事件編①
コンピューターサークル所属 鳳城 楓
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気圧配置は典型的な冬型で西高東低だった。寒さも本格化し、街行く人は首にはマフラー、手には手袋、そして暖かそうなコートを身に纏い、極力肌を露出させないようにして寒さの遮断に努めている。
企業は1月4日から既に業務を開始しているが、学校という機関は少し遅れて機能し始める。社会人から見れば遅く始まるのだから、羨ましいに違いない。特に冬ともなると、布団から出るのが嫌になる季節だ。けれども、羨ましがられているにもかかわらず、学生は授業に出るのがおっくうなのだ。
約7千人の生徒を抱えているこの大学もそうである。年明け最初の授業であるから、学生たちはみな眠たそうである。
この時期になると、いよいよ単位の心配をしなければならない。今まで遊びほうけて、授業に一度も出なかった者。レベルが高すぎて授業についていけなかった者。そして、卒業を控えた4年生も苦しむことになる。卒業の心配だ。大学を卒業するには、大学が定めた単位数を修得しなければならない。修得しきれていないと留年になってしまう。つまり、辛い就職活動をして、ようやくつかみとった内定を取り消されてしまうことにもなり得るのだ。
学生にとって、年が明けると正念場である。
この大学は、学校が始まると正規の授業を1週間やり、その後すぐにテスト期間に入る。だからどの授業も嵐の前の静けさのような雰囲気が漂っている。
昼休みが始まる少し前辺りから、5号館3階のとある部屋に少しずつ学生が増えてきた。彼らはコンピュータサークルのメンバーである。
この大学にはサークル棟と呼ばれる建物がある。文字通り、サークルの部室が集まった館で、そこで授業が行われることはない。サークル棟に部室を構えているのは、古くから存在している伝統あるサークルばかりだった。現在、サークル棟に空いている部屋はなく、最近設立されたサークルのほとんどは空き教室を借りて活動していたので、部室として教室を占有することはできなかった。
コンピュータサークルは古くもなく新しくもない中年サークルだったが、このサークルが誕生したときは既にサークル棟は満室だった。だから、人気の少ない5号館の3階の教室になってしまったが、コンピュータを設置することもあり、教室を占有してもよいと大学が許可してくれた。
現在、部室にあるコンピュータは全部で5台あり、サークルメンバーは交代で使用していた。
卒業を心配することには事欠かない4年生の女学生、鳳城楓は先程からそのうち1台を陣取って真剣にディスプレイを見つめていた。
『ぷりん……昨日バイト先で、すごいムカツクことがあってさ>ケン(12:17)』
『管理人……大臣さん、いらっしゃい! (12:18)』
『大臣……皆さん、初めまして。大臣と言います(12:18)』
『ケン……どうしたの? 何があったの? >ぷりん(12:18)』
鳳城は、すかさずキーボードで文章を打つ。
『もみじ……大臣さん、初めまして(12:19)』
そして、彼女は発言ボタンを押す。
下はジーンズ、上はパーカー、黒の短いソックスに運動靴を履いている鳳城は、セミロングの茶髪をまとめて上げている。薄化粧で眉毛も描いていない。時計とイヤリングを身につけているが、控え目な可愛らしい女性である。椅子の背もたれには、紺のウールのコートがかかっている。
彼女は今、インターネットのチャットに夢中だった。電話というのは、電話機と電話回線を使って声でコミュニケーションをとる便利なシステムだが、チャットは、パソコンと電話回線を使って文章でコミュニケーションをとるシステムのことである。
電話とチャットの違いは、音声で会話するか、文章で会話するかになるが、他にも違う点がある。電話は、話す相手の電話機に直接繋いで話をするので、相手の電話番号が必要になる。だが、チャットは、話す相手のパソコンに繋ぐわけではなく、チャットのできるホームページに行ってそこで会話をするので、相手の番号は知る必要がない。そのホームページに集まって来た人間と喋るので、見ず知らずの人間と会話ができるのだ。
またもう1つ違う点は、電話は1対1で喋るが、チャットは何十人とでも喋ることが可能だし、会話に参加しなくてもその様子を眺めていることもできる。
