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婚約破棄からはじまる自分探し  作者: 一集
第四部 騎士からはじまる自分探し
32/35

7.未来へ



先日の戦闘は両陣営に多大なる被害をもたらした。

そう、敵にも、である。

ロウは有言実行し、敵陣を襲いに行ったらしい。

呆れた行動力だ。


その結果として、少しの間の休戦をもぎ取った。

兵士たちは久々に帰宅を許され、各々がつかの間の平和を謳歌している。


傷付いた騎士団も粛々と戦場を後にし、王都へと帰還を果たした。






王都の、とある建物で。

水色の髪を振り乱して少女がわんわんと泣いている。


サラは困ったなと頭を掻いた。


「ルシャナ、まるでこの世の終わりかのように泣かないで」

「無理です! 隊長のいない人生なんて、終わったも同然です!」


サラがまとめた荷物の上で頑として動こうとしない副隊長が、今後ちゃんと隊長としての任を全うできるのか、とても心配だ。

仕方がないと、サラは膝をついてルシャナの顔を両手で包む。


「よく聞いて、ルシャナ。あなたの宝物は私がどこかに隠してしまった。宝物には呪いをかけたの。勝手に自らあなたの手に戻っていかないように。だから、あとはあなた次第」


ね?

首を傾げるとルシャナは大きな目をぱちくりと瞬いた。

呪いなどかけてはいないけど、どうせ名乗り出る勇気は彼にはない。

これくらいのヒントは許されるはずだ。


ふふと笑えば、ルシャナは目を見張った。


「あ、」


口を開いたその唇に、人差し指を寄せる。


「あなたが再び、その手に大切なものを取り戻すことを願っているわ」


心から。

額と額を合わせて、未来の祝福を彼女に贈った。






顔は知られていたようで、騎士団宿舎への立ち入り許可はすぐに下りた。

慣れた廊下を足早に歩けば、聞こえてくる覚えのある声。


「アルト、マジでお前どうした!? 帰って来てから明らかにおかしいだろ! ってか、そろそろ腕立てをやめろ! また吐くぞ!」

「気にするな、また食えばいい」

「アルト!??」


思わず笑ってしまいそうになって、サラは二度の咳払いで誤魔化した。

開いたままの扉をノックする。


「こんにちは」


誰だ、こんな時に! と振り返ったロウの険を乗せた目が、サラを見た瞬間に驚きに見開かれた。


ロウはサラを見て、まじまじとサラを見て、穿つようにサラを見て、最後にアルトを振り返る。


アルトはようやく運動をやめ、床に胡坐をかいてサラを迎えていた。

ひらひらと手を振る、その顔には少し悪戯めいたものが浮かんでいる。


「は? え?」


ロウの口からは単語にならない戸惑いが単純な音となってぽろぽろと零れ落ちた。


一目だ。

まったく、いやになるな。とサラは眉尻を少しだけ下げる。


アルトとサラを存分に交互に見たはずの男は、理解できないものを目にしたかのように額を押さえた。


「……待て、ちょっと待て」


なんとも、勘のいい。

聡すぎるのも少し、考え物だけれども。


以前見た苦虫を噛み潰したような顔に、さらに苦悩を混ぜればこんな表情になるだろうか。


どこか否定を期待するような、縋る様な目を振り払い、サラは現実を突き付けた。


「そう言うこと」


そう言うことだ。


「まさか、……まさか、そんなことが。……嘘だろう?」

「だから、アルトをよろしく」


常時暴走気味の猪突猛進な彼をよろしく。


だから、よろしく。

ちょっと独善的だけど、とても寂しがり屋だから、その人をよろしく。

アルトは少し考えて、優しく頷いてくれた。


「おい、おいおいおい! 待てよ、なに勝手に」

「アルトはいい騎士になるよ? 共にいけば、きっと高みを見られる」


遮るように口にする未来。

苛立たし気に返ってきた舌打ちがロウの心情をよく表していた。


話題を逸らせるにも、ここらが限界のようだ。


サラは、肩を竦めた。

質問をどうぞと言わんばかりに。


知ったような態度のサラに憎々し気な顔をしたロウもこれが見納めかと思えば感慨深い。


「どうして、」


何かを続けようとしてロウは口ごもった。

でも、それで十分。

どうして、どうやって、なぜ。

渦巻く疑問も、集約すればその一言。


そしてサラの答えもたったの一言。


「私は戦場に戻りたくはない。それだけ」


あそこは私の居場所じゃないから、逃げるだけ。

背を向けて、敗者のように、遠ざかる。


サラはそう告げて、微笑んだ。


ロウが痛みを飲み込む顔をする。

彼だって、知っているのだ。

サラが、アルトが、あの場所に耐えられない事くらい。


だから彼にそれ以上の言及ができるはずもない。


「……そもそもお前はどうしてこんなところにわざわざ顔を出しに来た。誰かにバレたら(知られたら)マズいんじゃないのか」


目を逸らしたままロウが無理矢理話題を変える。

後ろめたさと、罪悪感。

正確にそれを読み取って、サラは少し寂しそうに笑った。


せっかくの質問タイムだったけれど、どうやら早くも終了の合図。

戯れる時間も、ロウはもういらないらしい。

サラはそれなりに寂しいと思っているのに、なんとも薄情な男だった。


ロウの言っていることはもっともで。

これが魂に作用する禁術であることは誰の目にも明らかだし、知る者は少ない方がいいに決まっている。


