4.悪役令嬢ルート
二人の接近を聞いてアリシアが何を思ったのか。
余計な知識を持っている者ならだれでも思い至ることに、当然気付いた。
――これはいわゆる婚約破棄ルートというものでは!?
あるいは悪役令嬢転生ともいう。
主人公ではないだろうと思っていたが、まさかの事態だ。
「男を侍らせるなんて本当にはしたない子」
「仕方がないわ、平民ですもの。必死にならないと貧乏生活に逆戻りでしょう? ……でも、好きでもない男を誘うなんて、まるで娼婦のようよね」
「あれほどアリシア様が忠告していたのに耳も貸さないなんて、礼儀知らずにもほどがあるわ」
気付けばいつの間にかやっかみ女たちの親玉になっていた。
「アリシア、君ともあろう者がくだらない嫉妬で俺たちをリリィから遠ざけようとするなんて」
「さすがに最近の貴女の行動は目に余ります」
いつも嫌味を飛ばしていた例の彼らからそんなことを言われた日には何のことかと思った。
ぽかんと口を開けた間抜け面を晒さなかったのはリリィのおかげだ。
「アリシアさまに何てことを仰るのです! 謝ってください!」
小さな体を大いに怒らせて、アリシアが責められている現場に飛び込んできた時には逆にそちらの方が驚いた。
好意を抱いている相手を宥める事に必死になった彼らからの追及は逃れられたが、アリシアは状況を整理した後に頭を抱える羽目になった。
ここは本当に乙女ゲームの世界だったのだろうか?
前世ではその世界に明るくはなかったせいで真実はいまだにわからない。
とにもかくにも、重要なのは一つ。
意図したことではないのに、いつの間にか前世で言う悪役令嬢の立場に置かれている。
この一言に尽きる。
アリシアは知っていた。
悪役令嬢に待っているのは大概が身の破滅。
そんな馬鹿な、というのが正直な感想だ。
生まれてからこれまでの人生を呆然としながら振り返ってみたりもした。
自分のなにが悪かったのだろう。
間違った行いでもしただろうか。
……家族から婚約者まで、対人関係は間違えだらけだったが、人生なんてそんなものだろう。
犯罪行為に手を染めていなければセーフだと、アリシアは勝手に自分を納得させる。
あるいはユージンを攻略できなかったのがいけないのか。
それとも悪役転生の醍醐味である、幼少時からのフラグ破折に勤しまなかったのが悪かったのか。
そもそもからして悪役令嬢だという立場に気付かなかったのだから、自分からフラグなんて折りに行かないし、周囲への根回しなんかするわけもない。
最初から知っていれば! なんて悔やんでもすべては過ぎたこと。
アリシアの中の人はあまり賢明ではないと自覚しているだけに、何度やり直しても結局同じ結果に行きつくだろうという情けない結論が出たことが僅かな収穫だろうか。
ヒロインはリリィで悪役令嬢が自分。
ヒーローはユージン。
確定材料から察するに、二人の邪魔をする選択肢はない。
古今東西、恋路を邪魔する者は馬に蹴られるのである。
ならばやはり婚約破棄を受け入れるしかない。
婚約破棄はいい。
心情的にも問題はない。
問題は世間体だ。
意地と努力と見栄で固められ、あの王族にすら麗しき小さな貴婦人と呼ばれたこの人生。
婚約破棄とは、つまりそれを傷つけられることに他ならない。
口さがない連中の声がいまにも聞こえてくるような気がした。
――もしかしたら性格が悪いのかも。
――それとも金遣いが荒い?
――なんにしてもきっと何か欠点があったのよ。
――聞いたか? あの娘、婚約破棄されたらしいぜ。
――ユージンにだろ? 性格も穏やかな奴なのに。よほど耐えかねることがあったんだろうな。
――見て、平民の娘如きに婚約者を寝取られたアリシアよ。
――まあ、あんなに貴婦人然とした態度を鼻にかけてたのに。おかしいこと。
――同じ貴族として見られたくないわね。まあ、私なら恥ずかしくて顔なんて出せないけど。彼女、皮の面がよほどお厚いのでしょう。
想像だ。
けれど、隙を見せれば噛み付いてくる貴族社会を甘く見てはいけない。
アリシアはその想像が未来の現実とそう乖離してはいないはずだと確信していた。
出る杭は打たれる中で、意地とプライドでその切欠すら与えなかった自分だけにここぞとばかりに叩きにくるに違いない。
完璧に作り上げたアリシアという作品に傷がつく。
張りに張り、塗りに塗り、磨きに磨き上げた、美しい輝きが失われる。
それが嫌だった。
では婚約破棄を跳ねのければ?
「……それも、ないわね」
突然公衆の面前で婚約破棄を突き付けられ、罪を問われ、断罪されるまでが婚約破棄モノのセオリーだ。
いや、いくら侯爵家のユージンとてそんな権限はないし、社会構造的にも出来るわけがない事はアリシアにだってわかっているが、もしもこれが乙女ゲーム世界ならば全てをひっくり返してあり得るはずのないことが起こるかもしれない。
可能性はゼロではない。
怖すぎる。
ネズミを追い詰めてはいけない。
追い詰められたネズミは猫にだって噛み付くのだから。
なにか、逃げ道はないだろうか。
彼らが窮鼠にならず、アリシア像が傷付かずにすむ方法。
それからアリシアは必死に探した。
これまでの血反吐を吐くような努力以上に、寝る間も惜しんで考え続けた。
そうして今日この日、ついにタイムリミットがやってきた。
婚約者と緑の瞳の少女の姿で。