チャットは、相手と自分の正体を知られずに会話ができるので、普段は言えないことも言えてしまうという魔力がある。そこが逆に問題にもなってしまう。正体はわからないので、本当は男なのに女の振りをしたりして、自分を偽ってチャットに参加する輩も出てくるのだ。そこが危険なところでもある。
鳳城は、このチャットに参加して半年が経っていた。参加しようと思ったきっかけは、就職活動の辛さと不安、独りで活動を続けることによる孤独感、そして息詰まり。その苦しさから逃れたい一心からだった。だから彼女にとって、チャットで見知らぬ誰かに就職活動中に溜まった鬱憤を晴らすということは、ストレス解消になった。見知らぬ相手だからこそ、人に聞かれたくない悩み事が話せるのだ。
チャットをする際は本名を明かすことなくお喋りができる。ハンドルネーム、つまり自分であだ名を決められるのだ。鳳城は名前が楓なので、楓をひねって「もみじ」としていた。
『ぷりん……ここで言っちゃうと、本人が見てるかもしんないからオフ会でね>ケン(12:20)』
『管理人……大魔王さん、いらっしゃい! (12:21)』
『大臣……みなさん、常連なんですか? (12:21)』
『ケン……おお、久しぶりじゃんかよ! >大魔王(12:22)』
見た感じ、大臣という人はここのチャットに来るのは初めてのようだ。鳳城は大臣にメッセージを送った。
『もみじ……私はここに来て半年になるよ>大臣(12:23)』
チャットは大きく分けて2種類ある。1つは普通のチャット。今、鳳城がやっているのがそれだ。大勢で会話ができるシステム。何十人でもチャットに参加できる。だが、ここでの難点は、大勢で話すので会話が入り乱れているということである。例えば、AさんがBさんに何か発言する。すると、Bさんはそれに応えて返事を送ってくるが、チャットには何人もいる為、返事が返ってくる間に他で会話をしている人の発言が書き込まれてくる。だから初めてチャットを体験する人には、会話の様子を眺めていても何の話をしているのか意味がわからないことだろう。
もう1つはツーショットチャット。その名の通り、2人だけでチャットをするというものである。だから、当事者以外には会話の内容は絶対に見られない仕組みになっている。秘密の話をするにはこのシステムがいい。
パソコンの画面には、次々と新しい発言が流れて来た。
『大魔王……そういえば皆さん、オフ会の話、聞きました? 今週の土曜ですよ(12:24)』
オフ会とは、普段ここでチャットをしている人達が実際に会って、直接話をしようという会なのだ。ここの常連は、もう何回かオフ会に参加しているので顔見知りなのだ。
『ぷりん……私、絶対行くよ。ケンにバイト先であったこと言わなきゃいけないし(12:25)』
『ケン……久しぶりやなぁ、オフ会も(12:25)』
『大臣……何ですか? オフ会って(12:26)』
『大魔王……俺はもみじさんに会ってみたいな。チャットでは付き合い長いのに、一体どんな感じの人なの? (12:26)』
大魔王という人が誘ってきた。
鳳城は、今までオフ会に参加したことは一度もなかった。彼女はオフ会が開かれるとなると、いつも行くか行くまいかで悩んでいた。何しろ、お互い見知らぬ者同士なのだ。文章だけの関係でいきなり会ってお酒を飲むなんて、そんなことは彼女にはできなかった。それに就職活動で忙しいというのもある。
だが、今回のオフ会は本当に迷った。大魔王さんにもあんなことを言われたのだから、行ってみようという気にはなった。だが、やはり知らない人と飲み会をするというのは抵抗がある。だから鳳城は、迷っているような感じの文章を叩き出した。
『もみじ……でも、まだ就職先が決まってないし(12:27)』
そう、鳳城はこの時期になって、まだ内定を1つもとれていなかったのだ。確かに、新卒者の就職率は年々低下している。しかも毎年毎年、今年は去年より悪いと言われている。特に女子の就職率は過去最低だ。鳳城は卒業は心配ないが、その後の道がまだ決まっていない状態だった。
ところが、意外な返事が返って来た。
『ケン……就職がなんだよ。それはもみじさんの責任じゃないよ。国が悪い! (12:28)』
『ぷりん……オフ会に来れば、そんなこと忘れられるよ>もみじ(12:28)』
『大魔王……衝撃の告白! 実は俺も就職先決まってません! >もみじ(12:29)』