それでもここを訪れたのは。

なぜ来たのかと、問われれば、


「――もちろん、さよならを言いにきたのよ」


そう答えないわけには、いかない。


弾かれたようにロウが顔を上げた。


サラはなにをいまさらと、また笑う。

さっきからそう告げているというのに。


逃げるのだ。

去るのだ。

怖いばかりのこの居場所。

恐ろしいばかりの、戦場と隣り合わせの、この場所。


――あなたの隣を。


「明日から、女性騎士団をまとめるのはルシャナになるわ」


引継ぎはしてきたと伝えると、今度はあからさまにアルトが挙動不審になった。

微笑ましくて笑える。


これでは例えルシャナが気付いたとしても、アルトは裸足で逃げ出しそうだ。

ルシャナの宝探しと大捕り物は中々に難航しそうだった。


「お前は? お前は、これからどうするつもりなんだ」


ロウらしくない。

焦燥を滲ませた、余裕のない声。


サラは首を振った。


「……さあ、決めてないわ。これからはなんにでもなれるのだし」


部屋の奥の窓から、外を見る。


下級貴族の娘であったサラは、剣を取った時に家名を捨てた。

そして今回、戦場での活躍と負った深手を以って、引退の許しと貴族位の返上をしている。


サラは、自由だった。


今度は初めての根無し草だ。

だが、それもいいだろう。


貴族暮らしも、平民暮らしも、騎士暮らしもできた。

何にでもなれる。

どこにでも行ける。

あるのは不安ではなく、たぶん希望。


そのための平和は、きっと彼らが、

あなた達が、


「守ってくれるでしょう?」


そう問えば、ロウが奥歯をぐっと噛みしめた。

「もちろん」と、アルトは不敵に笑ってみせた。


「落ち着いたら手紙を書くわ」


あなたもちゃんと書くのよ、とアルトに念を押す。

どうにも不安だ。

絶対に彼は筆不精なはずなので。


「じゃあ、」

「これで終わりか?」


え、と顔を上げると、いつもの、サラの知る不敵な顔をしたロウがいた。


「俺の相棒は随分と薄情だな? 相棒をやめるなら、少しは他の道を考えてくれてもいいんじゃないか?」


挑発的な目とからかう様な声。

調子を取り戻したような軽々しい口調で、いつもの三点セットだ。


「そうだな、例えば……」


ロウはわざとらしく、考え込むように顎を擦った。

ちらと流された目線が、良いことを思いついたとばかりに細められる。


「――――俺の嫁さん、とか?」


面食らいながらも、飛ばされたウィンクをなんとなく避けて、その内容に眉を寄せた。


「いやよ。戦場の夫を心配しながら待つのはまっぴらごめん」

「だよな」


即答だったから、サラの答えは予想済みだったに違いない。


そして、

「あなたは、私のために戦うことをやめてはくれない」


そうでしょう?

首を傾げて逆に問えば、ロウが明後日の方向に視線を飛ばして頭を掻いた。


それが全てで、

それが答え。


知っているのだと。

サラはロウに告げる。


「あなたほど獰猛な人は他に一人しかしらないわ。アルトと、あなた」


一番傍で見ていた。


飄々としたフリで。

陽気なふりで。

その牙を隠して。


知ってる。

戦いたいこと。

戦って、戦って、戦い抜いて。

そこに生きたいと思っている事。


残す女は作らない。

悲しむ家族を作らない。

愛よりも、恋よりも、焦がれるものが、彼にはある。


遊び人?

冗談じゃない。

彼は戦士なのだ。

凶器を磨き、瞳を光らせ、戦場に舞い戻る時を今か今かと待っている。


騒乱を喜び、戦乱を貴び、戦場に生きる。


――そんな男が、戦場に心折れた女に妻になれ、なんて。

なんてひどい冗談。


答えなんて聞かなくてもわかってるくせに。

この男は一体なにをとち狂ったのだろう。


だから、

「聞かなかった事にしてあげる」


あなたの、大間違いを。


サラは困った人だと笑った。


そうして、一歩下がる。

足を踏み入れていた部屋から、

扉の外へ。


瞳を閉じて、深く、深く、頭を下げた。


涙は零れない。

これは、祝福のエールだから。


「貴殿らの、これからのご活躍、――心よりお祈り申し上げております」


その戦果を、

その名声を、

その武勇を、

耳にする日を待っている。


戦火遠い、この場所で。


サラは顔を上げて、背筋を伸ばした。

さようなら、と音にはせずに微笑みで告げる。


今日、逃げ出すこの宿舎。

別れを告げるこの部屋。

身の置き所のない自分を受け入れてくれた騎士団。


怖くて、辛い、戦場に通じるこの場所(我が家)


それでも、そればかりでなかったのは、

輝かしい宝石のように光るのは、

辛い記憶に身を任せて全てを捨ててしまえないのは、


――――たぶん、隣にあなたが居たからだろう。



砂漠で見つけた一粒の砂金のように、サラはそれを大事に抱え込んだ。

決して失くさないよう。


覗き込むにはまだ痛みが伴うから。

穏やかに、懐かしく思い出せる日が来るまで、水底に深く静かに、沈めることにした。


今は尖って胸を突く結晶も、時がやがて丸く溶かすだろう。



そうして踵を返し、

二度と振り返ることはなく、サラは軽快に歩き出す。



未来へ。



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