第一話 「事の発端」
ある砂の街の街角。靴磨きの女の子が来ない客を待ちながら建物の壁にもたれ掛かっていた。
白色の髪を後ろに一つにまとめて、少しさっぱりとした印象を受ける。しかし、今の彼女の状態はそんな印象の真反対だった。
汚れた服、土のこびりついた手足、砂埃のせいか少し黄ばんだ肌。まさに貧乏という言葉が似あう姿だった。
「はぁ…」
女の子は無意識に溜息を吐いていた。道行く人は自分を怪訝そうな顔で見てくるし、客も来ないからお金を稼げなくて食べ物も満足に食べれないからである。
どうせ客も来ないし、砂埃が顔に当たって痛いので、膝に顔をうずめて少し眠ろうと思ったとき。
「靴磨き?してもらおうかな?」
「ふあっ…!?お客様でしょうか!?」
「うん、お願いできるかな」
「はい!やりますやります!」
急に声を掛けられたので驚いて見上げると、にこやかな表情を浮かべた青年が立っていた。
かなり久々に来た客に嬉しくなり、ついつい笑みがこぼれる。
しかし、一向にその青年は靴を出してこない。
「あ、あの…靴を」
「あぁごめんごめん」
「うぁっ…!?」
青年が砂を蹴り上げて、砂を女の子の顔に吹っ掛ける。
その砂が目に入ったのか目を抑えてうずくまってしまった。
そんな彼女の頭を青年が踏みつけて笑う。
「うっ…ぐぅぅ…あぐぅ…ぃっ…たぁい…」
「あっはは!今更靴磨きなんて需要あると思ってんの?それに、君みたいな子がこの通りに居ることが迷惑なのさ。さっさとどこかに行ってくれるかい?んん?」
「いっ…!いだいいだいいだいいだいいだい!」
「返事もできないか」
呆れたような声を漏らし、足を退けると、女の子がバッと立ち上がり、足早に去っていった。
ちらりと見えたその眼には大粒の涙が溜まっていた。
逃げ去っていった女の子を見ながらにこやかな笑顔で青年が呟く。
「ようやく見つけた…。大量の負債を抱えて消えた地主の子供」
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
「はぁっ…はぁっ…」
女の子は身を潜めるように走り、川の岸に降りて、橋の下にある穴に来た。
家をとある事情で失ってしまった彼女にとってこの穴の中が住処である。
穴の中に入り、蝋燭に火をともす。
部屋全体が明るくなり、全貌が明らかになる。
小さなテーブルと二つの椅子、ぼろぼろのベッド。それしかない部屋。
そんな空間に既に椅子に座っている人物が一人。
「リー。おかえり」
「シエン兄様…」
「またやられたか…。目が見えなくても、お前の声音でよく分かる」
リーと呼ばれた女の子と同じ白い髪を持つ、両の目の光がない男。
この女の子に残された最後の血縁である。
「シエン兄様…私はもう街に出たくありません…」
「…で、あろうな。俺の目が見えていれば…お前が苦しむこともないんだが…」
昔はそれなりに裕福な家庭で育った二人だが、トラブルによって一気に転落。多額の借金を背負ってしまった。両親は二人を置いて何処かへ逃亡、行方不明。
働き口を探そうにもそんな両親の子供ってことで取り入ってもらえない。
それでも必死に働いていた兄であるシエンは、上司の悪戯かただの事故か、両の目を失明してしまう。
働くことの出来るリーだけで小金を稼ぐほか無くなっていた。
「すまないな…すまない…」
「シエン兄様が謝ることはありません。私達を置いていったあの二人が悪いんです…」
シエンはリーを抱き寄せて頭を撫でた。
その懐の中でリーは静かに嗚咽を漏らしていた。
そんな雰囲気を壊すようにして、一人の男の声が部屋の中に響き渡る。
「はいはい、お二人さん?失礼するよー?」
「!?」
「ヒッ…!」
部屋の中にズカズカと上がり込んできた男にリーが思わず声をあげる。
何故なら、ついさっき頭を踏みつけてきた青年だったから。
「いやぁ、その子が人に紛れるのが上手くて追いかけにくかったよ」
「なんで追って来たんですか!?」
「…」
「当然。お金を払ってもらわないとね。こっちもやってられないもんで」
そう言って青年は笑う。
対してシエンは無表情で逃れる為の言葉を言う。
