心音ASMR、収録
「し、心音! 心音の動画撮ろっか、柏木君!」
「そ、そうだね!」
露さんが嵐のように登場し、嵐のように去った後、しばらく部屋はシーンと静まり返っていた。朝奈さんが思い出したように、収録のことを喋り出した。
朝奈さんが収録の準備を始める。今日は耳型マイクではなく、細長いマイクだった。リモコンみたいな形の先端に、音を拾うマイクがついている。
俺は朝奈さんから離れて、いつもの場所に座った。
「あ、ごめんね柏木君。はい、クッション」
腕の縛られている俺にクッションは運べなかった。別になくても構わないのだが、朝奈さんが気づいて持って来てくれた。
「ありがとう、朝奈さん」
「ええよ。心音は10分ぐらいで終わらせるから、いつもみたいにじっとしててね」
「ふふっ」
「な、何? 柏木君」
「まだ関西弁出てるなと思って」
朝奈さんは少し恥ずかしそうに、目をそらした。
「露ちゃんと喋ると、しばらく関西弁戻らんもん」
照れながら関西弁を喋る朝奈さんは、とても可愛い。朝奈さんは髪を指でくるくるしていた。
収録準備の終わった朝奈さんが、心音ASMR動画を収録し始めた。
「ゆかなんで〜す。今日は私の心音聞いてね」
やることは、朝奈さんが胸にマイクを当てて、じっとしているだけだ。部屋はシーンと静まり返っている。
俺を眠気が襲う。寝不足の身に、このゆったりした空間と時間は効きすぎる。しかし身じろぎすれば、音がマイクにのってしまう。俺は耐えた。
目をなんとか開けつつ、うつらうつらしているといつの間にか10分が経っていたようだ。
「今日はこれだけ〜。みんなまたね〜、ちゅっ」
『ゆかなん』さんの収録が終わった。朝奈さんが機材を片付け始める。俺は頬を叩いて自分を起こした。
「お疲れ様、朝奈さん」
「ありがと、柏木君。……えっと、この後時間ある?」
「へ? 空いてるけど」
収録のために、俺は土曜日をいつも1日開けていた。
「お昼食べる? 私の作った残り物でよければやけど……」
「えっ! いっ、いいの!?」
コクリと頷く朝奈さん。機材は無事片付け終わったようで、机の上は綺麗になっていた。
「あっ、でも腕があれだし……」
俺は腕が縛られているのだ。また朝奈さんに”あーん”してもらうのは、俺には刺激が強すぎる。
「腕、ほどいてあげるよ」
「えっ、でもそれは……」
「柏木君は、私を無理やり襲ったりする人じゃないでしょ? ……ちっ、違うの?」
困り眉で朝奈さんはそう言った。そんな可愛らしい感じで聞かれると、こちらも少し自信がなくなるのだが、当然そんな犯罪行為をするつもりはない。
「もちろん、そんなことしない」
自分への戒めも含めてそう答えた。朝奈さんにドキドキはしても、手を出してはいけない。俺は契約でここに来ているだけだし、『ゆかなん』のお手伝いのためでしかない。そのことを忘れてはいけないのだ。
「じゃあ、ほどくね」
朝奈さんが紐をほどき始める。俺はクッションの上に座ったまま、じっとしていた。距離が近くて、真後ろにいる朝奈さんの息遣いが聞こえる。
俺の手と、朝奈さんの柔らかくて暖かい手が、時々触れる。俺はさっきの戒めを反芻していた。
俺の腕の縛りがほどけ、自由になった。
「はい、外したよ。ごめんね、縛ってて」
真後ろにいる朝奈さんが、ほどけた俺の手首をいたわるように、スリスリと撫で始めた。俺は思わず声をあげそうになったが、ぐっと堪えた。
朝奈さんの手のひらの感触が伝わる。すべすべだ。10秒くらい撫でられた気がする。俺の手の形を確かめるみたいに、スリスリと。
「ご飯、温めてくるね」
朝奈さんが離れていく。自分の高鳴る心臓の音が聞こえるたびに、俺は戒めを思い出さなくちゃいけなかった。




