煩悩との戦い
真っ赤な頬にうっすらと汗を滲ませながら、耳の形をしたマイクを舌でくちゅくちゅ音を立てて掃除する美少女、朝奈さん。綺麗で柔らかそうな唇から、赤い舌がチロチロと伸びて耳型マイクを舐めていく。
これで興奮するなという方が無理な話ではないか。しかし、俺が下手に動けばマイクに音が乗って、『ゆかなん』さんの収録が台無しになってしまう。それだけは避けなければいけない。
冷水があれば被りたかった。とにかく今は、自分の火照った頭をどうにかしたい。
「んっ……えへへ、気持ちいい? 君の耳、食べちゃお〜……はむっ」
耳型マイクをパクりと口に含む朝奈さん。もう、俺の思考をぐちゃぐちゃにするのは止めてくれ……。
朝奈さんは耳型マイクを食べるみたいに、パクパク口を動かす。んっ、とか、はぁ、とか。そんな吐息をこぼしながら。
修行だ。これは修行なんだ。煩悩は消えろ。俺は身じろぎひとつしてはいけない。『ゆかなん』さんのためだけを思って、頷きマシーンへと進化するんだ。
「んぅ……」
すぅっと、朝奈さんの唇とマイクの間に、透明な唾液が一つ糸を引いた。……誰か俺の頭を108回殴ってくれ。
「こっちの耳は撫でてあげるね〜」
朝奈さんは反対の耳型マイクを、指で撫でだした。
朝奈さんの目は真剣そのもの。集中していて、本当にいいものを収録しようとしているのが伝わる。俺もせめて誠実でいたい。朝奈さんに対しても、『ゆかなん』さんに対しても。
もうすぐ30分だ。終わりは近いはず。
「気持ちよかった? またしてあげるね。おやすみ、ちゅっ……」
朝奈さんがマイクと録画を切った。どうやら終わったようだ。俺は30分が3分に感じた。いや、本気で。
「お、お疲れ様……」
「あ、ありがとう、柏木君……」
頭が冷静でない自分が出せる、精一杯の言葉だった。
朝奈さんは機材の片付けをしながら、俺に背中を向けている。収録が終わってから、まだ目を合わせてくれない。朝奈さんの耳が赤いのだけは見える。
無言が続く。朝奈さんと、どうやって喋ればいいのかわからない。
「……あ、ネタ。ネタを見せて欲しいな、柏木君」
「あ、ああ! メモしてるから、今から出すよ。って、出せないけど」
朝奈さんが沈黙を破る。俺はさっきの収録の衝撃で、手が縛られてることを忘れてた。
朝奈さんに、俺のカバンからメモを取り出してもらう。
「こっちきていいよ。机のとこ」
「おっけ」
朝奈さんは俺が座っていたクッションを、さっきまでマイクが乗っていた机の側に移動させる。俺もそこに移動した。
「えっと、ネタありがとう。見るね」
そういう朝奈さんが耳元の髪を軽くかきあげて、俺のネタが書かれた紙を見始める。
いまだに、朝奈さんの耳は火照ったままだった。




