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『ゆかなん』さんはそばにいた

大学生の気怠い生活。昼夜逆転当たり前、バイトは夜勤連発。そんな生活を繰り返していれば、心も体も崩れてしまうのは当たり前で。


俺は人生の全てに疲弊していた。


そんな俺を救ってくれた存在がいる。その人の名前は『ゆかなん』さん。


耳元で囁いたり、耳かきをしてくれたり。ちょっとHな吐息も混ざりつつ、耳が蕩けるような可愛らしい声で俺を癒してくれる。‥‥‥そんなASMR動画を、YouTubeに投稿してくれている動画投稿者さんだ。


『ゆかなん』さんによって、俺は人間らしい生活を取り戻したと言っても過言ではない。

 夜に『ゆかなん』の声を聞いてぐっすり眠り、朝は『ゆかなん』さんのおはようの声で心も体も健やかな気分で一日を始められる。


『ゆかなん』さんの力で、俺は生きているのだ!!





行きたくもない飲み会って、大学生の中で一番無駄な時間じゃないだろうか。


俺は心からげんなりしていた。がちゃがちゃした音と、騒ぎたいだけの雰囲気に。


サークルの飲み会。ボランティアで子供と遊ぶだけのサークル。だけは失礼か、子供相手は真剣にやってる人が多い。それでも遊びたがりの大学生。飲みやカラオケで騒げば、皆同じ人種になる。


俺はどうも馴染めなかった。


俺は逃げるようにトイレに行く。ろくに出ないしょんべんを済ませて、トイレを出た。



「あ、柏木君じゃん」


「おお、朝奈さん、久しぶり」



トイレから出た俺が、ばったり会った人物は朝奈さん。サークルの活動にあんまり参加していない。(俺もそう)

 性格は上品なイメージがある。例えばトイレの後に、きっちりハンカチを取り出して手を拭いている所とか。何気ない所作の一つ一つが、上品さを持っている、そんな女性だ。


まあ、ろくに喋ったことはないのだが。俺の一方的な感想だ。



「私、活動あんまり来てないから、馴染むの大変だよ〜」



ゆるふわな雰囲気と、それに似合うウェーブのセミロング。それらを揺らしながら、俺に微笑みかけてくる朝奈さん。ついでに胸も揺れていた。



「はは、俺も全然サークルに来てないから、大変だよ」



なんとか朝奈さんの胸に、視線が集中するのを避けつつ返事を返す。



「柏木君も一緒か〜、ふふっ。‥‥‥私、用事があって、早く帰りたいんだよね‥‥‥言い出しにくいんだけどね」



チラリと俺の様子を伺うような朝奈さん。そういうことか。一人だけ先に帰りますって、言い出しづらいもんな。

 ちょうど俺も用事があった所だ。今日は『ゆかなん』さんの動画が投稿される日なのだ。これは二人して帰らざるを得ないな。





付き合ってんのかー?なんて冷やかしを受けつつ、俺と朝奈さんは飲み会を脱出することに成功した。飲み会のそういう感じが俺はげんなりするんだ。



「ふふっ‥‥‥わかる」



飲み会への悪態が声に出ていたみたいで、朝奈さんに聞かれてしまった。ただ、思う所は同じだったようで助かった。



「私も飲み会苦手なんだよね。柏木君いてくれて助かったよ〜。本当にありがとう」


「いやいや、俺も帰りたかったし。こちらこそありがとう」



俺と朝奈さんの向かう駅が同じで、自然とそこまで一緒に帰る感じになった。夜の歓楽街を、朝奈さんと二人きりで帰ることになるとは思いもしなかったな。


そう思うと少し緊張してきた。朝奈さんは間違いなく、美女に分類される人物だ。たしか大学の美女コンテストみたいなやつにも選ばれて、出るのを断ったみたいな話を聞いたことがある。



「そういえば、柏木君の用事って何なの?帰りたかっただけ?」



くすくす朝奈さんが笑う。美女が笑うと絵になるな。



「あー、用事あるといえばある。……動画が見たいだけなんだけど」


「へぇ〜、動画?」


「うん。YouTubeの」


「……あ〜、YouTubeね」



なんか朝奈さんの反応が悪くなった気がする。話題を間違えたのか?



