10元傭兵と妖精は追われる
廃屋から出ていったのはあの鹿肉の煮込みシチューを作ってから更に二日経った後だった。
というのも事はシャンタが森にある道を発見した事から始まる。
朝になっても雨が降り止まないのでシャンタは近くの荒れた畑に使えそうな野菜がないか探していた。
ふと中腰の体制から上を向いて汗を拭った時、ここからでも見える大きな【テナ山】の方向に道がある事に気づいた。
気になって調べてみると、これが大当たり。
【ワンジャ→カーリン】と書かれた看板が近くに立っており、この道を歩けば最初の目的地へと辿り着けそうであった。
拠点としている廃屋に戻りクーシャと情報を共有し薄気味悪いこの集落から雨が止みしだいに離れると伝えた。
ぴょんぴょん飛び跳ねながら喜ぶ彼女の姿は大変可愛らしかった。が、シャンタはその姿を見て治りかけの傷が痛くないのかとずっと心配していた。
そんなクーシャはその日家の中を探索して使えそうな物を拝借し、寝室にある藁ぶとんの周りに置いてはそこで休憩をしていた。
魔術が発展して物流が良くなったとはいえ農村であった集落には藁ぶとんしかないのだ。
そして、クーシャにとってはシャンタの心配するような態度が気に食わなかったなかったのか、その上に更に勢いをつけて飛び跳ねまくった。
ホコリが舞に舞ってシャンタのくしゃみが止まらなくなったので漸くクーシャの溜飲が下がったのだが、ついぞシャンタは何故彼女がそこまではしゃいでいるのか理解ができなかった。
翌日も子供を見るような目を向けてホコリを舞わせる事になるのだが、それはシャンタが気が付かないのが悪い。
廃屋生活二日目昼のご飯はくず野菜と干し肉の戻しのシチューだった。
ぶどう酒煮込みの美味しさには敵わなかったがそれでも二人は満足した。
その日の夜は近くをうろついていた鹿の魔獣の肉と野菜のシチューだ。
これもまた美味しいのだが何故シチューばかりなのかクーシャは疑問に思った。
三日目の昼は野菜がメインのコンソメ風スープ。
これも美味しいが、美味しいのだが作り方がシチューなのだ。そのせいで風味こそ違うものの同じ材料であるため昨日の夜と味が変わらなくなってしまっている。
そして晩ごはんは……肉と野菜のシチューだった。
ここまでくるとクーシャでも分かってしまった。
シャンタはシチュー以外満足に作れない、と。
昼晩の二食だけとはいえ三日目連続してシチューなのだ。気が付かないほうがおかしかった。
もっとお肉を使った別の料理も作れそうなものなのに、シチューなのだ。
野菜だって形は悪いし手入れがされていなかった為に味も落ちているが沢山あった。しかし、シャンタが作るものはシチューなのだ。
確かに美味しいし、飽きないように味も毎度変えてきてくれる。
だが、シチューである。
スープも作り方から既にシチューに侵されているためほぼ同じ味と見た目になってしまっていた。
このままクーシャがシャンタと共に旅をするのなら確実にシチューにトラウマを植え付けられていただろう。
身長故に料理の出来ないクーシャは他の料理も覚えさせようと次の街で料理本を買おうと固く決意したのだった。
雲はいくつか見えるが快晴である。蹴破った扉の前の二人の事をお天道様がニッコリと山々の上から見下ろしている。
出発の日の朝は晴れていた。
雨は集落に来てから三日目の夕方に上がったが地面はぬかるみ森の中を歩くには危険であるとシャンタが判断して次の日に回していたのだ。
クーシャがバックパックから顔を出してシャンタの頭を叩きながら、
「シャンタ!今度こそ私の魔術で揺れないようにしてやったわ!全力で走ってみなさい、この魔術の天才と呼ばれたあたしの努力の結晶と勝負よ!」
と勢い良くシャンタに勝負を持ちかけてきた。
なにせ彼女は今日の出発のためにバックパックに刻まれてある『保存』『耐衝撃』の両方を一から構築し直し、更に多くのプロセスを加えて複雑化させて妖精族の秘技まで使用して強化したのだ。
白い魔霊石が数個割れてしまう程に莫大な魔力を消費したそれらはクーシャの人生で一番上手く出来ていた。
