第三話 「それぞれの才能」
翌朝、二人は施設の外、庭に呼び出されていた。
まだ日が昇ってから少ししか経ってない頃なので、リーに関してはまだ寝ぼけ眼だった。
「さて、と。おはようふたりとも」
「おはようございます…」
「あぁ」
「昨日言っといた内容は覚えてるよね、君たちはそれぞれ違う分野で鍛える。君達はこれから夜にしか会えなくなるけど良いよね?」
「構いません」
「あぁ」
二人の返事を聞いたソウウォンは頷いて、二人にあるものを渡す。
「シエンにはこれを。リーにはこれだね」
「倭刀だぁ!あっ…ちょっと重いですね…」
「棒…?」
「杖だよ。それで音を鳴らしながら、かつ感覚を研ぎ澄ませながら街をひたすら歩く。それが君の鍛練だ」
「太極拳は?」
「体が覚えてるだろ?」
「ううむ…。まぁ…」
「(あんまり覚えてねぇなコイツ…)太極拳は専門外だし、教えられないしね」
「よくそれで僕が教えるって言えたもんだな…」
「その代わり、八極拳教えようか?体に直接」
「いや、良い…」
シエンは身の危険を感じたのか、杖で地面をカツカツと叩きながら、壁の方に歩いて行った。
「シエン。そっちは壁だよ」
「そうなのか?」
「うん。だから、こっちの方向に真っ直ぐ歩いて」
ソウウォンはシエンの体の向きを変え、そう指示した。
シエンは黙って杖を鳴らしながらぎこちなく歩いていく。
反響定位を覚えるに当たって音を発する物が必要不可欠。それにあたり、ソウウォンは彼に杖を与えたのだ。
杖を突きながらも、よろよろと不安感を募るような歩き方をしているシエンの背中を見守りながらソウウォンは呟く。
「習得するのに何日かかるかなぁ」
「何を習得させるんですか?」
「反響定位って言ってね。音の反響を受け止めて、それによって周囲の状況や景色を知ることができる能力だ。彼はそれさえ習得できれば、もう大丈夫だ」
「へぇ…」
「さぁ、彼も行ったことだし。始めようか」
「はい!」
リーは大きく返事をした。
さっきまで寝ぼけ眼だった彼女だが、目が覚めた様だ。
「リーって剣舞やってたんだよね?ならちょっとだけなら扱いには慣れてるでしょ?ちょっとだけ、出来れば見せてほしい」
「まぁそれなりには…。でも剣の種類も違うし、何より私の教えられていた剣は魅せるものであって、戦う物じゃないです。レン様の思っているような事はきっと出来ないです…」
「様呼びはちょっと距離感があるなぁ。もっと親しみを込めて呼んでいいんだよ?……まぁ、今は別に良いんだけどね。とはいえ、最初から出来ないって言うのは駄目だよリー。それは絶対に駄目だ」
常に目を閉じている様に見えるソウウォンだが、今回に関しては目を開けて、リーに向き合っていた。
鋭い視線にリーが少したじろぐ。
「最初から出来ないと言うと相手からは何も出来ないと思われるんだ。だから、色んな物事にまずは挑まなきゃいけない。自分にどんな才能があるのか分からないんだから。もしかしたら才能があるかもしれないのに、そうやって最初から投げ出すのは勿体無いよ」
「…分かりました。やってみます」
「うん、それで良いんだ」
リーは倭刀を上に振りかざし、目をそっと閉じる。
倭刀を両手で握り締め、足を少し前に出して前方に振る。
ブオンと空を切る音が聞こえ、足を元の位置に戻すと共に前方に振るった倭刀を胴の辺りに持ってきて、次の振りに備える。
再び、倭刀を上に振りかざし、足を少し前に出し、今度は前方ではなく斜めに振り下ろす。
今度は態勢を戻す事はせず、斜めに振り下ろしたままの倭刀を片手で持ち、横に斬り払う。と、ここで少し重さに振り回されたのか、態勢を崩してしまったが、すぐに立て直した。
リーはそこまでしてそっと目を開けて、倭刀を鞘に納めるかのように腰に戻した。
ソウウォンはそれをみて口角を少し上げ、口を開く。
「良いね。綺麗な振りだと思う」
「………レン様。実は私、昔はもっと出来ていたんです。5歳から剣舞を母様から習い始めて、母様と父様が居なくなる11歳までずっと厳しく教えられてきましたから。あれから3年経った今でもこの三つだけは覚えていました。でも、やっぱり鋭さが落ちていますね。あんな鈍い音が出てたんじゃまた母様に叱られてしまいます」
