2.甘い少年と苦い男
「ってか、入団規定の年になったら即放り込まれたのか? お前もかわいそうになあ」
入団から大分経ったある日のロウと仲間たちとの会話だ。
ちなみにロウ以来だな、なんて言っている者がいたから、多分ロウは若く見えて相当の古株なのだろう。
が、そんな瑣末事より聞き捨てならない事がある。
「……ちょっと待って。みんな、僕を何歳だと思ってるの?」
大変遺憾なことに、アルトはやはりここでも二三年下に見られていた。
いや、アルトの怒りの気配を感じて、それでも少し上に答えていたはずだとすれば、五才くらい下に見られていたとしてもおかしくない。
通りでいい年をした大人たちが何かとお菓子を配ってくるはずである。
「他の奴には内緒だぞ」と、頭を撫でながら。
中には「弟と同じくらいだから」なんて懐かしむ目で見られたこともある。
実際には本人と大して年が変わらなかった訳であるが。
真実を知って仰天した仲間たちは不機嫌になったアルトに謝り倒すことになったが、だからと言って別に反省したわけではなかったらしい。
それなら、と彼らは意気揚々と女の侍る飲み屋にアルトを連れていった。
本当の年を知られた誤算である。
胸や尻を強調した服を着たきれいなお姉さま方にしな垂れかかられながら、アルトは滝のような汗をかき、その初々しい反応を同僚にも女性方にも笑われる羽目になった。
舌なめずりをしそうな女性にビクビクしていたら、遊び過ぎたと思ったらしい彼女らに怒られた。
――なぜか、同僚が。
「やあねえ、取って食いやしないわよ。いくら若い子が好きでも子供は範疇外よ。あなた達も、こんな純情なコに悪い遊びを教えちゃダメじゃない」
そんな台詞を聞かされたロウたちも、もうアルトの本当の年を彼女らに教える気にはなれなかったようで、それからはアルトは飲みに連れていかれるたびにマスコット扱い。
「もう少し、オトコを磨きなさい。そうしたらハジメテは私が相手してあげるから♪」
「ああーずるうい。あたしもアルくん予約ー!」
頬に贈られるキスは他の同僚に贈られているものとは意味が違う。
ハハ、と乾いた笑いしか出なかった。
なにせ色気でできたような女に突かれながらそっと囁かれたくらいだ。
「危険な匂いのするイイ男に、女は惹かれるものなのよ、ボ・ウ・ヤ」
元女だが、その気持ちはさっぱりわからなかった。
わかったのは自分にはまったく魅力がないらしいということくらいだ。
その彼女がちらりと流す視線の先にはロウがいる。
短く刈り込まれた髪は枯草色。
瞳はヘイゼル。
よくある組み合わせだが、ロウのヘイゼルの瞳は光を弾きやすいらしく、どことなくミステリアスな雰囲気を演出するのに役立っていた。
不敵な笑みを浮かべれば、彼ほどに挑発的に見える者もなかなかいない。
それを『魅力』と呼べなくはないかな、とアルトは思う。
雰囲気は別にして、太陽の届かない深海のような紺色の髪と、同じような瞳を持つアルトにとっては彼の明るい色合いが少しばかり羨ましくもある。
他の団員と違って、筋骨隆々の巨漢というわけではないところも女性たちにとっては点数が高いのではないだろうか。
ちなみにヘビースモーカーだが、酒は嗜む程度。
特定の女は居ないが、女にはやたらめったらモテる。
煙が苦手なアルトが同室になってから、きっぱりと部屋で吸うのをやめてしまった気遣いのできる男でもあった。
その思いやりに気付いてしまった身としてはなんとなく悔しい。
第三騎士団の色男、なんて呼ばれているのも耳にした。
年は聞いていないが、多分アルトと五つと離れていないだろう。
なのにこの違いはなんなのか。
騎士団の中で確実な足場を持っている彼は、確かにやり手なのだろう。
が、
「なんでこんな遊び人がモテるのか全然わからない!!」
「そりゃお前、女にとっても俺は都合のいい男だからじゃないか?」
「どういうこと?」
「遊びに最適ってコト。俺ってば、ちゃんと立場を弁えてるからね。後々拗れる様な面倒な男とは誰だって遊びたくないだろう?」
「……は、破廉恥だ! 不誠実だ!」
「破廉恥な自覚はあるが、男ってのはそういうもんだろ~? あと、俺は誠実なの。誠実に間男と愛人と二番目をやってるの!」
飛んできたデコピンは大人の世界を垣間見せた。
アルトはあの色街の女の視線を思い出す。
あそこには少しの本気が混じっていた。
遊びと言っている女たちの中に、彼が本命である女は何人いるのだろう。
「ふんだ、本命が出来た時に泣くがいいさ!」
罪な男だと言外に言ってやる。
人にしたことはいつかきっと自分に返ってくるものなのだから。
アルトの負け犬の遠吠えをロウは鼻で笑った。
多分彼は本気の恋を知らないし、する気もないのだろうとその態度で察しはつく。
が、これ以上プライベートに踏み込み過ぎるのは厳禁。
一見警戒心が薄いように見えるロウが他者との間に引いた線はとても濃く、明確だ。
アルトは肩を竦めてそれ以上のお小言を勘弁してやった。
速やかに軽口をやめてしまったアルトに、ロウの形のいい眉が少しだけ感情を表す。
ロウだけが知ることだが、実はアルトが彼の引いた線を踏み間違えたことは今の所一度もない。
――隊長もいい同室者を選んでくれたものだ。
