2.兄の疑惑
リリィと血の繋がりを感じさせる緑の瞳と金の髪。
同じ金髪でも、ユージンが黄金ならリリィが淡黄、ルークは金糸雀色とでも言おうか。
髪も瞳もリリィより深い色をしていたが、彼を他人と言うにはあまりにも無理がある。
「あ、はい。初めまして、……というのも可笑しいかもしれませんが。あなたがルークお兄さまですね。お話は常々伺っておりました。お会いできる日がこんなに早くなるとは思っておりませんでしたが、どうぞ妹としてこれからよろしくお願いします」
リリィが深々と頭を下げると、より強い困惑を滲ませた声が頭上から降ってくる。
「……いやあ、変な気分だね。見慣れていたはずの妹が別人だ」
「あ、それは失礼しました。できる限り彼女に近づく努力をいたします! ……いえ、頑張ります……頑張る、わ?」
確かに家族として頭を下げる行為はナシだったかもしれないとリリィが顔をあげ、言葉遣いに四苦八苦していると、ルークが頭を掻きながら思いの外苦い顔をする。
「ああ、いやいや、妹のように振舞えってことじゃない。いいんだ、あんたが妹のためにしてくれたことは聞いてる。こちらこそ礼を言うよ」
リリィの兄だけあって悪い人ではないらしい。
あまり自分の印象はよくないのだろうと彼の態度から考えていたリリィは思わぬ肯定の言葉に面食らってから、ふと気づくことがあって小さく笑った。
「本当にご家族みな似ていらっしゃいますね。揃って同じことを仰る。とても、いいご家族だわ」
両親となった夫婦にも同じことを言われた。
今も、よく言われる。
「あ~……そりゃ、光栄だね」
ルークが肩を竦めて苦笑した。
どう見ても照れ隠しだとわかる仕草にリリィは勝手に親しみを覚える。
血は水より濃い、とは正しくこういうことを言うのだ。
血が繋がっていたはずの自分の家族は、それはそれは血の絆を感じさせたものだけど、大いに意味が違った。
あれは『家』という、「カテゴリーを同じくする者」を意味していた。
――のだが、この数か月でその考えは改められつつある。
アリシアから時々届けられる手紙からは、少しずつ距離を縮めていく『家族』の様子が書かれていた。
すでにプライベートな会話をした記憶などない無関心な兄や、命令口調しか聞いたことのない父、注意とお小言以外に口を開きもしなかった母。
そんなものこそ幻だったかのような、「正しい家族」の姿がいまはあの屋敷の中にあるのだという。
つまり、環境のせいではない、ただの自分のせい。
自分だってかつては努力をしたつもりだったけれど、足りなかったか、見当違いの努力だったのだろう。
やがて諦めてしまったものを、アリシアが取り戻してくれている。
なんにせよ、今の好ましい状況は彼女の努力の賜物だ。
不甲斐ない自分を突き付けられて少々気落ちもするが、自ら体を捨てた今のリリィがかつての家族に出来ることはもう何もない。
できるのは、今の家族に対してだけだ。
ここが今の彼女の居場所なのだから。
――私も頑張らなければ。
そう新たに決意して、リリィははっとルークに質問した。
「お兄さまは、しばらくはお泊りに?」
「ま、まあそのつもりだけど、……その『お兄さま』って」
口ごもったルークを余所にリリィは手を合わせて喜びを表現した。
「すてき! せっかくの顔合わせですもの、私も頑張っておもてなししなくちゃ。お母さま、今日の夕飯は何になさいます? 私にもお手伝いは出来ますか?」
はしゃぐ様子が見てわかるリリィの背を幾分か眺めて、ルークが改めて父に問う。
「……なあ、本当に貴族さま?」
「お前もやっぱりそう思うよなぁ」
あれと指を差す失礼な息子への注意を忘れて、父は若干の疲れが見える声でしみじみと答えた。
消極的な同意を父から得たルークの視線の先には、弟妹達と楽しそうに夕食作りに勤しむ妹の姿。
おかしなことに、心の底から楽しそうなのだ。
貴族、と一般的に想像される言葉から果てしなく遠い。
「随分と気さくな貴族さまもいるもんだな、ルーク」