「それは仕方ないよ。3年は結構大きいんだから。これからそれを魅せる用ではなく、戦う用に応用していこう。でも、最後の横一文字の時、少し態勢が崩れたよね。やっぱり痩せちゃったのと筋肉量に問題があると思うから体作りもしていかないとね」
「はい」
リーは頷いた。
ソウウォン自身、あの剣を見た時少し心が躍ったのだ。この子はしっかりと育ててあげよう、と思うぐらいには。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
杖をカツカツと鳴らしながら、歩くシエン。
シエンは未だに不安感で冷や汗をかきながらぎこちなく歩いていた。
「(耳を集中させているが…何も分からない…)」
昨日ソウウォンから聞いた話では、音の波長を読み取って、景色を観れる、という話だった。
だが、幾ら杖を叩いても、真っ暗闇で何も分からない。
真っ暗闇の中で自分だけが取り残されていて、光すら分からない。それがただ怖い。
「おい」
半ば焦りながら杖で地面を叩いていると、横から声を掛けられた。
「反響定位の練習だったか?俺も付き合うぞ」
「誰だっ…」
「ジ・ルイだ。レンの兄ちゃんに頼まれたんで来てやったんだ。まぁ少し出遅れたが、案の定あまり進めて無かったから安心したぜ?」
「……」
「ちょっと杖を貸しな。お前は耳に全神経を集中させろ、良いな?」
「…あぁ」
ジ・ルイは杖を借りた後、思い切り杖で地面を叩いた。ダンッという大きな音が響き渡り、思わずシエンはびくりと身を震わせる。
シエンはその時、とある音の違和感に気づいた。
音は杖を中心に波紋の様に広がっていくが、ある一点一点からその波が跳ね返ってきていることに。
まだ明確ではないが気づけた。
「近くに壁でもあるのか?」
「おっ、気づいたか?まぁ、正確にはあるのは木なんだが。距離感は掴めるか?」
「いいや…まだ分からん。もうちょっと教えてくれ」
「馬鹿言うな。何のための練習だと思ってる。教えを乞うよりまずはその感覚に慣れろ」
「…それもそうか」
「レンの兄ちゃんが街に行けと行ったんだろうが、こういう風にまず感覚に慣れることが大事だ。お前に関しては妹の方とは違って全てが初めてなんだからな」
「あぁ」
その後、耳に神経を集中させながら地面を杖で叩き続けた。
何度も何度も、その感覚を覚えるまで。
ただただ同じ事を繰り返し続ける。
一時間ぐらい経った時、唐突に頭痛に見舞われた。
「…っ」
「集中しすぎたんだな。少し休め」
「分かった」
地面に腰を下ろし、杖を置く。
リーはどうしているだろうか。大丈夫だろうか。と、今でも妹の事を心配している自分は心配性だなって自分に呆れる。
「妹なら心配ねえ。レンの兄ちゃんは体を物理的に壊すのは得意だが、お前の妹の場合、使うのは倭刀だし大丈夫だ」
「なんだその理論…。ていうかなんで俺の心が読める」
「そういう努力したからな。心眼ってやつ?」
「努力でなれるものか?それ」
「さぁなぁ。才能かもしれん。まぁどっちにしろお前は重度のシスコンだな」
「殺すぞ」
「おーこわ。でも安心しろ。将来有望な子供を殺しはしねえよ、それに」
「それに?」
「お前の妹普通にかわいいしな」
「関係あるかそれ」
「俺のやる気に関わる」
「わけわからん」
シエンとジがリーの話をしている時、当の本人はというと。
体作りのスケジュールが辛くて、全てこなした後に石畳の上に大の字で寝転がりながら、喚いていた。
「昨日までの生活より、辛いです…」
「昨日までは精神的に辛かったんだろう?今日からは肉体的に疲れるよ」
「うあぁ…逃れられません」
「でも君は女の子だから、そこまで筋骨隆々にする気は無いから安心して?丁度いい感じに筋肉は付けさせるからね」
「ありがとうございます…」
ソウウォンとリーはこれからの鍛練の事を話していた。
あっちがそういう話をしている時、こっちは真面目な話をしていたのだ。
兄妹の鍛練はまだ続く。それぞれの努力が成就するまで。