「朝奈さんはYouTubeあんまり見ないの?」


「あっ、いや私もよく見るよ〜。えっと、猫とか犬とか出て来るやつ」



動物系か。俺も時々見るから話題にできるかもしれない。朝奈さんと付き合いたいとかそういうのではないが(俺なんか釣り合わない)、せめて印象を良くはしておきたいからな。来ても空気が悪くならない人間であること、それがサークルでほどほどに居場所を確保する重要な要素だ。



「俺もこういうの最近見たよ。動物の動画は癒されるよね」



信号待ちの時に携帯を取り出す。俺が最近見た動物系の動画を朝奈さんに見せた。



「あっ、可愛い〜!私もこの投稿者さん知ってるよ!私もおすすめの動画あるんだ!」



よしよし。朝奈さんの反応が良くなった。印象アップだ。朝奈さんも同じように携帯を取り出して、俺にYouTubeの画面を見せてきた。



「はら、この投稿者さんもいいんだよ〜。この動画も〜……あっ、信号青だよ!いこ!」


「あっ……うん」



俺は驚愕していた。静かに。心臓がばくばく鳴り出している。動物の動画に対してでも、朝奈さんと動画を見ていた時の距離が近かったからでもない。


——アイコンが。俺のよく知るアイコンだった。『ゆかなん』さんのアイコンと同じだった。おかげで動画の内容なんかこれっぽっちも覚えていない。


『ゆかなん』さんのファンなだけではないか。そう頭が否定しようと頑張っているが、俺は全てが繋がってしまった感覚をごまかせずにいた。


声が『ゆかなん』さんとちょっと似ているなと思っていた。『ゆかなん』さんは顔出ししていないが、動画には胸元だけ写っている。『ゆかなん』さんと朝奈さんの胸のサイズが、一緒ではないかと思ったことがある。『ゆかなん』さんが着ていた服と同じものを朝奈さんが着ていて、俺は一人でテンションが上がっていたことがある。



(マジで、これは、『ゆかなん』さんじゃないか!!?どっ、どうする。聞いてみるか!?いや、でも……)



最後の一押しが欲しかった。



「あっ、朝奈さんの下の名前って、何だっけ」


「えっ?急に何、柏木君。ゆ、ゆうか、朝奈 悠花だよ」



あさな、ゆうか……。ゆうか、あさな……ゆかなんってあだ名がついてもおかしくないな。


もうすぐ駅のホームに着く。隠しておけば何の問題もない。今までの関係が続いて、俺はサークルで平穏に生きれるだけだ。


……が、どうしても隠しておけなかった。俺の心の中は大荒れで、もしかしたら『ゆかなん』さんなのかもしれない、なんて不安定な状況のままでいたくなかった。このままで次に朝奈さんと会った時、本当に挙動不審になってしまうだろう。はっきりさせたかった。違うなら違うで、俺は安心したいのだ。



