邪竜殺しが死んだ理由
「ここが最奥。邪竜の間か」
一人の青年が、生唾を飲んでそう呟いた。
「目を焼くような黄金。番人さえしとめれば、これが私の……いや、我が国の財となる。いくぞ」
自らの腰に刺した剣、バルムンクを抜き放つ。
闘志をそのままに踏み込んだ部屋には、低く唸りを上げる一匹の黒い竜がいた。
それはドッシリと幅が広く、喉や口などは 人が、それも大人の男が丸々入ってしまいそうなほどに大きい。
「貴様が番人、洞宮のファフナー。我が財のため、覚悟!」
覚悟の呼気を勢いに跳躍し、そのまま竜を叩き切るつもりで 青年、ジークフリートは大上段からその手に持つ刃を振り下ろした。
しかし、その刃は肉体を断ち切ることはなかった。ガキンと、まるで空洞になっているかのような甲高い音を立てる、番竜の首。
「くっ」
受け止められたようにひっかかった刃のせいで、宙ぶらりんになっている足を使い敵を蹴り付け、大きく後ろへ飛び 床へと悠々着地。刃を叩きつけた硬直を物ともしない。
「思った以上に硬い。この調子では、奴が倒れる前にこちらが体力を切れらすっ」
動いた竜の足を見て、素早く後ろへと飛びのき攻撃を回避するジークフリート。
「ぬ……なんだ、今。背中になにか、痛みのような物が……」
振り返るも、その刺激の主は見当たらない。
「構っている場合ではないか。奴の柔らかい場所はどこか……」
敵を上から下まで見渡して、青年ははたと気が付く。
「目……か っ!」
姿勢を低くして、素早く目標に接近するジークフリート。その表情は厳しく相手を睨みつけるように見据える。
「受けろ!」
なおも顰めたような、なにかに耐えているような表情で、鋭く上へと飛び その先にしっかりと目標を捉える。
そして力が最も加わる角度で、邪竜ファフナーの眼球に刃が突き立つように、ジークフリートはバルムンクを振り上げた。
部屋を彩る黄金の光を反射して、鈍く輝く銀色の刃は、正確無比に切っ先を目標へと届けた。
痛みに叫ぶファフナーの絶叫は、部屋どころか この迷宮そのものを揺るがすほどの音量であり、ジークフリートは思わず耳をふさいだ。
なんとか着地し、目に突き刺さったままのバルムンクを見上げて、青年はふむと一つ頷いた。
「外が駄目なら中から。か」
それにしても、と青年は背中に意識をやる。
「くっ。さきほどから背中から体を突き動かされるような焦燥感を感じる。これは、いったい……」
背中に手をやりたい衝動をグっと抑え、青年は再び竜を見る。
「さて。追撃といこうかっ!」
か、と同時に地を蹴り 己の得物を取るために、邪竜とも呼ばれる黒き竜の顔面目指して飛んだ。
左目に突き立っている刃を引き抜くと、再びの激痛の咆哮。刃の色にねっとりと透明が付着している。そのまま地面は目指さず、青年の足は竜の口へと迷うことなく延びた。
下の顎に蹴りを放ち、命中を肌で確認。再び痛みに僅か咆哮を上げたファフナー。その僅かな時を逃さず、今度はぬめる刃を竜の口内へと差し入れるジークフリート。
「うおおおおおっっ!」
そのまま全力を持って刃を振り上げる。それによって足場を確保するつもりなのだ。たとえ一瞬でもかまわない、その竜の口と言う足場を。
口を閉じようにも剣が邪魔をして、ファフナーは口を閉じられない。口を閉じれば、刃が上顎を貫いてしまうからだ。
「悪いな竜よ。貴様の蓄えが身の破滅!」
背中への衝動と戦うジークフリートは、再び苦悶に満ちた表情を浮かべている。
もしこれが、一人での冒険でなかったのなら。
竜の命を奪うことへの罪悪感で、ジークフリートが表情を苦痛に歪めている。そう同行した者は思ったことだろう。
国の財政のために、命を奪う賊のようなまねをする自分のあり方に、癒えぬ心の傷を負っていると。
彼こそが英雄であると、そう称えたことだろう。
ガシャリ。鎧を動かすのと同時、竜の顎をこじ開けていたバルムンクを抜き去り、そのまま突きの構えへと移行。
「さらば!」
そのまま口の中へと踏み込むように身を低くし、滑り込むようにファフナーの口内に飛び込む。
「でええやっっ!」
裂帛の気合を込めて、構えていた刃を めいっぱい前へと突き出した。
グサリ。
確かな手ごたえを得たジークフリート。腕にかかる重たさは、はたしてただ刃の通っただけであろうか。
三度、竜が吼えた。
それは痛みに耐え切れない、そう訴えるような悲痛な物だった。
「ぬあああっっ」
勝利を確信したことで力が抜けた青年は、同時に背中の衝動に負けてしまった。
その衝動は、背中の一点を。
「があああ!」
猛烈にかきむしりたくなる物だった。
竜の断末魔に合わせて喉から鉄砲水のように吐き出された邪竜の血液に溺れながら、青年は口外へと吐き出された。
「くあっ?」
青年は、不可解な感覚を覚えた。
背中をしたたかに打ち付けられたと言うのに、まったく痛みを感じなかったのだ。背中に回していた左手も。
「なっ?」
自分に送れて吐き出された、彼の竜の喉に置き忘れた名剣がすごい速度で飛び出して来た。
それもどういうわけか、向きを反転させ 刃をこちらへ向けて。
状況について行けずに対応が遅れた青年は、せめて と右腕で己の胸を守った。
「……バカな?」
また、ジークフリートは驚愕した。今凄まじい地響きと共に轟音を立てて倒れた邪竜にではない。
「なぜ……腕が、無事なのだ。腕に刺さったバルムンクも……」
左手で自らの腕に刺さった剣を抜く。
「なんと言うことか。血の一滴もこぼれていないぞ。まるで……肉体そのものが鎧になったようだ」
驚いていいのか喜んでいいのか。黄金を手にすることも忘れ、しばし青年は呆然としていた。
気が付くと、青年はまた背中を掻いていた。
「くっ」
そろそろ収まったと感じた青年は、そう力を込めて立ち上がると、部屋にある黄金を持ち帰る準備をした。
そして、この部屋を守り続けていた竜を 時間をかけてこの部屋に埋めた。それがせめてもの手向けだと。
青年は気づかなかった。
ーー鎧のようになった自らの身体。しかし、かきむしっていた背中の一部だけは、その堅牢さを得ていなかったことを。
後に青年は知る。この痒みが、自らに悲劇を。
ーー終焉を招き入れることになるのだと。
邪竜殺しの英雄、ジークフリートの最後を看取ったその妻は。怨嗟をこめて夫が呟いた言葉を聞いた。
「おのれ邪竜。伏兵などをよくも。そのせいでわたしは……無念」
その理不尽極まる遺言を聞いた妻は。彼の死の事実上最大の原因である、兄王の忠臣を夫の仇とするしか
このあるまじき真実へのやるせなさを発散する手段を持たなかったと言う。
閉幕。