当然自信満々であり、こうしてシャンタに宣戦布告してきたのだ。
何か部屋でやってるなーとしか思っていなかったシャンタはびっくりして尻尾の毛が逆だっていた。
「え、何!?ただ走ればいいのか?」
「そ!絶対に中は揺れないし、地面にぶつかったとしても痛くないはずよ!全力でやって頂戴!」
そう言って胸を張る姿を見ているとシャンタもワクワクして来てしまった。
地図を見る限りは二日間かかりそうだが全力で行けば……もしかすると一日でつくんじゃないか。
カーブもいくつかありそうだが痛くないって言ってるし、地面スレスレまで傾いても大丈夫なんじゃないだろうか。
魔術の天才って凄いなぁ。
完全に買い被りすぎなのだが、そんな事には気づかないシャンタはクラウチングスタートの体制になる。
「全力で行くぞっ!!」
「まってました!いっけーシャンタ号!」
すっぽりとバックパックに入ったクーシャが合図を出すと、魔力を足の隅々に込めて脚力を強化し走り出した。
後ろ足が蹴られ少し水気を含む土が捲れ上がり廃屋へとぶつかる。完全に乾いた砂は粉塵のように舞い上がり土煙を残像のように残していった。
ぐんぐん加速する足を更に回転させていくと風が自分を拒んだように感じるが、無理やりこじ開けて加速する。
シャンタのネコ族の少ない魔力を殆ど動員し、持ちうる限りの全てを出し切って行った最初の加速を終えるとその速度のまま森の道へと入った。
要はめちゃくちゃスタートダッシュに成功したのだった。
そんな全力を出して走るシャンタの背には「いやぁあああ!?揺れるぅぅううううう!!」という甲高い悲鳴を伴っているのだが、音を置き去りにしかかっている彼には聞こえていないようだった。
暫くして道半ばでシャンタはヘロヘロになってしまった。
ペースを配分せずに全力を尽くしたのだから当たり前である。
まだまだ街にはつかないのに疲労困憊になっているシャンタはバックパックをおろし道の横に座る。
「ハァ……ハァ……クーシャ……どう、だった?」
返事はない。
「……あっれ……おーい、クーシャ?」
シャンタの頬に冷や汗が出てくる。
流石に走るのが速すぎたのかいや、まさか、と戦々恐々としながらバックパックを開けると、
「い、いきてるわよぉ……シャンタ……あんたやりすぎよ……しんじゃうかとおもったわ」
力なくグテーっと横たわるクーシャがいた。
ホッと胸を撫で下ろして横に座ろうとした瞬間、シャンタの耳が反応する。
疲れ切っているが低位の魔獣・魔物ならばこのままでも倒しきれるだろうが、万全を期すことは間違いではない。
集落の方向から聞こえた僅かな音は確実にこちらに向かってきている。
「ねぇ?どうしたの……なにかあった?」
「静かに、ちょっとな」
クーシャの口を指で抑え耳を澄ませていく。
距離は離れているが足音が幾つもしているため数匹の魔獣なのか、他脚の魔物かのどちらかだろう。
近づく音に更に注意して神経を研ぎ澄ます。
走る音の位置が違うものが四、いや五、六、七はいた。
少なくとも七匹、それも集団で狩りを行うような魔獣など狼の魔獣しかいなかった。
この状態で襲われでもしたら戦闘は厳しいものになるだろう。
荒れた息を水を飲むことで無理やり整えたシャンタは非常食の丸薬を飲み込みバックパックを持ち上げる。
いきなりの出来事に驚いたクーシャが疑問を口に出す。
「一体どうしたのシャンタ?あたしのバックパックがいけなかった?」
「いや、狼の魔獣が追ってきている」
「ほぇ!?」
「ちょっと不味いんじゃないの、この状況って……」と呟く彼女にシャンタは黙って頷く。
チラリと彼女の体を見るがやはり赤い傷跡は塞がったままだ。
これが傷から魔力を垂れ流している状態だったならば、魔獣が嗅ぎつけて来るはずだ。
小川で彼女が襲われなかったのは奇跡と云えるのか、それとも襲われた後だっただけなのかは定かでない。
二人が廃屋にいたときはそんな様子の魔獣などいなかった。少なくともシャンタは鹿の魔獣と小動物以外を鼻と耳で察知できていなかった。
となると……体の傷ではない?
