あーん
朝奈さんは俺からそっぽを向いたまま、無言で固まってしまった。
こういうとき俺はどうすればいいのか。俺は何か変なことをしてしまったんだろうか。
そう思っていたら、不意に朝奈さんが口を開いた。
「……お腹すいた。柏木君、ケーキ食べる? うち、バイト先がケーキ屋さんだから、時々ケーキもらえるんだ。」
「え、いいの?……欲しい」
気づけばお昼だった。お腹が空いていることに、俺は言われて気づいた。
朝奈さんが冷蔵庫から、ケーキ屋でよく見る箱を取り出した。机の上で開く。いちごのショートケーキと、チーズケーキだ。
「賞味期限は切れてるんだけどね。柏木君、そういうの気にする?」
「しない、しない」
見た目じゃ普通のケーキと変わりないし、美味しそうだ。朝奈さんはお皿とフォークを二つ机の上に置いた。テキパキとケーキをお皿にのせる。
朝奈さんは、普通に俺と目を合わせて喋ってくれた。そっぽを向かれていたが、嫌われた訳ではなさそうだ。安心した。
「柏木君はどっちがいい? 私はどっちでもいいの。どっちも食べたことあるからね」
「え。……じゃあ、ありがたくチーズケーキで」
俺はクリームがそんなに好きじゃないのだ。
朝奈さんが俺の前に、チーズケーキがのったお皿とフォークを置いてくれた。
「はい、柏木君。どうぞ」
「えっと……朝奈さん。腕が……」
俺の腕は縛られたままだ。フォークなんか持てるはずもない。
「あ……えっと……」
朝奈さんは俯いて考え出した。朝奈さんの目線が、俺とケーキを行ったり来たりしている。
「俺はケーキ、別にいいよ。そんなにお腹空いてないし」
お昼を抜くことは結構あるので、俺は平気だ。腕を解くのは、朝奈さんが俺を信頼してからでいいと思う。実際、今日は腕を縛られていなければ、俺がその場の衝動に負けていた可能性もなきにしもあらずだ。
……また朝奈さんが固まってしまった。朝奈さんは目をつぶって、唇を噛んで……っ!?
——突然、俺の真横に朝奈さんが座った。
「あ、朝奈さん!? 何を……」
朝奈さんは俺の質問を無視したまま、チーズケーキに手を出し始めた。俺のフォークでチーズケーキを崩し始める。な、なんだ。チーズケーキを食べたかっただけか。びっくりした……。
「あーん」
「!!?」
朝奈さんがチーズケーキをフォークに刺して、俺の口まで近づけてくる。こぼさないよう、もう片方の手をフォークの下に添えながら。
待ってくれ朝奈さん。俺の理解が追いついていない。
「あっ、朝奈さん!? 何を!? これは……!?」
「違う、柏木君。これはお礼だから。ネタを考えてくれたお礼。だから、あーん」
そう言いながらも、朝奈さんの頬は赤い。絶対朝奈さんも恥ずかしがってる。
「いやいや、ちょっ、朝奈さん!!? これはさすがにっ!?」
「むぅ……」
朝奈さんは眉をしかめて、頬を少し膨らませる。俺がその可愛さに少し見とれていると、朝奈さんは俺の耳元にぐいっと顔を近づけた。
「柏木君、あーんして? 『ゆかなん』からのお願いだよ? 聞いてくれないの……?」
朝奈さんが、『ゆかなん』さんの囁き声でお願いしてきた。無理無理、こんなの絶対無理だ。これを拒否できるなら、『ゆかなん』さんのファンじゃない。
「はっ、はい……」
俺はおとなしく口を開けた。朝奈さんはフォークで、チーズケーキを俺の口の中に運ぶ。
「美味しい?柏木君」
「お、おいしい、です」
朝奈さんは俺の耳元に顔を近づけたまま、ケーキを俺の口に運ぶ。ずっと『ゆかなん』さんの声で話しかけてくる。
「……ふぅ」
「う!!?」
朝奈さんが耳に息を吹きかけてきた。ぞわぞわする。俺の頭が沸騰したまま、冷めない。
「ねえ、柏木君は今日みたいに『ゆかなん』にお掃除、してもらいたい?」
「うっ!? えっ!!?」
「……今から、してあげようか?」
だっ、誰か。誰か今の状況を解説してくれ。俺の頭はどうにかしてしまった。マジで腕が縛られててよかった。体がどう動くか、自分でもわからない。
——ちょん、と、朝奈さんの指が俺の頭を小突いた。
「じょうだん、冗談だよ」
朝奈さんは俺の耳元から離れて、いつもの声でそう言った。
朝奈さんは何事も無かったように俺の隣から離れ、黙々とショートケーキを食べ出した。
俺は脳みそがどこかに飛んで行ってしまったようで、まともに思考が働かなかった。ショートケーキを食べ終えた朝奈さんに「今日はありがとう」と言われるまで、帰ることすら忘れていた。
玄関の扉を朝奈さんが開けて、扉の外で朝奈さんが俺の腕の縛りを解く。腕が解放されて、朝奈さんが俺のカバンを手渡してくれた。
「また、来週よろしくね。バイバイ」
朝奈さんが手を振った。脳みそが行方不明な俺は、素直に手を振り返す。俺が見えなくなるまで、朝奈さんは手を振っていた。
俺はチーズケーキの味なんか覚えちゃいなかった。
こんな感じの雰囲気で進めていくので、肌に合う方は良ければ評価やブクマよろしくお願いします




