第二話 「ひと時の間」
リーは一足先に施設に連れてこられていた。
そこで、一つの小部屋に、連れ込まれ、地面に下ろされる。
うるさいからと嵌められていた猿轡が外され、満足に息ができるようになる。
「……っぷはあっ!…はぁ、はぁ…此処は、どこですか?」
「んー?俺らの住処。レンの兄ちゃんがお前達を保護するっつぅから連れてきた」
「ほ、保護?」
「そうだ」
「感謝しろよ?兄ちゃんがこんなこと言うのなんて滅多にないんだからな?」
細身の男は金属でできた桶を持ってきて、そう言った。
もう一人のガタイの良い男がその桶の中に水を注ぎこんでいく。
「一体何を?」
「お前汚いからとりあえず石鹸と水で綺麗にする」
「服も汚れ切ってるし、新しいのにしてやらないとな」
「え?え?」
この時、リーは困惑していた。なぜこんなにも用意がいいのか。
ていうかまずなんでこうなった。と、頭の中がこんがらがっていた。
髪を纏めていた紐を解かれる。久々に紐を解いた気がする、と彼女は思った。
「とりあえず服を脱がせてっと…うはぁ、ガラガラだなぁ」
「これは食べさせてやんねえと…冷たくないか?」
「だ、大丈夫です」
「なら良い。そこに四つん這いになれ」
「……こうですか?」
「よしよし」
頭に水をかけられてわしゃわしゃと洗われていく。えらく凶暴そう風体だったので乱雑にされると思ったがとても丁寧に洗ってくれているのでリーも一安心した。自分から滴ってくる水をみて、自分の汚さを実感した。水が茶色く濁っていて、汚かったからだ。
自分の汚さを知って、体も洗いたい洗いたい、と熱烈に思っていたら頭の洗浄が終わったのか布を被せてきてガシガシと拭かれた。
「頭は綺麗になったな。ほれ、櫛」
「あ、ありがとうございます…あの」
「んー?」
「体を拭くだけじゃなく、洗わせてほしいんですけど…」
「そろそろレン兄ちゃんが帰ってくるはずだから、その後な。お前にも言いたいことがあるそうだから」
「とりあえず、さっきの服に倣ってお前のサイズに合いそうな白い服を持ってきたぞ。気に入らなかったら言ってくれ」
「あ…ありがとうございます」
細身の男が持ってきた白い服を広げると、少し高価そうな生地の服だった。
リーは慌ててそれを細身の男に返そうとして言う。
「こ、こんな高価そうなの、着れませんよ!」
「大丈夫だよ。だってそれ実質タダだしな。材料費はちと掛かってるが売るわけでもないし問題ねえ」
「え?」
「こいつは、服とか手ぬぐいとか作るのが得意でよ。俺等の服もこいつが作ってんだ。だから服を買う必要が無い。服の材料費もこいつの自腹だから俺等得しかしてないんだよ」
「はぁ…。では、お言葉に甘えて着させていただきます」
「おう。じゃあ俺等は出てくからな」
「はい」
二人の男は部屋の外に出ていき、リーはいそいそとその服を着始めた。肌に感じる感触はとても滑らかで心地が良かった。
下はあのままだが、大丈夫だろう。
櫛で髪を整えて、後ろで一つに纏めて紐で結ぶ。いつも通りの髪型の完成だ。
「よし」
一人しか居ないこの部屋でリーは小さく呟いた。
その後暫く一人で待っていると、シエンとソウウォンが入ってきた。
ソウウォンは部屋に入って早々、リーの前に立って、目を合わせるように身をかがめた。
「ふむ、頭と顔を洗うだけで綺麗になったね」
「……」
「あの時はごめんね。どうしても、君達の居場所を特定したかったんだ。目と頭、大丈夫かい?」
「…今は」
「そうか、良かった。君のお兄さんにはもう話したんだけど、君も聞いてくれる?」
「話、ですか?」
「そ、君達兄弟が救われるかもしれない、大切なお話だ」
ソウウォンは貼りついたような笑みを浮かべ、顔を近づける。
リーはその顔が気味悪くて、ちょっと距離を置くようにして後ずさった。
「とりあえず自己紹介。僕はレイ・ソウウォン。君達に助け舟を出してあげる」
「助け舟…」
「そ。命に関わるけど成功さえすれば借金は返済できるし、なんならお釣りが返ってくるぐらいのとても良い事なんだけど」
「は、はぁ…」
「君もダンジョンは知らない訳じゃないでしょ?ここら辺は結構そういう類のが多くてさ、やってみてもいいんじゃないかなって」
「でも、私達二人で、ですよね?不可能じゃないですか?」
「だから君ら二人を少しの間鍛える。今の状態じゃ絶対無理だからね」
彼はそうきっぱりと言い放った。
リーはその言葉にぐうの音も出なかった。仕方ない、その通りなんだから。
しかしリーにはそれ以前に理解できなかったものがあった。