「駅ついたね〜……どうしたの、柏木君?」


「あっ、朝奈さん……」



俺の雰囲気を察して、朝奈さんは緊張感のある顔になる。俺の口から、耐えきれなかったように言葉が飛び出てきた。



「朝奈さんって、もしかして……ゆっ、『ゆかなん』さん?」


「——っ!!?」



朝奈さんは目を丸くさせて固まってしまった。数秒して、朝奈さんは俺から思いっきり目をそらした。



「なっ、なっ、何の話……?だっ、誰それ……」



朝奈さんの声が震えまくっていた。



「ASMR動画をあげてる人……朝奈さんに似てるなって思って」


「うっ……」



……沈黙。1分ほど経って、俺から目をそらしたまま朝奈さんは口を開いた。



「なっ、何でわかったの……」


「アイコンが一緒だった。あと、前から似てるなって」


「……そっか。……うう、失敗したなぁ」



朝奈さんが頭を抱えて唸り出した。俺は別に困らせたかったわけじゃないのだ。フォローがしたい。



「い、いや、ずっとファンだったんだ、『ゆかなん』さんの。スパチャも投げるくらい……」



スパチャとは、動画を配信している人にお金をあげれるシステムのことだ。『ゆかなん』さんはあまり配信しないが、俺はスパチャを必ず投げていた。毎回2000円くらい。ソシャゲに重課金している人に比べればマシな金額だろう。



「もっ、もしかして、毎回いる柏木って名前でスパチャしてくる人って……」


「あっ、それ俺。本名でスパチャしてる」


「あれ、柏木君だったの……わ、私変なこと言ってないよね!?」


「大丈夫……だと思う」



朝奈さんだと思って聞いてなかったからな。朝奈さんだと思って聞き直したら、あるのかもしれないが。朝奈さんがゆるふわ清楚女子なら、『ゆかなん』さんはちょっとエッチなお姉さんって感じだ。イメージが全然違う。


いつの間にか、朝奈さんは俺のことを全力で見つめてきていた。いや、軽く睨まれていた。迫力があって正直怖い。今の雰囲気はゆるふわ清楚女子ではない。今の朝奈さんは殺気が出ている。



「ぜ、絶対言わないで、柏木君……もし言ったら、あんたを殺して、うちも……し、しぬから……」



殺気が出ているというか、マジで殺す気じゃん。しかも関西弁が出ている。関西出身だったのか。『ゆかなん』さんの関西弁が聞けたって考えると、めっちゃレアじゃん。いや、そんなことより、何か言わないとマジで殺されないまでも、今後のサークル活動に影響が出そうだ。


俺は自分の平穏な大学生活を最後まで保ちたいのだ。



「大丈夫、絶対言わない」


「う、嘘。信じられへんよそんなの……絶対言う……」



こんなに信用無かったのか俺は。少しショックだ。



「約束する、本当に言わないっ!本当に『ゆかなん』さんのファンだから、活動の邪魔になるようなことをするつもりなんかないんだって!!」


「そっか……ファン、なんだよね……」



朝奈さんはぼそりとそう呟いた。朝奈さんの鋭い目が俺を見つめてくる。



「契約をしよう、柏木君」


「け、契約?」


「『ゆかなん』の収録を見せてあげる。その代わり、私が『ゆかなん』だってことは絶対言わない。……そういう契約にしよう、柏木君。『ゆかなん』のファンなんでしょう?これ以上の報酬はないよね?」


「……え」



『ゆかなん』の収録しているところが見れる?マジで?



「いっ、いいの?本当に収録見せてくれるの?」


「いいよ。その代わり、絶対言わないでね。守ってくれへんかったら……」



怖い怖い。マジで殺気が出ている。言ったらマジで何をされるかわからない迫力は伝わった。



「わかった。契約するよ、朝奈さん」


「……じゃあ、契約成立やね。ライン交換して?あとでライン送るから。また大学で。私あっちの電車だから、さよなら」


「さ、さよなら……」



契約って……。なんだか朝奈さんとの仲が悪くなったのか、良くなったのかわからない。いや、最後のサクサク処理される感じは、関係が悪くなったというべきかもしれない。


俺の平穏な大学生活を考えると、言わない方が良かったのかもしれない……。でも正直ラッキーだと思っている。『ゆかなん』の収録見れるなんて、最高なんだが……!!



——その夜、俺の元に朝奈さんからのラインが届いた。



『契約書面、勉強して書いて印刷しました。また大学で会ったらサインをお願いします』



……ガチじゃん。俺はとりあえず、『了解です』って送ることにした。

面白いと感じた方は、ぜひブクマや高評価をよろしくお願いします!

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