“塞がっていない”魔力を垂れ流す何か。
シャンタは一つ思いついたかのようにクーシャの背を見る。
「な、何?」
そこには痛々しく破れ鱗粉が動きとともに落ち、宙に煌めきながら舞う、蝶の羽根があった。
シャンタが鼻を近づけて嗅ぐ。その鱗粉の魔力反応は……濃密だった。
何故気づかなかったのだろうか疑問に思うがすぐに水に濡れていたからだと分かった。
小川で出会った時も、その後の食事の時も、廃屋の中にいた時でも完全には乾いてはいなかった。
クーシャが家から外に出て雨に濡れてしまった事が発見をより遅らせてしまっていたのだ。
ともあれ逃げるしかないだろう、と足に魔力を込めようとしてもうんともすんともいかない。
この男、数分前に持ちうる全てを出して走った事を忘れていたのだ。
「っ!?」
「早く逃げましょ!!あたしでも足音が聞こえてきたわよ!すっごく近づいてきてるわ!」
「……クーシャ、落ち着いて聞いてくれ」
「お、落ち着いてるわよ」
「俺、魔力すっからかんになってるみたい。正直足の速そうな魔獣相手に巻けそうにないし逃げ切れるかも怪しい」
クーシャが大きく口を開けて間抜けな表情になった。
朝の終わりには追いつかれそうになり道を外れて森のけもの道へと足を踏み入れた。
それで何匹かの魔獣は減った。恐らくは先回りしようと道を真っ直ぐに進んでいるのだろう。
そのことにはシャンタはすぐ気づけた。だからこそこの獣道からは抜ける事は出来ないのだ。
今は走るしかない、体力は無駄にある。
まだ魔力は回復していなかった。
昼の始めには木の上を走り【テナ山】の方向へと向かった。
シャンタはネコ族のバランス感覚を活かすようにして木の上を飛び移りながら走るようにして移動した。
魔獣は彼の事を見失う……どころか更に距離を詰めてきている。
この辺りでシャンタは相手が異常なほどに速いという事に気が付き始めたが、疲れ始めた頭では相手はただの狼の魔獣でしかないと判断してしまった。
まだ魔力は微々たるものだ。
太陽が沈む頃には魔獣達は更に速度を上げシャンタ達に追いつきかけた。
夕日の日に目を閉じかけた後にすっ転んで木から落ちたのだ。その硬直の時間で魔獣は更に距離を詰め、既に彼らの攻撃が及んでくる範囲にまで追い詰められている。
ここで振り返ったシャンタは相手が名高き狼の魔獣【バロン・アス】だと漸く気づいた。
魔力はまだ回復しきっていない現状でそんな強そうな魔獣などと戦闘が出来るはずもなく、泣きながら走り始めた。
今は夜。
星々の上に煌々と光り輝く月の下で地面を駆る足音が幾つも聞こえる。
一つは大きなバックパックを背負い縦に横にと何かを回避しながら走るネコ族の青年、シャンタである。
今は木の上に飛び跳ね、片手で掴んだ枝を頼りに体をスイングさせて前へ飛んだ。
後ろから追いかけてくる四肢を騒々しくも大地を抉るように躍動させ駆けている魔獣【バロン・アス】である。
荒々しさと神々しさを感じさせるたてがみは白と山吹色に染め上げられ月の光を反射して軌跡を残し、朱の顔には象牙よりも大きな牙が覗いている。
その口元には淡く光る魔術印が浮かび、宙に魔力の塊が生成された。
一匹が顎を大きく開けると勢い良く魔力の塊はシャンタへ向かって飛んでいく、束の間の静寂の後大きな轟音と共に当たった木々が根ごと吹き飛んでいく。
そう、物語はここで合流する。
シャンタは体力は既に付きかけているが気力で踏ん張って走り続け逃げていた。
このままただで死んでたまるかという思い、それだけで体を動かして回避し続けていた。
希望はある。先程バックパック内のクーシャが吐きそうになりながら『感知』の魔術でこの辺りを探知したところ、先の方角に湖があるらしい事が分かったのだ。
開けた場所なら人がいるかも知れない、もしいなくとも湖に体を投出せば奴らは諦めて去っていくかも知れない。
やっと回復してきた魔力を使いながら後ろから飛んでくる魔術モドキの魔力弾を躱しては先へ進んでいく。
「……クーシャっ!後っ……どんくらいだっ!」
「もう少しよ!もう目と鼻の先くらいまできているわ!そこ右よっ!!」
