第五話 「旅立ち前」
鍛練を始めてから八か月は経っただろうか。
シエンもリーも目まぐるしく成長していった。
「兄様、今からここに立って目の前を通り過ぎる人の数を数えてみましょう」
「分かった。何秒間だ?」
「そうですね…七十秒間はどうでしょう。兄様も長い時間集中すると辛いでしょうから」
「分かった」
「では、よーい、ドンなのです!」
シエンは反響定位の訓練を怠らない。毎日毎日こうして街に出ては、通り掛かった人数を数えるという訓練をしている。
杖を必要とすることは無くなり、己が足で歩くことも不可能ではなくなった。
ただ、リーがそんな兄を万が一があったら大変だ、といつも彼女が手を引いて歩いている。
彼の成長はその耳。
自分の耳に入ってくる音を正確に聞き分けて、対象を認知する。状況を把握し、景色を見出す。
反響定位をおよそ五か月程度で習得し、現在ではかなり上達してきている。
例えば今行っている人数当て。これはそう容易なことではない。
必ず一秒間に通り過ぎる人数が一人なわけがなく、二人、三人、四人…と重ねて通り過ぎていくほうが多い。
それを瞬時に把握し、正確に数えることは至難だ。
しかし、シエンはそれを正確にやることができるようになったのだ。
「…終了です!何人でしたか?」
「男が七十九人、女が五十四人、合計で百三十三人だ。今日も賑やかだな、此処は…」
「凄いですね…。正確に数を数えられるだけでも凄いのに、性別分けもできるなんて…」
「努力はしたからな」
シエンは景色を見出すだけでなく、筋肉、骨の動く音にも敏感に反応する為、歩幅などの動きによって性別を識別することが可能である。
筋肉の動く音に反応できるということは、相手の一歩先を取れるということに等しく、守り、攻めを即時に判断することが可能になったのだ。
耳に神経を集中させなければいかず、長時間の戦闘は難しいが、彼の聴覚はそれほど過敏になったということになる。
「むぅ…私も頑張ってるのになんだか兄様の反響定位を見てると小物に見えてきます…」
「合気と倭刀術を習得してる時点で小物ではないだろう」
リーもリーで成長していた。
まず倭刀術。
最初は、斬れない見た目だけの偽物の倭刀剣を使って訓練していたが、次第に真剣を使って訓練することが多くなり、鈍かった空を切る音が鋭くなり、居合などの剣術の剣速が速くなって、一撃で斬り捨てる事も可能になった。
魅せる物から、戦う物に完全に変わったようだ。
しかし、ソウウォンは万が一、剣を取られてしまった時、弾き飛ばされてしまって隙が出来てしまった時の為の護身用の武術として合気を覚えさせた。
合気は相手を倒す力では無く、相手を制する力で、最小の力と動きで相手を組み伏せる技術。
カウンターのような立ち回りが多く、相手をいかに傷つけずに無力化させることができるかが重要となる物で、熟練者になると、予測困難かつ柔軟な立ち回りが可能となる。というのはソウウォンの談。
しかし、この武術の存在を、リーやシエン、ソウウォンの仲間たちすら知らず、ますますレン・ソウウォンという男の謎が深まってしまった。
因みに、リーがこれを習得し、それなりに上達したころにシエンと組ませたのだが、シエンがなすすべなく体からありえない音を立てながら組み伏せられた。
「やることもないですし帰りますか」
「あぁ」
リーがシエンの手を引き、お世話になっている家へと戻る。
二人を地獄から引き揚げてくれた人達の家。
大通りを抜けて、細い道を通って、住宅街に出て真っすぐ進めばその家だ。
門を通り、庭に入ってリーが大きな声で挨拶する。
「ただいまかえりました!」
「帰った」
「おーう!二人とも、おかえり!」
「ルイ、また庭の手入れか?目が悪いのによく出来るな」
「当ったり前よ。俺が出来なかったらこの庭終わるぜ?うちは脳筋しかいないからな。芸術力が一番ある俺がやるに限る」
「自分で言うかぁ?それ」
「おう。そういうのは自分で言っとかねえと分かんねえからな。お前らも言ったほうがいいぜ」
「遠慮しとく」
会話を済ませ、玄関の扉を開ける。その時に、後ろからまた声を掛けられた。
「ああそうだ二人とも」
「なんだ?」
「なんですか?」
「レン兄がお前達に部屋に来いって言ってたぞ」
「そうですか、分かりました」
「分かった」
ルイの言葉に頷き、ソウウォンの部屋へと向かう。
廊下を歩いて、突き当りの部屋。
扉を叩いて、部屋の中へと入る。
「おかえり、二人とも」
「あぁ」
「はい、ただいまかえりました」
「うーん…。やっぱり佇まいが変わったねえ。門出ももうすぐかな?」
「門出……ですか?」
「うん。君達の本当の目的は借金返済だからね。いつまでも此処に居させるつもりはない」
ダンジョン攻略をして借金を返済する。それが当初の目的だった。
命を賭けた一発逆転。これ以外に方法が無かった二人をここまで成長させたのは、彼らの才能だけでなく、覚悟だ。
本来、合気や倭刀術、反響定位は習得するのにかなり長い期間を要する。それを八か月という短さで上達させられたのは、普通の鍛練の数倍は辛い鍛練をしてきたからだ。
生半可な覚悟だったすぐにでも辞めていただろう。
「でもまぁ、僕を倒さない限り、門出は許さないけどね。…なーんて言う僕もやっぱり君達に情が移ってるのかもしれないね…」
「倒す…?」
「あぁ。いわゆる卒業試験だ。一対一で僕と戦い、勝てば門出とする」
「そんな…!貴方と戦うなんて出来ま…」
「おっとリー、教えたはずだよ?」
「あっ…すいません…」
「やる」
そう言ったのはシエンだった。
「リーとは違ってとても決断が速い。その心は?」
「お前の強さが分からない。だからこの手合わせで知りたいってだけだ」
「ふーん?やっぱり面白いね」
そう言ってソウウォンは笑みを浮かべる。
そしてその視線をリーの方へ移した。
「リーはどうして出来ないなんて言うんだい?」
「だって、勝ったら殺してしまいます…」
「なぁに、心配ない。自分が強者と思っている人を超えた時ほど、気持ちのいい事は無いよ?だから自由に斬り捨てな?」
「でも…」
「それに僕も一度見てみたいんだよ。リーの綺麗な剣舞」
「……っっっ!頑張ります!」
彼女の生まれて一番最初に出来た志が綺麗な剣舞で魅了すること。
しかしそれは叶わなくなって魅せる物から戦う物にしたのだが、それは間違い。綺麗な物はよほどのことが無い限り色褪せることはない。それを知っているからこそ言える言葉であり、その夢に向かっていたリーにとって最も刺さる言葉である。
「決まりだね、明日、君達二人を一対一で相手する。勿論容赦はしないし、どちらか片方でも負けたら保留だ」
「……」
その言葉に二人は息をのんだ。
それは、いつもの声音と変わらないのに、妙な重さと冷たさがあったからだったからだ。
後半部分が消えるという失態…急ピッチでなおしました