「すまない、背負った借金は必ず用意する。だからもう少しまってくれないか…」
「あはははは!お兄さん、冗談はよしてくれよ。そういう言葉吐く人ってさあ、大概返さずに消えちゃうんだよね。君たちの両親とかさ」
「………」
「でも目だけはその気だねえ。予想通り!じゃあお前たち、連れていけ」
「なっ……」
青年の吐いたその言葉と同時に部屋の中に続々と男達が入ってくる。
その男達の中から一人出てきて直ぐにリーに掴みかかった。
「きゃっ!?」
「ほら嬢ちゃん。大人しくしな」
「やめて!離して!離してよぉ!」
「暴れるな暴れるな。悪いようにはしねえからよ」
「離して!助けて、兄様!兄様ぁぁぁぁっ!!」
リーはそのまま男達に連れられて行った。
部屋には、青年とシエンだけが残った。
青年はにこやかな顔をしながらシエンと向き合うように椅子をずらして座って口を開いた。
「さて、お兄さん?」
「リーをどうするつもりだ?」
「ん?あぁ、僕らのところでちょっと綺麗にしてあげるのさ」
「は?」
「僕は君達二人を助けに来たのさ。借金地獄からね」
シエンは何を言ってるんだこいつは、と思った。妹を連れ去っておいて。妹を怪我させておいて、と。
「もちろん、あの子には後で謝っておくよ。女の子の頭を踏みしだいたからね僕は」
「お前っ…」
「おっと、怒らないでくれ。まずは話だけでも聞いてくれないかな?」
「………聞いてやる」
「ありがとう」
青年は組んだ腕をテーブルの上にのせて話す態勢を作った。
「まず僕の名前を言っておこう。僕の名前はソウウォン。君達が言う借金取り、だね。君達の名前はもう知っているよ。妹の方がリー。そして君がシエンだね。センオウ家の子供で、トラブルで大量の借金を背負った父は逃亡、それに釣られるように母親は行方不明に。センオウ家は崩壊し、借金も君達が背負うことになった。そしてそこから働き詰めになった君は上司からの虐めで両目を失明。こう言い並べると結構かわいそうだねぇ」
「……」
「妹さんの靴磨きなんて一生やっても借金返済にならないだろうしね。と、いうわけで僕らがいい案を持ってきたよ」
「案…だと?」
「この辺り、よく洞窟とは思えないくらい緻密に、精巧に作られた遺跡のようなのが点在してるって話、知ってるよね?」
「あぁ、迷宮…ダンジョンとも言われてる奴だろう?」
「そうそう!その最深部にはお宝が眠ってるんだって。それを返済に当てたら…借金はチャラどころかお釣りが返ってくる!……そういう訳で、妹さんとダンジョン攻略とかどうだい?」
ダンジョン攻略。良いかもしれない、と一瞬思ったが、すぐさまそれは崩れ去った。
自分の目が見えていないからだ。
「自分の目が心配かい?お兄さん」
「……」
「巧妙な太極拳の使い手だった君は、視力を失って、自分ひとりで歩くことも難しくなったはずだ。でも君、音でもうだいたい分かってるでしょ」
「何?」
「人間は一つの感覚を失うと何か一つに途轍もなく鋭敏になることがあるんだよ。嗅覚とか聴覚とかね。現に今、僕がどんな表情をしているか、分かってるんじゃないの?」
「全く」
「あらっ?……まぁいいか。直ぐには行けなさそうだね、これは…ていうか行くか行かないかすら決めてないけどね、どうするの?此処で妹とともに果てるか。ダンジョン攻略で一発逆転と行くか」
そう聞かれると、シエンは選択肢は一つしかないと思った。
妹とまた、普通の生活がしたいから。
多少不自由でも良いから戻りたい。
そうとなれば口からするりと答えが出る。
「行く、それでこんな生活とはオサラバだ」
「おぉ、言ったねぇ。じゃあ来な。僕らが君達をそれなりに鍛えてあげる。当然、利子は付くけどね?」
「構わん」
「オッケェ。立てるかい?歩ける?」
「あぁ」
シエンは立ち上がり、迷いなく、穴にたどり着き外に出て行った。
その後ろ姿を見たソウウォンは苦笑いを浮かべながら、小さくつぶやく。
「…全く、身が覚えてんだか、それとも、感覚が鋭敏になってんのか、分かんねえな」
ソウウォンは頬を掻きながら、穴を出た。
これから、センオウ兄妹の人生は大きく変わっていく。