3.幸福のリリィ
ルークがそうやって得た時間で久々の実家を満喫しつつ、新しい妹と過ごしてみるとやはり見えてくるものは多い。
そもそも監視観察のために帰ってきたのだから、わからなければ困るのだが。
――が、いくら疑ってかかっても、穿ってみても、裏が見えてこない。
ごく単純に彼女は大変な努力家で真面目な人間だ、というのがルークの感想だった。
彼女のやることなすことをつぶさに見ていたルークは、段々と口を出したくて仕方なくなる。
ちょっと頑張り過ぎなのではとか、少し休憩をいれようとか、たまには大人しく座っててくれだとか。
学園を退学したリリィが現在何をやっているかというと、彼女は彼女なりに色々と模索をしているらしい。
家からは少々歩くが、街中の学舎で勉強を教えたいと自ら売り込みに行って、週一でのお試し採用中だというし、近所の商店で見かけるたびに違う店で番をしていたりもする。
それが八百屋と薬屋と服屋とかいう、なんともかけ離れたジャンルの商店だったりすると、もう見境がないとしか言いようがない。
商人見習いのルークから見ても、教養があるだけに計算もはやい。
服飾関係は貴族のセンスがものを言って、アドバイスには定評があるようだし、薬に関してはある程度の知識もあったのか大変重宝されているようだ。
他には食事処でも一時期働いていたが、なにかと絡まれることが多かったようで長続きはしなかった。
あしらうのが苦手だとはリリィ自身の言で、苦手克服よりは色々な経験を積むことを優先していた彼女はすぐに別の仕事を探した。
リリィを雇ってくれていた定食屋の主人曰く、あれはあれで味があって一部の客には好評だったので残念だとか。
兄の贔屓目で見なくともリリィは造作が整っている。
もちろん俺もな、と呟いたのは聞かなかったことにして。
下町育ちのリリィは当然卑猥な単語や行き過ぎた軽口、しつこいナンパは日常茶飯事で、その対応も慣れたものだったが、現在のリリィは違う。
目は口程に物を言う、とはよく言ったもの。
うまい返しができないリリィは少し黙り込んで、じっと人の目を見つめる。
冴え冴えとした目線が軽蔑の色を乗せて向けられるのは兄ながら委縮を覚えたものだ。
とにもかくにも、リリィは一日中何かをしている。
なぜそんなにもがむしゃらなのだと訪ねた時、ルークを見上げたリリィは少しだけ躊躇って、申し訳なさそうに答えたものだ。
「……彼女が、『好きに生きて良い』って言ってくれたのに。私、どう生きたいのかなんて、思い浮かびもしなかったんです」
――それが情けなくて。
だから見つけたいのだと言う。
やりたいこと、楽しいこと、好きだと思えること。
「真面目だなぁ」
とつくづく呆れたものだ。
さて、そんな様々な職を渡り歩いているリリィだが、もちろん時間が空くときもある。
時間を無駄にしない徹底した効率主義は称賛するが、ルークはそれに関しては一言もの申したかった。
空いた時間にリリィがしていること。
――迷宮探索だ。
かつての妹に言ったことと同じことを彼女にもいう。
「そんな危険なことをわざわざしなくてもいいんじゃないか?」
妹とは別の答えを、今のリリィは返す。
「でも、彼女だって潜っていたわ」
それもそのはず、リリィの冒険者証は妹がかつて登録して実際に使っていたものだ。
もちろん本人なのだから今のリリィにも使える。
ひらひらとそれを見せるリリィだが、ルークは折れなかった。
「リリィには魔法ってギフトがあったからな。アンタにはないだろ?」
「ええ。ですが、自分の身を守れる程度の手習いはしています」
すっとかざしたのは細身の剣。
家の裏庭はあまり広くないが、型程度なら見せることができるだろう。
ルークを納得させるために目の前で護身術だと披露された剣の腕は、彼の目から見ても確かになかなかのものだ。
それでも眉間の皺が取れないルークを見て、リリィは笑った。