心中を言葉にすればこんな感じになる。
絶対に口には出さないが、彼が作る空気はロウにとっては無性に居心地が良いものだった。
が、それは多分自分だけではない。
最初は浮いていた彼の隣を、今や誰もが座りたがる。
その一番近くで他者に睨みを利かせつつ、優越に浸るのが最近のロウの日課だった。
感情を逆なでしない貴重な人材を手放すつもりがないロウは、その光景を思い浮かべて苦笑の気配を滲ませる。
――これで他者を威嚇する必要がなくなれば最高の相棒なんだけどなあ、と。
アルトが騎士団に馴染んだ頃の事。
アリシアとユージンから銀箔を散りばめ、金で縁取られた立派な手紙が送られてきた。
勝手に他人と体を入れ替え死にかけた時は多大なる心労をかけたので文句は言えないが、一時期彼らからの手紙は直接会えない分ルーク以上に頻繁だった。
近頃はやっと落ち着いてきて、最近の一番大きな報告はリリィの研究スポンサーとして金銭面でバックアップをすることを決めたという話。
うまく収まってくれてほっとしたというのがアルトの心境だ。
リリィの体を勝手に譲ってしまったことを本当に申し訳なく思っていたのだが、アリシアの逆鱗はそこではなかったようで、
「あなたが命を譲らなければならない程の価値が、あの方にはあるんでしょうねえ?」と、まあ、脅しのような言葉が大変恐ろしかった。
とても「どっちも生きてるし、大団円じゃない」なんて言える雰囲気ではなかったとだけ言っておこう。
そんな彼らからの久々の手紙は吉報。
学園を卒業すると同時に正式に婚約を結んだこと。
一年後に結婚式を挙げること。
そして、アリシアがユージンの家での花嫁修業に入り、ユージンは宮廷で父の後を継ぐための見習いとして働き始めたこと。
そんなことがつらつらと書かれていた。
やがて結婚が間近に迫ればアリシアも通いでは追いつかなくなり、泊まり込みで侯爵夫人としての仕事を叩きこまれることになる。
もしかしたらそれは自分だったのかもしれないと思うとアルトは心底ほっとするのだ。
「それにしても、……そうか、もうそんなに経つのか」
アリシアがリリィになった頃には、まだ卒業までに二年以上もあったというのに。
感慨深いものが胸に溢れる。
学園の卒業式には少し出てみたくもあった。
友人たちの晴れ姿が見られなかったのはただただ残念だ。
きっと華々しく、二人は主役のように輝いていたに違いない。
できれば結婚式に出席して欲しい旨が書かれていたが、さて、休暇届は受理されても、そろそろ身分を剥奪される予定の自分に、手紙ならともかく、侯爵家からの正式な招待状は送れるのだろうか。
ダメでも祝福の気持ちに変わりはない。
精一杯の言葉と贈り物を送ろう。
やはり大人の世界より、彼らの真っすぐな愛の方がアルトにはずっと理解が出来た。
「へえ、随分と高尚なお友達がいるんだな」
「……プライベートな手紙なんだけど?」
「え、だから?」
「勝手に覗くなって言ってるんだよ、このすっとぼけ野郎」
「ええーひどーい。偶然見えちゃっただけじゃ~ん」
わざと逆なでしているようにしか見えない。
そんな時は、他に意図があるのがこの男。
最近やっとわかってきた。
「で、なに?」
「……ホントやりにくいなぁ、お前」
端的に切り出すと、少しの間があった。
ロウとしては最大の賛辞だが、アルトがそれを知る由もない。
ぽりぽりと頬を掻くロウに珍しいものを見た気分になる。
「いや、どういう知り合いかな、と。少し気になっただけ」
有名な才媛と侯爵家の子息。
騎士団に放り込まれるような人間と普通付き合いがあるとは思えない身分の人間だ。
ロウは一瞬で手紙の差出人もきっちり確認していたらしい。
さすが抜け目がない。
「学園でできた友達だよ」
「……お前、学園に通ってたのか!」
男同士というのは武勇伝以外の過去をあまり語りたがらない。
それに則ってアルトも特に何かを話すことがなかった。
ロウにとっては初耳の、そして驚きのエピソードだったのだろう。
貴族の中でもある程度の身分があるか、嫡男か、よほど才能のある平民だけが通えるのが学園だ。
掃き溜め騎士団に所属する者で、学園に通っていた者などそういないだろう。
「通ってたんだよ。これでも」
ふふと笑ってみせると苦い顔が返ってきた。
アルトが辿った転落人生にでも思いを馳せているのかもしれないが、とんだお門違いである。
「この二人はその頃に少しだけ関わったんだ」
「……なんだ、仲でも取り持ったのか?」
「好意的解釈をすればそうかも。でも、二人がそう思ってくれてたら嬉しい、かな?」
「ずいぶんと曖昧な話だな」
その女が好きだったのか、とロウは聞きそうになって慌てて口を噤んだ。
アルトがわざわざ尊重してくれているパーソナルスペースを、自分が踏み越えるのはルール違反だと思ったから。
が、当のアルトは嬉しそうな顔で愛を語る。
「ってかさ、やっぱり愛ってのはこうあるべきだと思わない? 幸せって、こういうものじゃない? 僕は愛の理想というなら、この二人だなぁ」
「砂糖菓子のように甘い考えをありがとう。胸焼けしそうで手にも取れないわ」
ロウはあっさりと肩を竦めた。
残念ながら煮詰めたコーヒーのように苦く、不誠実な男にはまったくもって馬耳東風なようだった。