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婚約破棄からはじまる自分探し  作者: 一集
第一部 婚約破棄からはじまる自分探し
5/35

5.デミリシアとアルテミシア



今の所二人は乙女ゲームのセオリーに則る気配はないし、少なくともアリシアと言葉が通じると思ってくれている。

断罪より話し合いを選んでくれた二人には感謝しかない。


「アリシア? ……その条件とは?」


いっかな続きを口にしないアリシアに焦れたように、ごくりと唾を飲み込みながらユージンが切り出した。


「ユージン、あなたと婚約するときに私が言った言葉を覚えている?」

「……よく、覚えているよ。――恥をかかせるな、と、そう君は言った」

「そう、その通り」


よくできましたと、優秀な生徒を褒めるように笑った。

長年の付き合いだけあって、彼はアリシアが何を最もいやがるかを知っている。

アリシアの言いたいことは十分に伝わったようだ。


「も、もちろんこの婚約は君から破棄の申し出があったことにする。リリィとの関係も、ほとぼりが冷めるまで公にはしない」


そんなことは当たり前だ。

やって当然。

婚約破棄を願い出た側の義務でしかないから、アリシアは鷹揚に頷くに留めた。


「それから、それから、……この件で君を悪く言う事を俺の名で禁じよう!」


心の中で思わず噴き出した。

世間ではそういうのを逆効果という。

人の口に戸は立てられぬと言うではないか。

まして禁じられればやりたくなるのが人の性。


世間知らずのお坊ちゃんは相変わらず素直でかわいい。

家の名ではなく自分の名を使うところには覚悟が見えたが、その案が効果的かと言われれば、アリシアの反応が真実をよく示している。

ぜひとも人間の善性を信じて疑わない、この純粋さをいつまでも失わないで欲しい。


周りは実際にどちらが婚約破棄を言い出したかなんてどうでもいいのだ。

小さな棘で目障りな名前を揶揄するだけ。

ユージンが悪かったに違いないと、あるいはアリシア、噂を聞きつけてリリィだって槍玉にあがる。

一定数の憶測が飛ぶのは仕方がないし、当然のことだとアリシアだってわかっている。


だからアリシアが出したたった一つの条件は、最初から決してクリアできない課題。

どうやってもアリシアには傷がつく。


だけどもしかしたら、という希望があったから聞いてみた。

ユージンとリリィが、自分が思いもよらない、あっと驚かせるような方法で解決してくれることだってあるかもしれない。

それくらいにはアリシアも自分が万能ではないと知っていた。


「無理、という結論でよろしい?」


薄く笑ってアリシアは答えを急かす。

心の中の落胆は見せない方がいいだろう。


「待て、待ってくれ。考える、他にいい方法がないか、考えるから時間をくれないか」


与えられたチャンスを必死に掴もうとユージンが額に汗を浮かべながら言い募る。


アリシアはゆっくりと首を振った。

最初から無理難題だったのだから、恥じることはない。


そちらに案がないならば、こちらから案を出すだけ。


「あの、アリシアさま! わたしにも一つお聞かせください。あなたの失いたくないものは本当に名誉なのですか」


時間切れを口にする前に、リリィがアリシアに話しかけた。

単なる時間稼ぎかと思ったけど、リリィの目はここにきて初めてしっかりとアリシアを見ている。


負い目のせいか、ずっと下を向きっ放しだったのだ。

目標を定めたら一直線のリリィには随分と似合わない。


けれど話が終わる気配を前に、きっと、それが彼女の、どうしても聞きたかったことなのだろう。

「本当はユージンを失うことを恐れているのではないか」と。


そうだと答えたら、彼女はどうするのだろう。

少し知りたい気もしたが、嘘をついていい場面ではないだろう。


「もちろん、世間体(名誉)よ」


きっぱりと言い切ったアリシアに、リリィは痛みをこらえるような顔をした。

おや? とアリシアは気付く。

これは、恋に縋れないプライドの高い女の矜持だとでも思われているのではないか。


説明が足りなかったかとアリシアは再び言葉を紡ぐ。


「嘘偽りなく、迷いもなく、一点の曇りもなく、選択の余地もなく、私は私の身が一番大事」


自分とユージン。

見栄と淡い仲間意識。

世間体と共に過ごした思い出。

プライドと婚約者。


どれをとっても天秤にかけるには一方が軽すぎる。

塵芥に等しいと言ってはあまりにも彼に失礼だろうが、それが偽らざる本音。


言葉にしたのはかなり控えた表現のつもりだったけど、それでも言い過ぎだったのだろうか。

アリシアは口をぽかんと開けたリリィと、目を点にしているユージンを眺める。


「アリシアさま?」

「はい?」

「……あの、信じてもよろしいのでしょうか」

「あなたと私が恋のライバルではないことを? ええ、それはもう魂に刻むくらい深く信じてくださって結構よ」


懇切丁寧に答えたアリシアに、リリィはやっと信じてくれる気になったのか、小さく笑顔を零す。

実際はアリシアの言い回しに思わず笑っただけだったのだが、その時のアリシアはユージンが惚れるはずだと、的外れな視点で妙な納得をした。


和やかな時間に手を一つ打って告げる。


「さて、タイムリミット(制限時間)よ」


もう、覚悟を決める時がきたのだ。


「お、お待ちください! アリシアさまが本当にユージンさまに執着を感じていらっしゃらないのならば、きっとどこかに解決策が、」


アリシアは手を上げてリリィの言葉を止める。


「庭園のデミリシア、野山のアルテミシア、という言葉をご存じ?」