鳳城はそれを見ていて、心の緊張がほぐれた。そして、初めて行ってみようという気持ちが大きくなった。オフ会に参加するのは大体20人くらいと聞いている。だから、今チャットに参加しているこの人達意外にも大勢来ると思うが、とりあえずこのオフ会は就職活動の癒しになりそうだった。
『もみじ……ありがとう。それじゃ今回は参加します。皆さんよろしく(12:30)』
その発言を送信したとき、ちょうど2時限目終了のチャイムが鳴った。
『大魔王……よっしゃー! もみじさん、楽しみにしてます(12:31)』
『ケン……俺も行くからね(12:31)』
『大臣……何だかよくわからないけど、僕もいいですか? (12:32)』
『ぷりん……ぜひ、来てよ>大臣(12:32)』
『ケン……電話代やばいんで落ちます。みんな、じゃあね! (12:32)』
『管理人……ケンさん、またきてねー(12:32)』
『大魔王……ケンちゃん、バイバイ! (12:33)』
『ぷりん……またね>ケン(12:33)』
鳳城もチャットをやめることにした。もうお昼の時間だ。
『もみじ……それじゃ、わたしも落ちます(12:34)』
『ぷりん……バイバイ>もみじ(12:34)』
『大魔王……もう帰っちゃうの? (12:35)』
『管理人……もみじさん、またきてねー(12:35)』
鳳城はインターネットから抜け出した。
昼休み。学食はいつも以上に大盛況だった。1週間後にテストが控えている為、学生達はしっかりと学校に来ていたからだ。また、この日は天気も思わしくなかったせいもあり、こんなにも人が多いのだろう。
コンピュータサークルの人間は、そのほとんどが部室で食事をとっていた。学食はいつも大入満員で、席を確保するのが至難の業だからだ。
鳳城もその1人で、同期で親友の鷲澤多摩美と食事を共にしていた。鷲澤とは同い年であるが、鳳城はこのサークルに後から入部してきたので、サークルに関しては鷲澤の方が在席期間は長い。また、彼女は去年の10月にようやく内定を1社勝ちとったので、就職活動に関しても先輩だった。だからサークル内のトラブルや就職活動の相談などは、いつも鷲澤にしていた。
「まだまだ大丈夫だって。私聞いたけど、卒業ギリギリになって決まった人もいるんだって。だから楓も頑張りな。必ず受かるから」
鷲澤は薄っすらと茶色の入ったストレートロングを束ねると、うどんを頬張った。彼女は赤い皮のジャケットに同色の皮のミニスカート、そして暑底ブーツを履いていた。腕には高そうな時計にブレスレット、首にはネックレスを垂らし、耳にはピアスをつけていたが、鳳城と同じくらいの薄化粧だ。但し、眉は綺麗に描かれていたのだが。
初め鳳城は、そんな彼女がどうしてコンピュータサークルにいるのか不思議だっだ。コンピュータというと、どうしても暗くて真面目でインドアというイメージがある。そんな偏見を持っていたから、鷲澤のことをそう見てしまったのだ。
しかし、実は鷲澤は、鳳城よりもコンピュータの知識と経験が豊富だった。鳳城が初めてパソコンに触れる頃、彼女は当たり前のようにインターネットやチャットをしていたし、鷲澤が内定をとったのはコンピュータ会社ということからも、彼女はコンピュータが好きであるというのが納得いく。
「でも、私自信ないよ。だってもう50社以上まわったのに、一度も最終面接まで行ったことないんだから」
「誰だってそうよ。自信ある奴なんていないんだから」
「最初は自信満々だったのに。はっきり言って甘く見てたからね、就職活動を」
「そうなの?」
「世間は、就職率は最低だとか言ってるけど、私は他人事だと思ってたから。自分は絶対に受かるって勢いで行ってたからね。でも、そんなに甘くなかったね。そんなに自信のあった奴が、結局最後まで残ってるなんてね」
鳳城もそばをすすり上げた。
鷲澤は暖まった缶コーヒーを喉に流し込むと言った。
「私は、絶対就職なんてできないって思ってたからね。ほんと、世の中うまくいかないよね。自信がなかった奴が決まっちゃうなんて」
「ほんと、いつになったら決まるんだろう」
2人の会話はそこで途切れ、暗い雰囲気になった。
「何とかなるって。それよりさ、オフ会に行くんだって?」
鷲澤は気を遣ってくれたのだろう。明るい話へと持っていってくれた。
「まだ迷ってるんだけどね」
「行ってきなよ。面白いと思うよ」
鷲澤は何度もオフ会に参加しているので、その楽しさがわかるのだろう。
「だけどさ、チャットでしか話したことないんだよ。どんな人がいるのかわかんないから、なんか恐いんだよね」
