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1-1:さようなら、日常。こんにちは、監禁生活(1)

 日常は、常に続くとは限らない。

 それは大貴族の保護を受け、日夜森の奥深くにあるアトリエに引きこもっている画家ですら、例外ではない。

 壊れて、初めて気づくのだ。

 日常が、どれほど尊いものであったかと言うことを――


◆ ◆ ◆


(あ、れ……?)


 じゃらりと響く、鎖の音。

 片足につけられた、銀色の枷。

 アトリエで目を覚ましたリラを待っていたのは、悪夢のような現実だった。


(これは、どういう状況?)

 

 枷から伸びている鎖の先は柱に巻かれていて、簡単に取れないよう頑丈な錠で固定されている。ピッキングの知識があれば外せるかもしれないが、一介の画家であるリラにそのような技術はない。


 そもそも、なぜ足に覚えのない枷がはめられているのか。


(まさか、強盗――!?)


 バクバクと暴れだした心臓を落ち着けながら、眠る前のおぼろげな記憶を手繰り寄せる。


 たしかこのこぢんまりとしたアトリエ兼自宅で、いつものようにキャンバスと向き合っていたはずだ。

 目の前には、イーゼルに立てかけられた巨大なキャンバスがある。帆布に描かれているのは、流行りのシュミーズドレスを着てお淑やかに微笑んでいる令嬢だ。

 パトロンであるシルヴァン=プリドール公爵に依頼されて描いているこの肖像画は未完成品で、周りに散らかったパレットや筆が、作業途中で力尽きたことを物語っている。


(描いてる途中で寝落ちするなんて、滅多にないんだけどな)


 さらに、記憶を掘り返す。

 意識が途切れる前に感じたのは、嗅いだことのない薬品の匂いだった。


(そうだ、変な匂いがして……そこから、何も覚えてない)


「つまり……どういうこと?」

「君は薬で眠らされ、その間に監禁されたってことだよ」

「!」


 突然響いた、聞き覚えのない低い声。

 はっと振り向くと、そこには窓に背を預けている青年がいた。 


「おはよう、無防備なお嬢さん。窓の鍵は締めておかないと、俺のような男が君に悪さしにやって来るよ」


 西日によって輝く淡い茶髪に、ガーネットを彷彿させる深い赤の瞳。

 息を呑むほど端正な顔立ちの青年は、悪人とは程遠い爽やかな笑みを湛えている。


(強盗……にしては、妙かも)


 外見だけなら、まるで上流階級の貴族だ。

 シミひとつない白いシャツにワインレッドのベスト。下は格子柄のズボンに手入れの行き届いた革靴という、明らかに賊が真似できるファッションではない。

 だが、いくら見た目が高貴だからと言って、無断でアトリエに侵入した見ず知らずの不審者であることには違いないのだ。

 リラは鎖が許す限り、青年から距離を取った。


「あ、あなたは……どちら様ですか?」

「どちら様だと思う?」

「……変質者様、ですか」

「うん、君は命知らずだね。でも心優しい俺は、失礼極まりない発言を許してあげるよ」


 青年が窓から背を離し、恭しくお辞儀する。

 見た目だけでなく仕草まで、洗練された貴族のようだ。


「俺はね、レイナルド=クロイゼル」

「……はあ」

「レイって呼んで」

「…………はあ」

「ちなみに、職業は元王子だよ」

「…………はあ?」

「今は、君を監禁する悪い奴に転職したけどね」


(何を言ってるんだろう、この人は)


 自称王子様。

 どうやら、変質者よりも危険な類の人間らしい。

 拘束の限界を超えてさらに後ずさろうとしたが、逃げられないことを嘲笑うように鎖がじゃらりと音を立てた。


「じ、自称王子様は……」

「レイ、ね」

「……あなたは、私を監禁して何がしたいんですか?」

「いい質問だ」


 自称王子が、くくっと喉を鳴らす。


「通常、悪い奴が女性を監禁する目的はなんだと思う?」

「えっと、強盗、怨恨、趣味、人質――」

「そう、それ。『人質』だよ」

「人質?」

「君には、シルヴァンの人質になってもらう」

「へ?」


 また素っ頓狂な声が出てしまう。

 それくらい、予想の斜め上を行く答えだった。


「どうして私が、シルヴァン様の人質に……?」

「彼にはやってもらいたいことがあってね。君は、公爵に溺愛されてるんでしょ?」

「でっ、溺愛!?」

「あれ、違うの?」

「違います! ただのパトロンと画家に、溺愛も何もないじゃないですか」


 パトロンと画家は、いわゆる雇用主と従業員の関係だ。プリドール公爵とリラも例外ではなく、常にビジネスライクなつき合い方しかしていない。

 どこで『溺愛』などという恐れ多い情報が流れたのかはわからないが、人質として扱うには圧倒的に価値が足りないはずだ。それでも自称王子は、余裕の笑みを崩さない。


「君はどれだけプリドール公爵に愛されてるか知らないから、そんなことが言えるんだよ」

「……じゃあ、あなたは知ってるんですか?」

「知ってるよ? 彼、俺の部下だから」

「え……」


 そういえば、と思い出す。

 シルヴァン=プリドール公爵は広大な領地を収める傍らで、宮廷に出仕する有能な官僚でもあったはずだ。

 もし目の前の青年が本物の王子だった場合、『溺愛』云々は信じられないにしても、部下という説明には納得がいく。


(あれ? でも、おかしい)


「シルヴァン様があなたの部下なら、わざわざ人質を取る必要はないんじゃ……」

「へえ、鋭いね?」


 唯一神を崇めるこの国では、神より権利を賜ったとされる王族には誰も逆らえない。公爵であるシルヴァンも例外ではなく、どのような命令でも遂行する義務があるはずだが……。


「シルヴァンはね、清廉潔白で融通のきかない臣下なんだ。国に忠義を尽くすあまり、古狸どもに引けを取らないほど頭の固いところがある」

「……だから?」

「俺が亡命したいって言っても、手伝ってくれないんだ」

「ぼうめい……?」

「あれ、『亡命』の意味を知らない?」

「いや、知ってますけど……」


 『亡命』とはたしか、政治的事情で国外に逃げることを示す単語ではなかったか。

 一拍遅れて、理解する。


「王子が、亡命!?」

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