籠もったクーシャの声が後ろから道を案内してくる。
彼女は自身の羽根が原因だと分かった直後に羽根を水で濡らし魔術を常に使ってシャンタの補助をしている。
体を構成する魔力は未だ回復の兆しがないが、こうまでシャンタに迷惑をかけるのは彼女の良心の呵責に苛まれたのだ。
クーシャの案内を聞いたシャンタは左手に迫ってくる木を蹴るようにして走る勢いをそのままに方向を右に変え、崩れてしまった体制を片手で地に支点を置いて直す。
まるでその事を予期していたかのように木の影から一匹の魔獣が襲いかかってくる。
反射的にしゃがみこむようにして体を畳み間一髪で避けた。
飛び込んでいた魔獣の逞しい四肢の間を滑り込みながら魔剣【スーラ】で腹を斬りつける。
しかし、魔力を大して込めていない斬撃などこの強かなる偉大な魔獣には効かない。刃先の跡をなぞるようにしてついた赤い筋は軽い火傷にしか感じないのか痛がる様子すらなかった。
後ろ手に強く地面を押し体を起き上がらせ前へ脚を出す。
「シャンタっ!!前に坂があるわ、そこを超えればっ――
クーシャの言葉が終わる前に途切れる。
大きく口を開けた魔獣が前から突っ込んできたのだ。
回復したとはいえ残り少ない魔力を脚に全て集めシャンタは両足で魔獣の頬を横に蹴飛ばした。
傾斜する地面と垂直になるように射出され、木と衝突してはなぎ倒し、なぎ倒し、なぎ倒し、四本目の太く大きな大樹に大穴を開けた事でやっと止まった。
衝撃で落ちた幾つもの葉がふわりと宙を舞う。
魔獣が通り抜けた道にあった藪は全て地から取り除かれるようにして吹き飛び、その根や葉と共に木々の破片や土が暗闇の森へと降り注ぐ。
それらが落ちる前にはシャンタは駆け出した。
もう振り返って彼らの様子を見るような余裕はなかった。
坂道になった獣道を登っていく。
急激な坂ではあるもののネコ族のツメを出して四肢で体を支えて大地を踏みしめる。
疲れ切ったシャンタにとってはそれでも崖の如き坂に思えるが、ここが最後だと言うクーシャの言葉を信じて最後の力を振り絞る。
斜面に飛びつき姿勢を変えた、その直後に魔獣が二手から襲いかかってくる。
鋭利な牙が二つシャンタを挟み込むようにして向かってくるが、一匹の口にを自分の手を突っ込み閉じきる前に腕力だけ抑えて進路を変えさせ、もう一匹を片手でかち上げるようにして上体を起こしてその場をやり過ごす。
シャンタの腕に装備しているはずの篭手は大きな噛み跡が付き、魔術強化加工を行っているにも関わらず割れ、傷跡からは赤黒い血が吹き出している。
間髪入れずして魔力の塊がシャンタの側の地面を吹き飛ばす。
シャンタは腕の痛みに舌打ちをしてその衝撃に受け身を取りつつ先へ先へと体を進める。
先程襲いかかってきた二匹が既に起き上がりこちらに向かってくるが跳躍して回避する。が、ふくらはぎ辺りを守っていた装備は掠り、焦げ、中の肉を焼く。
頭上にあった木の枝に乗り移ったシャンタは向かってくる二つの光弾を目に入れ、避けるべく枝から次の木の枝へと飛び込んで――
宙に浮いたところを別の一匹が飛びかかる。
バックパックに飛付こうとするその魔獣の目へと剣を突き刺し、力で明後日の方向へと方向を変えて投げる。
体制を崩してしまったが枝になんとか掴まり地面へ降りて前へ行こうとする。
着地する為に下を向いたシャンタは今いる木の下で魔術モドキが幾つも明るく輝いている様子を見てしまった。
しかし、もう既に手を離してしまっているため再度枝に掴まることは出来ない。
長時間の強い運動に軋む体を無理やり捻り、幹の横腹を叩きつけるに蹴りつけて光の射線から逃げる。
魔剣に魔力を込めてそれでも向かってくる光をいなして地に足をつけて駆け出す。
もうすぐで坂が終わる。
が、もう限界である。
このまま坂を登りきったとしても湖まで体力は続かないだろう。
それでも、それでも、まだ………
森の鬱蒼とした暗闇が途切れる。いつまでも続いていた木々が開き、月光が直接シャンタを照らす。
眼下に広がるのは湖、それも特大のである。
暗闇の中で遥か向こうまで波打つ水面は満天の星空を反射し、大きな化け物のように感じられる暗い緑の山々に囲われている。