第一印象からは想像もできなかったが、最近やっとわかってきた。
この兄は心配性なのだ。
「大丈夫ですよ? 無茶はしません」
大口を開けて笑っていた妹とは違って、彼女は「ふふ」と微かに空気を震わせるように笑う。
同じ外見だというのに、彼女の方がずっと柔らかく見えるのがルークには不思議でならない。
顔を覗き込んでくる目には同意を求める色と、小さな笑みの気配が滲んでいた。
妹が太陽だったのなら、彼女は月。
それくらいの差がある。
とはいえ、上品さを感じさせるこの笑みにもいつの間にか慣れてきた。
そろそろ譲歩の時なのかもしれない。
「お兄さまは優しすぎます」
ほら、と。
すっと伸ばされた彼女の指が、無意識に寄っていたらしい自分の眉間に触れて、ルークは驚きに目を見開いた。
思わず後退らなかったことを褒めて欲しいくらいだ。
今まで互いに何となく保ってきたはずの距離感。
不意に踏み込まれたのだから動揺もする。
あまりにも近い。
リリィもまたその行動は無意識だったのか、ルークが固まったのを見て不用意に近づきすぎたと慌てて手を引こうとした。
が、思いとどまって問いかける。
不安気に声は揺れてしまったが、それは許して欲しい。
リリィは先に進みたかった。
「兄妹でしょう?」
だから、おかしな距離ではないでしょう?
そうルークに聞く。
「あ、ああ。そうだな」
互いの事もある程度わかってきた、そろそろ兄妹としてやっていこう。
そんなメッセージを受け取ってルークがぎくしゃくと頷くと、
「見ててじれったいんだよ、あんたたち!」
開け放った裏口から半身を覗かせた母親が呆れたような声でそう言った。
「人の事言えんだろう。お前も似たようなものだったんだから」
「余計な事言うんじゃないよ!!」
顔だけ出した父がぼそりと似た者母子だと呟くと間髪入れず母の怒声が響く。
リリィはやっぱりふふと笑った。
ルークはちらと両親のじゃれ合いを嬉しそうに見ている、互いの腕が触れるほどすぐ近くにいるリリィの頭を見下ろした。
突然縮められた距離じゃない。
ちゃんと、少しずつ、近寄ってたんじゃないか。
家に来た当初は手を伸ばしたって届かなかった距離は、いつの間にかここまで縮まっていたのだ。
よし、と決意したような顔で手を伸ばす。
くしゃくしゃと撫でた髪の感触は、昔から変わっていない。
その事に少しほっとした。
いきなりの距離感に驚いたのは今度はリリィの方だ。
弾かれたように顔を上げると、きゅっと目尻に力を込めている兄と目が合う。
――その表情が、照れ隠しだとリリィは知っていた。
「……家族だからな」
おかしなことではないだろう?
言い訳のように呟く言葉は存外柔らかい。
穏やかで、賑やかで、暖かで、そんな家族が嬉しくて、リリィは少し泣きそうになる。
アリシアが得られなかったものが、ここにはあって、今度こそ手に入れられたのかもしれないのだから。
よかった。
体を替えて、よかった。
代わりに窮屈な思いをすることになった彼女には申し訳ない事をしたと思うけど、リリィはとても幸せだった。
貴族をやめて、荷を下ろして、肩はとても軽い。
終わりのないがむしゃらな努力を続けなくてもいい。
気を張る必要もなくて、好きに笑って、自分の心をそのまま声に出来る。
全てをあの体に置いてきた。
「自由をくれる」と彼女が言ったように、今、確かにリリィは自由だった。
今さら貴族に戻れそうにはない。
やっぱり、性格的に向いていなかったのだ。
リリィになってから気付いたのだが、そもそも自分は努力が嫌いではないらしい。
アリシアの時はやり過ぎたけど、努力を強要されない今が、とても楽しい。
色々な店を手伝って、時々冒険者のまねごとをして、近所の子どもたちに勉強を教えて。
アリシアが新しい道を切り開いていっているように、リリィもまた新しい家族と新しい絆を築いていけている。
自分たちの選択は、きっと正しかった。