ついに『ゆかなん』さんの生収録が……
腕を縛られ目も塞がれた哀れな男こと、俺(柏木篤)は、朝奈さんが俺の腕を持って誘導することによって、なんとか家の中に入ることができた。
「玄関だから靴脱いで……って無理か。私が脱がすよ?」
「あ、はい……」
なんだこの状況。ちなみに女子の家に一人で入るなんて経験は、俺はこれが初めてなのだが。その初めての経験が、こんなアブノーマルなことになるなんて思いもしなかった。
朝奈さんが俺の靴を脱がした。もたもたしながらも、なんとか玄関を越えて廊下を進む。
「あ、ここも段差あるよ、気をつけてね。はい、ここが私の部屋だよ」
段差を慎重に乗り越え、俺はどうやら朝奈さんの部屋にたどり着いたようだった。……なんにも見えないが。いい匂いがする。でもこれはファブリーズの匂いだと思う。
「ちょっとまってね〜。えっとー……はい、クッション置いたから座ってね。柏木君、こっちだよ、こっち」
朝奈さんに誘導され、クッションの上に座らされる。介護されてる気分を味わいながら、俺はクッションの上にあぐらをかいた。
「はぁ……緊張した」
俺も緊張している。だけどそれは、ときめくようなドキドキではない。腕を縛られ目を塞がれ、どうすることもできない状況である恐怖心からくる緊張だった。
こんなのが初めて女子の部屋に来た思い出だなんて認めたくない……。
だがしかし、今から『ゆかなん』さんの収録が生で聞けるのだ。こんな状況ではあるが、わくわくしてきた。
「今から収録するけど、今日は恥ずかしくないやつだから。質問回答の動画」
「おお!? 『ゆかなん』さんの質問回答コーナーは2ヶ月ぶり!! 俺の質問読まれるかなぁ!!?」
先ほどまでの不安感はどこへやら。めっちゃ興奮してきた。思わず声が大きくなる。
「ちょ、ちょっと柏木君! 興奮しすぎ!!収録中に騒いだらダメなんだからね?取り直しになっちゃうんだから」
「あっ、もちろん!! 絶対邪魔しないよ!『ゆかなん』さんの動画に邪魔な音声なんか、一つもいれさせやしないから!!」
「そ、そんな気合い入れなくていいから……もう」
そんなこと言われてもな。『ゆかなん』さんファンの俺には到底無理な話だ。
今から始まるのかな!? と、わくわくしていた俺に、朝奈さんが質問してきた。
「……柏木君は、なんでそんなに『ゆかなん』が好きなの?」
「え? それは『ゆかなん』さんの声も好きだし、癒されるし。それに、大学生活に疲れていた俺を救ってくれたんだ。大げさかと思われるかもしれないけど、本当に」
大学生活に意味を見出せず。何か価値のあることをやらなければと思っていた。そうでなければ、俺の今に価値はないと、そう感じて様々なことをやって自ら疲弊しまくっていた。
その状況を、『ゆかなん』さんの動画を見ることで救われたんだ。別に無理して頑張らなくていい。この動画を見られるだけで、俺は幸せを感じられるんだから。
それで俺は『ゆかなん』さんの動画にハマったし、応援しようと決めたんだ。
「救ったって……大げさやね、ほんと」
朝奈さんがボソッと呟く。その声は少し優しかった。
「じゃあ、今から収録するから、柏木君は喋っちゃダメだよ。物音もね」
「もちろん!!」
よっしゃあ!! ついに『ゆかなん』さんの生収録が聞けるぞ!!
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