それぞれの麓は少し赤い土が覗いている緑の草原と山を覆っている木々が半々に湖を縁取っている。
人工的な光が湖岸に一つ、二つとポツリポツリと点在しており、その場所が漁場としても働いている事を教える。
青、赤、黃、白と複雑に色が混ざり合いながら一つの光の帯を形作る天の川は何処かの地で大雨を降らせている暗い積乱雲にところどころ阻まれながらも煌めき、夜空を彩っている。
雄大でありながらももの哀しさを含むような情景はまるで一枚の絵画のようであり、今立っている坂の……高い丘の上から眺める限りコレを見るために旅をする人がいてもおかしくは無いとシャンタには思えた。
そんな風に呆然と立ち尽くすシャンタの後ろからは追い立てるような騒がしい足音がしている。
その音の近さから次期に囲まれるだろう事は分かる。
この景色の中で死ねたら、とシャンタは良からぬ事を考えるが逃げる為に脚を前に出そうとして、転んだ。
勢い良く斜面を下っていく。
幸い目の前に木はなかったのでかすり傷と泥に塗れるだけだったが、高いところから転げ落ちた体は悲鳴を上げている。バックパックの中でもとんでもなく大きな悲鳴が上がっている。
転げ落ちた直後に後ろから聞こえていた魔獣達の足音が消えていった。
前のめりに地面に倒れているシャンタが不思議に思いながら顔を上げ辺りを見渡した。
不意にシャンタの顔に真っ白な明かりが当たり、傷だらけの顔を鮮明に映し出す。
光が向かってくる方向に誰かがいるようだ。
「こちら東部地区の第二憲兵隊……クナです……はい、巡回中です。大きなかばんを背負ったネコ族………の人が傷だらけで……」
連絡をしている人物の後ろにも制服姿の人影が何人か薄っすらと見えた。疲れたシャンタの目はそこで瞼を閉じてしまう。
意識が闇の中へと落ちて体が沼に囚われたように重くなる。
「……はっ!?あれは……バロンの名を持つ赤魔獣じゃないっ!!待って!ちょ、ちょっと待ってって!あぁああああ!!応援っ!!応援を要請します!!応援ですってば、なるべく早く!!部隊の皆さんは戦闘準備を!!」
「隊長っ!!コイツら囲んできてますよ!名前有りとか一部隊じゃ無理ですって!」
「ひぃっ!!自分だけ逃げないで下さい隊長!」
「うっさい!後で私も戦闘に参加するから待っとけ!応援も要請したから時間を稼げ!!」
……まだ眠れないようだ。
クナと言った人がシャンタに駆け寄って来てバックパックを揺すり起こそうとしてきた。
俯せになっているシャンタは嫌な顔をしてるようだ。
「起きて〜起きて下さいよ、説明は後でいいので数十分だけ手伝って下さい。体の傷と疲れは癒やしておきますから」
そう言って『回復』の魔術を魔術言語で組み上げ、シャンタの体の傷を塞いで行く。傷口にむず痒い感触が這っていくが笑わないようにシャンタは我慢する。
そして『活性』で無理やり体力を戻したようだ。
「『活性』っ!?結構な難しさなのよアレ、この国ってあの魔術を楽々使う人がいるの?」とクーシャが悲鳴を上げすぎて枯れた声でシャンタに囁いてくる。
体に活力が戻ってくる言い表せぬ不快感に嫌そうな顔を更に歪めつつシャンタは立ち上がった。
「あっ、起き上がった!」
「ジリジリ近寄ってきてます!そろそろ不味いです隊長っ!!」
「まっt……後ろの一匹でいいので頼みます。今行くっ!」
「えっ?えぇ……」
「凄い判断が早いわね、ちょっと尊敬するわ。今はないけど」
本当に判断が早い。
恐ろしい速度で魔獣の一匹に突貫していくクナ。その人の後ろ姿には尖った耳があった。恐らくはエルフなのだろう、ヒト種の国に勤めるとは珍しいものである。
が、同時に魔術が二つ同時に使える技術と魔力量はヒト種のそれではなかったため納得する。
シャンタは背に感じる二つの気配を感じた。
一匹と言ったクナの感知能力の低さを呪いたくなったが、やるしかないのだ。
シャンタは振り返って魔剣【スーラ】を中段に構えた。
魔力は尽きているが回復したこの体力ならば二匹程度相手に出来そうな気がする。
猫耳が警戒を示すように前を向いている彼はため息を誰にも聞かれないようについた。