「そのチャットのメンバーって、もう何回かオフ会開いてるんでしょう? そういうとこなら大丈夫だって。何回もやってるってことは、みんな仲がいいってことなんだから」
「まぁね」
「行ってくれば、また新たな発見があると思うよ。私が行ったとこなんか面白かったよ。もう30年もフリーターやってる人とか、就職したけど社長を殴って辞めちゃった人とか、いろんな人がいた。就職活動の悩みなんて吹っ飛んじゃうから」
その話を聞いているうちに、鳳城の気持ちは決まりつつあった。さっきもチャットの常連から励まされたことだし、鷲澤もそう言ってくれたし、これは1回行ってみる価値はある。
「よし。じゃ、行ってみよう」
「いつやるの?」
「確か、今週の土曜だったと思うけど」
「もうすぐじゃん。来週からテストあるんだから、深酒はやめなよ」
「私はね、もう2教科しかないから全然大丈夫」
鳳城は余裕の表情をして見せた。
「くそー、やるなこいつ」
そうして2人は最後のおつゆを飲み干した。
*
正規の授業は残り2日間となった。明後日からはテスト期間に入る。校内はいよいよ緊迫した雰囲気になってきた。今度のテストで、ある者は単位数に頭を抱え、ある者は留年で頭を抱え、ある者は卒業できずに頭を抱えることになるだろう。学年末試験はどの学校でも運命の分かれ道である。
鳳城はそれのどれにも当てはまらなかった。頭を抱えなければならないのは、学校を卒業した後だ。
しかし、この日はもう1つ、目の前の問題に頭を抱えていた。
鳳城は駆け足で校舎に入り階段を駆け上がると、ドアを荒々しく開けてサークルの部室に入ってきた。それを見た鷲澤は、ニコニコした顔で近付いて来た。
「楓、どうだった? おとといはオフ会だったんでしょ?」
しかし、鳳城は何も言わず席に着くと、パソコンの電源を入れた。
「どうしたの? なんかあったの?」
鷲澤の心配をよそに、鳳城はインターネットに接続した。
鳳城は急いでいつものチャットのホームページに行き、何かを確認すると背もたれにもたれかかった。
「やっぱりだ!」
「どうしたの? なになに?」
鳳城は腕を目に当てて泣いている仕草をしながら、悔しそうに呟いた。
「間違っちゃったよ、オフ会の集合場所」
「えー!」
さすがに鷲澤も驚きの色を隠せないようだ。
「楽しみにしてたのに。1人でバカみたいに2時間も待ってたのに」
「ああ、もう何やってんの。せっかくのオフ会が」
「もういい。オフ会なんて絶対行かない」
すると、授業開始のチャイムが鳴った。
「そんなこと言わないで、また次行けばいいじゃん」
「ガッカリだよ」
「じゃ、私は授業あるから」
そう言い残すと、鷲澤は部屋から出ていった。教室には何人かいたが、あまり馴染みがなかったので、仕方なく1人でインターネットを続けることにした。
鳳城は、しばらくチャットの様子を眺めていた。最初は3人だったが、1人抜け2人抜けで、ついには誰もいなくなってしまった。それもそのはず、昼間からインターネットやチャットをやっている者は少ない。この時間帯にやっているのは、暇な学生くらいだ。
誰もいないチャットルームを見ていたって面白くない。鳳城はそのホームページを出ると、自分の大学のホームページに行ってみた。誰からかメールが来ていないかチェックする為だ。しかし、未読メールは1通も無く、寂しい思いをしただけだった。
この大学は入学時に、学生1人ひとりにメールアドレスを与えている。また、先生1人ひとりも持っているので、意見があればメールを出すことも可能だ。
彼女は今度は、映画会社のホームページへ入った。今上映中の映画の宣伝だとか、これまでヒットした歴代の映画トップ100というコーナーがあった。しかし、どれも興味を惹くものがなかったので、そのホームページも出ることにした。
考えてみると、今はオフ会に参加できなかったショックで何もやる気にはならなかった。こんなものを見ていても、気が晴れる状態ではない。だから最後に、もう一度大学のホームページに入り、メールをチェックした。すると、未読メールが1通来ていた。だが、メールのタイトルがなく、送り主のメールアドレスは見たことのないものだったので、誰からのメールなのかわからなかった。
鳳城は首を傾げてそのメールを開いた。
ところが何とも悲しいことに、そのメールが、鳳城が罪を犯してしまう発端となったのである。
2