アリシアは向かい合って座っている二人の内、婚約者を奪い去ろうとしている彼女にそう問いかけた。

リリィがさっと顔を青くする。


言葉にしたことはないけど、「リリィ」という名前は彼女によく似合っていると思っていた。自分には到底似合わないかわいい名前だと。


最後通告だと勘違いしているのか、震えて声を出せないリリィに小首を傾げることでだんまりを許さない。

果たしてリリィはアリシアのプレッシャーに負けて答えた。


「う、美しいものと、粗野なものの例え、です……」


確かに、近年そんな使われ方をしている慣用句だ。


デミリシア、紫の大輪を咲かせる、華やかな庭園の主役。

アルテミシア、草原の下草に紛れてしまう薄緑の小さな野花。


紫の瞳を持つアリシアと、緑の瞳のリリィ。

学園内でもよく引用されて嘲笑されたことをリリィは思い出す。


完璧な淑女と謳われる女性。

対して、平民の野暮ったい娘の自分。

こんなぴったりな言い回しが他にあるだろうか。


なけなしの勇気はあっという間に萎んで、リリィは恥じ入って消えたくなった。


だがアリシアは自分の意図とは違う答えを返したリリィにきちんと伝えた。


「不正解よ」


そもそも最近の若者は言葉の乱れが酷いのだ。

同じく若者であるはずのアリシアはそんなことを思った。

それを真実と思い込まれるのは、この言葉があまりにもかわいそうだ。

とてもいい言葉だと思うのに。


「デミリシアも、アルテミシアも、どちらも美しいものの例え」


アリシアの名の由来でもある。

捻じ曲げられてはたまらない。


ふと、昔、ユージンにデミリシアを贈られたことを思い出す。

受け取ったアリシアは隠しもせずに本音を彼に伝えたものだ。


「私、アルテミシアの方が好きなの」

と。


今思えば言い方というものがあったと思うのだが、アリシアだって幼かった。


残念な事に挽回の機会はなく、それから彼は手ずから贈り物をくれたことはない。

もちろん律儀なユージンだから、礼儀を欠かさず毎年誕生日には豪勢なプレゼントが送られてきたが装飾品や流行りものばかりだった。

多分家の者に一任していたに違いない。


そんなユージンはアリシアの言葉に目を見張っていた。


だがリリィにはそれだけでは不十分だったらしい。

首を傾げて意味を探っている。


別に深い意図があったわけではない。

リリィとアリシア、二人に違いなんてないと、そう伝えたかった。

アリシアは、リリィを自分と対等だと評価している。


「私の努力に劣らぬ努力を、あなたはきっとしてきた」


リリィは優秀だ。

でも、努力なしには才能は開花しない。

まして平民のリリィが、習慣もルールも違う貴族ばかりの学園でのし上がるなんて、どれだけの努力を積み重ねてきたことだろう。


恋の一つくらい、報われも罰は当たらない様な気がするのだ。

だって、ここまで頑張ってきた。


――私も、あなたも。


「質問があるの。リリィ、あなたの覚悟の話よ」

「はい」

「あなたはユージンのためにどこまでできるかしら?」


試すように聞く。

リリィは急き込む様に答えた。


「なんでもやります! なんだってします!」

「いい返事ね」


その勢いに思わずふふと笑い声が漏れる。

「わ、笑った?」そんなユージンの驚きの声が聞こえたけど、彼はいま部外者なのだ。

黙っていてほしい。


「例えば?」

「た、例えば? ……ええと、貴族のマナーや教養を身に着けるための努力は厭いません!

泣き言など言いません!」

「いいことね」

「学園での成績も落としません。ユージンさまに相応しいと思ってもらえるように、自分だって磨きます。貴族令嬢の模範とまで謳われたアリシアさまに認めて欲しいから!」

「そうね、私のようにただの伯爵令嬢が侯爵子息であるユージンの隣に立てたのはひとえに私の努力の賜物でしょう。その後を継ぐあなたにはきっとそれ以上が求められる。身分という壁、私という壁、生半可な覚悟では歩けない道よ」


ぐっとリリィが体を強張らせた。

未来の道の険しさに、今さら臆したわけではないだろう。

その瞳には強い光があるから、きっとただの武者震いだ。


さて、脅すのはこれくらいにしておこう。

聞きたいことは他にある。


「失うものも多いわ。ユージンと結ばれれば当然あなたも貴族の一員。例えば、――家族と二度と会えないかも」

「……は、い」

「踏み出せば、引き返す道はないわ」

「はい」

「今までの自分に別れを告げる覚悟が本当にあって? 全てとの決別よ。思い出、家族、友達、生活、その全て」

「はい」


リリィはしっかりと頷いた。

それを確かめてアリシアはユージンに目を向ける。


「あなたにも同じだけの覚悟があって? リリィを最後まで愛し抜く覚悟が」

「ある!」

「きっとあなたの隣に立つリリィは今の彼女とは別人よ」

「俺は彼女の心の美しさに惹かれたんだ。その魂に。何が変わっても、ただ一つ、それさえ変わらなければ、俺の心はリリィのものだ」

「そう、それはいい覚悟ね」


ユージンの答えに満足を覚えた。

さて、いま得た言葉を要約してみよう。


「リリィは全てを捨てて、ユージンと一緒になる覚悟がある。ユージンはリリィの心を愛している」


そういうことだ。

少しばかり誘導もしたが、おおむね欲しい言葉がもらえた。


「リリィ、もう一つだけ確かめておきたいのだけど」

「はい」

「あなた、体を捨てる覚悟はお在り?」

「は!……は、いぃ?」


調子っぱずれの返事が聞こえた。




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