父が何かを諦めたような、受け入れたような力のない声で言った。
それをちらと見て、ルークは何かを言い掛け、結局はまた口を閉じる。
弟妹達がリリィの腰あたりに群がってきゃいきゃいと騒がしいが、彼女は嫌がる様子もなく、喋りかけられる言葉一つ一つに丁寧に答えている。
父母も、ルークだって全部は聞いていられないからある程度は聞き流すのだが、彼女の律義な性格が見て取れた。
「あいつら、懐いてんなぁ」
「最初は警戒してたんだがな。姉と同じ姿で別人だから、当然だが」
家族として受け入れつつあるらしいと察したルークは、言わなくても良い事かと頭の中で羅列していた情報をしまい込む。
言葉遣いだけは丁寧さが抜けていないが、彼女からは物腰の柔らかさで貴族のきの字も思い浮かべられない。
「……少しの間、家に厄介になろうかな」
家族からの報告を受けて慌てて実家を訪問したのだが、やはりそうするのがいいだろうとルークは父に提案した。
平民を絵に描いた様な両親が貴族社会について詳しいことを知っているわけもない。
暢気な家族の代わりの危機管理は長男である自分の仕事だとルークは思っていた。
そんな配慮から出た話だというのに、父から斜め上の注意が飛んでくる。
「手を出すなよ?」
「ア、アホか!! 見た目は完全に妹なんだぞ! そんな気にもなれんわ!!!」
思わず声を荒げた。
なにせ見た目だけでなく、普通に本物の妹である。
直近の近親者だ、手出しなどできるはずもない。
「むしろ強制されても無理だね! 息子を一体どんな目で見てるんだクソ親父! 俺は確かに馬鹿だが、弟妹にはマトモな兄貴のつもりだったぜ!? ついにボケたか? 腐ったか? いや、腐ってるのはむしろその目か? ああん?」
何をもってしてそんな馬鹿なことを言い出したのか、ルークは父の頭の中を覗きたくなったが、とりあえずは力の限りの罵倒だけで済ます。
父は慣れたもので、すまんすまんなんて軽く流して終わりだ。
もっと反省の色を見せて欲しい。
「……ったく、人の気もしらないで」
好き勝手言ってくれるぜ。
実のところ、家に帰ってきたのがこんな遅くなったのでは今さら言い出せる話ではないのだが、本物の妹から「貴族になります。魂を交換してくれる人がいるので」と仰天どころではない手紙を受け取ってからのルークの行動は素早かった。
手紙に記してあった名前の情報を、商家に勤めている伝手を使ってこれでもかとかき集めた。
難航するかと思われたが、すぐに出てくるわ出てくるわのアリシア情報。
情報過多である。
アリシアという名の貴族令嬢は調べればすぐにわかるほど有名な人物だったのだ。
淑女の中の淑女。
王国のデミリシア。
完璧なる令嬢。
美貌の才女。
物々しく、華々しい肩書が並ぶその女の逸話が本当だとすると、キナ臭すぎる。
裏に何かあるのではないかと疑うのは当たり前の話だった。
「で、彼女がアリシアだって?」
本当に?
思わず疑いの目を向ける。
アリシアではなく、別の貴族と入れ替わったと言われた方がまだ納得できた。
それくらいに今のリリィとしての姿とはあまりにもかけ離れた、一致する箇所を探す方が難しい人間像。
自分が掴んできた情報が間違っているのか。
そう疑うほどに乖離した性格だ。
ルークは彼女を掴みかねていた。
生まれながらの貴族令嬢が、何の見返りもなく平民と体を入れ替えるなどありえない。
「一体なにを考えてるんだ」
ルークが手に入れた情報と共にわざわざ帰ってきたのは、たった一つを見極めるためだった。
すなわち、家族に害を及ぼさないと確信できるか。
事情など何でもいい、経緯だってどうでもいい、ただその一点だけがルークの懸念。
情報だけでは確信出来なかったから、むしろ危険があると判断したから、情報以外を取るものもとりあえず急いで帰ってきた。
だというのに、家の中では随分と気の抜ける光景が繰り広げられている。
ルークは抱えていた焦燥感を肩から降ろし、とりあえず猶予の時間があるらしいことを神に感謝した。