いよいよ、4年生にとっては最後のテストが始まった。学生にとっては、テストが早く終わればその時点から春休みに入る。だからうまくいけば、春休みも夏休みと同じ期間の長期休暇となるのだ。これで修得単位が卒業必要単位数を満たしていれば、無事卒業である。
しかし、鳳城には春休みなど無いに等しかった。テストが終わって単位を修得して卒業できたとしても、一体この先何が待っているというのか。何もない。あるのは、親の嘆きと絶望感だけ。今まで大学で何を学んできたのかと聞かれたら、彼女は自信を持ってこう答えるだろう。簡単に人を信用してはならないと。あのメールが送られてきて以来、友情なんて形だけなんだ。誰も彼もそうなんだ。と、思うようになってしまったのだ。
だから鳳城は、そのショックから就職活動をまともに続ける気力がなくなってしまった。本当に人間はそんなものなのか。そうだとするなら、苦労して就職活動して、仮に職に就けたとしても、うまくその中でやっていけるかどうか自信がなくなってきた。
鳳城は、テストは2科目しかないが、サークルに顔を出しに来る為と、家にパソコンがないのでメールをチェックする為に、もうほとんど来なくていい学校に一応来ていた。
今日もまた、いつものように暗い表情で部室に入って来た。
「鳳城さん。どうしたんですか? 元気出して下さいよ」
後輩の諏訪が慰めてくれた。
「ごめんね。暗い顔してた?」
「してますよ。確かに、就職活動が順調じゃなくて辛いのわかりますけど、でも、まだどこか入れる所があるかもしれないじゃないですか。だから最後まで諦めない方がいいと思います」
しかし、今の鳳城には、諏訪の気持ちが素直に受け取れなかった。もしかしたら、彼がそう言ってくれるのには何か裏があるんじゃないかと。だから、そんなことを思ってしまう自分に必死に鞭を入れた。
いや違う。裏なんてない。彼は本当にそう思ってくれているんだ。彼に限ってそんなこと思っているはずがない。
鳳城は自分自身と闘っていた。
だから何とかそんな自分を振りほどこうと無理して笑顔を作り、積極的に話に参加することにした。
「大丈夫。みんな何の話してたの?」
「昨日のドラマについてです」
「ああ、私も見たよ」
鳳城は輪の中に入ってお喋りを始めた。
「あっ、楓、来てたの?」
鳳城は振り向くと、鷲澤が入ってきた。
「う、うん。ちょっと顔を出しに」
「いいよね、楓はテストないから。私は今日、まだもう1つあるんだ」
「そう」
「なんか投げやりじゃん。どうしたの? 今日の楓、なんか恐いね」
鷲澤の顔を見ていると、やはり自信がなくなってくる。どうしてこんなに平然と話しかけてこれようか。彼女の心の内がさっぱり読めない。一体、彼女は何を考えているのか。
その場の雰囲気に耐えられなくなった鳳城は、鷲澤を視界から消す為に教室から飛び出すしかなかった。
「じゃあね」
鷲澤は彼女のその冷たさに驚き、出て行ってしまった鳳城を追いかけた。
「ちょっと待ってよ。なにがあったの?」
階段の踊り場で彼女を捕まえると、鷲澤は腕を組んでもう一度聞き直した。
「どうしたの? いつもの楓らしくないじゃん。内定もらえないから、おかしくなっちゃったの?」
鳳城は重たそうな口をようやく開いた。
「最初から内定なんてもらえないよ。私、もう就職活動やめたから」
鷲澤は首を傾げた。
「なんで? 諦めたの?」
「もうやる気がなくなったの。多摩美は内定とれたのに、私はとれないから」
「えっ? 何言ってんの? どういうこと?」
鷲澤は驚いた。今の鳳城の発言は、かなり失礼な言い方である。
「それは何? こんな私が内定とれたのに、自分はとれないからっていう意味なの?」
「そうよ」
鳳城はきっぱりと答えた。だからその歯切れのいい返事に腹が立った鷲澤だった。
「な、なんなの、あんた。それは失礼じゃないの? 私が内定もらえたのはおかしいって言うの?」
「そうよ。どう見たっておかしいじゃない」
「ふざけないで! 大体、内定もらえないのは自分のせいじゃない。そんなヒガミはやめてくれる? まるで私のせいであんたのやる気がなくなったって言い方じゃん! それはあんたの問題でしょ! 人のせいにしないで!」
そう怒鳴り散らすと、鷲澤は部室に戻った。だが、彼女は知らなかった。1人残された鳳城の手が拳になっていたことを。知っていたとしても、その握り拳が何を意味するのかまではわからなかっただろう。
最終話 さらば卒業生~事件編①【完】