2-4:アシュレイとリラの秘密の過去
「アシュレイからの手紙、いらないの?」
「な、んで……王子が、アシュレイの手紙を持ってるんですか!?」
手紙に伸ばした手が、すかっと空を切る。王子がソファーから立ち上がり、高い位置に手紙を掲げて避けたのだ。
「残念」
「く……っ」
すかさずリラも立って対抗するが、頭一個分以上足りない身長差のせいで、手を伸ばしても届かない。
可笑しそうに笑う王子が、顔面を殴りたくなるほど腹立たしい。
「これ、さっき食器片付けるのをヨハンに手伝わせた時、預かったんだよね」
「……っ、あの時、ですか……」
食事を終えた後、王子が王宮に戻ろうとしたヨハンを無理やり引き止め、キッチンまで皿を運ばせたのだ。鎖で繋がれているリラは、ふたりがアトリエの外でどのようなやり取りをしていたのかまでは把握することが出来なかったのだが……。
(まさか、アシュレイの手紙を人質……じゃなくて、物質にとられてるなんて思わなかった)
アシュレイはリラの唯一の友人であり、シルヴァンやヨハンと同じく王宮に仕えている青年だ。
詳しく聞いたことはないが特殊な役職についているらしく、なかなか城を出ることが出来ないため、今は共通の知人であるヨハンを介して手紙のやり取りをしている。
(でも、ちょっと待って……)
「ヨハンが、わざわざ王子に手紙を渡す意味がわからないのですが」
「検閲だよ。君とアシュレイが手紙のやり取りをしてるのは知ってたからね。俺に不利な情報がないか、確かめたかっただけ」
(つまり、手紙を見たってこと!?)
そもそも、不利な情報とはなんだ……という疑問は、怒りですぐに吹き飛んだ。
「人の手紙を勝手に見るなんて、最低です……!」
「最低な男、君は好きでしょ」
「事実に反する設定をつけないでくださいっ」
「反してないよ。アシュレイも俺と同じで、なかなかの最低男だと思うけど」
「彼は最低じゃなくて、口が悪いだけです。あなたと一緒にしないで――」
言いかけて、ふと気づく。
手紙に動揺して、大事なことを逃していた。
「……王子、アシュレイを知ってるんですか?」
「知ってるも何も、彼、第一王子直下の近衛兵だよ?」
「え」
「お嬢さんの周りは、俺の関係者でいっぱいだね」
(……知らなかった。近衛兵、だったんだ)
特殊な仕事とは聞いていたが、君主を四六時中護衛する近衛兵という役職であれば、簡単に外に出られないのも納得がいく。
王子は手紙を弄びながら、何かを思い出すように目を細め、日差しが降り注ぐ窓の向こうに視線を飛ばした。
「前に聞いたんだけど、君とアシュレイは、十数年くらい前に公爵家で知り合ったんでしょ?」
「……ええ、まあ」
子供の頃は公爵家の使用人だった両親に連れられ、プリドール邸によく出入りしていたのだ。
そして両親の仕事が終わるまで庭で遊ぶことも多く、その際貴族の社交場を抜け出して来たアシュレイと度々遭遇した。
大人になった今もアシュレイの素性はよくわかっていないが、おそらく定期的に公爵家を訪れる必要があるほど身分の高い貴族の子息なのだろう。
庭ではち合わせた時は、二人してこっそり遊んだものだ。お互い素性を気にせず、ただの友達として。
「今も関係が続いてるなんて、仲いいんだね」
「仲よし……なんでしょうか……?」
「違うの?」
「……もう、十年以上会ってませんから」
『ある出来事』をきっかけにアトリエに引きこもるようになってから、アシュレイと会うこともなくなったのだ。
たまたまリラの常連客だったヨハンがアシュレイを知っていたからこそ、奇跡的に手紙のやり取りをすることが出来ているだけで、繋がりは弱い。
(そもそも、大人になったアシュレイって、どんな姿をしてるんだろう)
子供の頃のおぼろげな記憶では、どうしても想像がつかない。だが、王子はリラの知らないアシュレイを知っているのだ。
そう思うと、少しだけ羨ましい。
「アシュレイは、元気ですか?」
「うん、三百六十五日欠勤することなく働いてるよ」
「……は?」
「ちょっと特別な近衛兵だからね。年中無休で働いてるんだ」
(…………聞き間違いじゃなかった)
「やだな、お嬢さん。そんな蔑むような目で俺を見ないでよ」
「……勤務形態がブラックすぎて、驚いただけです」
三百六十五日……という言葉が本当であれば、息抜きする時間すらないことになる。
さすがに、冗談であってほしい。
「アシュレイが心配?」
「心配に決まってます」
「そっか、ありがとう」
「……? どうして、あなたがお礼を言うんですか」