞いたな」
イヴリーズは赤く染まった顔で、涙を浮かべて笑うグリスウェンをきっと睨む。
幼い頃、スウェンが思う通りにしてくれないたびに、口癖のようにそう言った。それを聞くと、小さなグリスウェンはむっとしてどこかへ行ってしまうが、しばらくすると機嫌を伺うように遊びに誘ってくる。上目遣いですがってくる様子がかわいくて、「しょうがないわね」と結局許してしまうのだ。
対して、「うるさい性格ブス」と間髪入れず言い返してくるランディスとは、しょっちゅう取っ組み合いの喧嘩になった。そのたびにランディスにはどちらが上の立場か、力ずくで叩きこんでやったが、グリスウェンにはある意味一度も勝てなかった。
「……あなたは昔からずるいのよ」
「そうか?」
「そうよ! あなたやカレンを相手してると、自分の矮小さが本当に嫌になるわ」
「何の話かよくわからないんだが……」
「もういいわよ」
イヴリーズは大きくため息をつき、そして観念して告げた。
「――私はあなたの子供を身ごもっているわ」
これで満足かという風に、投げやりな気分でグリスウェンを見やると、がばっと満面の笑みで抱きしめられた。
「ちょっと……苦しいっ!」
「すまん」
はっとしたようにグリスウェンが身を離す。
「いつ生まれるんだ?」
「え……来年の四月くらい……」
「春か。いい季節に生まれてくるな」
弾むような声に、イヴリーズは目を見開く。
こんな状況でありながら、グリスウェンは子供が生まれてくることを当然の如く受け入れている。今後のことを考えれば、腹の子のことは諦めた方が格段に危険が少ないことくらい、彼もわかっているだろう。
イヴリーズですら、ほんの――ほんの一瞬であるが、その考えが頭を過った。グリスウェンにも黙って処理してしまえば、彼との関係を壊すことなく身の安全を確保できる。そんな黒い感情が確かにあった。
それなのにグリスウェンはわずかな迷いもなく、子供の存在を受け入れた。その真っ直ぐさがイヴリーズにはまぶしく、少し怖く、そして愛おしかった。
「だからあなたはずるいのよっ……」
「……イヴ?」
急にボロボロと涙を零すイヴリーズに、グリスウェンが所在なさげに手を伸ばし、おろおろしている。
腹いせ混じりに、彼の胸元に頭突きするように身を預けた。衝撃で息が詰まったようにうめいた後、グリスウェンはそっとイヴリーズの背に手を回し、体を引き寄せた。
「……すまない、イヴの考えに間違いはないと思ってる。でも結果的に一人で悩ませてしまったな」
あやすように髪をすかれ、余計に胸が詰まり苦しくなった。
「あなたを守りたかった……でも、この子を諦めることがどうしてもできなかった。私の判断があなたの命まで、危うくするかもしれないのに。謝っても謝り切れないわ……」
「謝る必要なんてないだろう」
「私はあなたを宮廷に残して、一人だけ逃げようとしたのよ?」
「いいんだ。俺の子を守ろうとしてくれたことが、何よりもうれしい。……その気持ちだけで、俺はこの先どうなっても後悔はない」
その言葉に子供のように泣きじゃくるイヴリーズを、少し苦笑しながらグリスウェンはただ静かに抱きしめ続けた。
しばらくして気持ちが落ち着くと、イヴリーズはグリスウェンから身を離した。泣き腫らした目のまま、ある決意を込めて彼をひたと見据えた。
「――決めた。私は選帝会議まで宮廷に残るわ」