「て、ていうかそれ以前にどうしてこんなに私達に親身になってくれるんですか?お金だって返せてないダメ人間なのに…」
「んー。それはね、君達二人、まだ何も知らないような子たちが親の身勝手な行動で不幸になるのは間違ってると思うんだよね。本当は子供だからって容赦せずに、売り払ったりするんだろうけど…それはあまりにもひどい気がする。そういうところ、僕甘いから」
「…えっと」
「君達の目線からすれば、得しか無いと思うんだろうけど、僕等は別にそれだけで食べてる訳じゃないし、別にこんな事する必要無いぐらいにコレ、貰ってる訳だからね」
そう言ってソウウォンは指で銭の形を作って微笑んだ。
リーはそれを見て少しきょとんとした。
「それで、話を戻すけど。君は賭けるかい?危険だが成功すれば借金返済で一発逆転出来るダンジョン攻略に」
「………」
リーはずっと壁にもたれ掛かっている己の兄に目をやった。彼は目が見えていない。そんな状態でそんな所に行ってもどうしようもない。
「シエン兄様は、どうされるんですか?」
「俺は賭ける。お前の為にも、辛い生活から抜け出したいからな」
「無茶ですよ!目が見えないのに、ダンジョン攻略なんて…!」
「だからって、ずっと行動に移さなかったらこのまま、ずっと変わらずに俺も、お前も苦しめられるんだ。それぐらいなら、命を賭けてもいい」
「……に、兄様がそう言うなら…私は何も言いません」
「決まりだね。明日から、僕達が君達に色々教えていくよ、この家だって好きに使ってくれて良いし、当然三食ちゃんと与えてあげるからね」
「!」
リーがその言葉に目を輝かせる。ずっと満足な食事が出来なかった彼女達にとっては三食付いてくるっていうのが一番嬉しかったようだ。
「さてと、僕は少し用事があるから少し抜けさせてもらうよ。君達はいつも通り話したりしてればいい。それじゃ」
ソウウォンは短めに言って出て行った。小部屋の中に兄妹だけが取り残される。
静まり返る部屋の中、最初に口を開いたのはリーだった。
「もう後戻りは出来ませんね」
「そうだな」
「私、不安でしかないです。兄様はどうですか?」
「正直俺もそうだ。自分の目が見えないって分かってるのに流れで言ってしまったからな」
「駄目じゃないですか、私達、何もできないのに」
「それもこれも借金返済の為だ。…許してくれ」
「良いですよ。さっきはあぁ言いましたが、少しだけ、自分も冒険したいっていう思いがあったんです。借金返済という大きな課題がありながら、そういう思いが混じってしまいました。すいません」
「良いんだ。それでお前も同意してくれたんだから」
シエンとリーは暫くそんな会話をしながら時間を過ごした。
尽きない会話をしていると日も暮れてきて、ガタイの良い男がご飯を届けに来てくれた。
久々に見た白い米に感動を隠せないリーを見て、男は言った。
「米がそんなに感動的か?お前ら二人とも、痩せてんだから沢山食えよ?レン兄ちゃんの鍛練はきついからな」
リーは黙々と食べ始めた。特にリーは物凄い食べっぷりだった。
その光景を見ていた男がついつい笑顔を漏らすほどの食べっぷりだ。
対するシエンは何にも口を付けず、じっと料理を見ているだけだった。
「食わねえの?」
「目が不自由なのは困るな…」
「あぁ、なるほどな」
この後シエンは沢山食べて、満足したリーに食べさせてもらっていた。
その兄妹水入らずの場所に自分は必要ない。と思った男は無言で部屋を出て行こうと扉を開けた。
廊下に出ると、目の前にソウウォンが立っていて、驚きの声をあげる。
「うぉっ…レン兄ちゃんじゃねえかどうした?」
「んー?明日から鍛えるに当たって、何をさせるか、二人に言っとこうと思ってね」
「それがそのスケジュール表か、見せてもらっていいか?………兄貴の方は何もさせないのか?」
「いや。彼にはただひたすら反響定位と点字を覚えてもらう。彼は目が見えない。だから口で言おうと思って」
「反響定位と点字ねぇ…。なるほどな。んで、お嬢ちゃんの方は……倭刀術?なんでだ?」
「リーの方は幼少時代に剣舞を少し齧っていたみたいでね。そういう方向に多少の知識があるかもしれないから」
「ふーん…まぁ良いんじゃないか?」
「僕の調べに間違いがなければね」
そう言いつつソウウォンは部屋に入っていった。
レン・ソウウォンという男は借金を背負っている者の情報を漏れなく熟知している。リーやシエンも例外ではない。
その暗記力と記憶力は何処から出てくるのだろう。
「まぁいっか」
男は考えるのを辞めて、頭を掻きながら自分の部屋へと歩いて行った。