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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編まとめ

祭囃子が弾けて

作者: 山下真響

 ヒグラシの調べは、鬱蒼とした木立の騒めきと生温い風の空きを潜り抜けて、宵闇と哀愁を引き寄せる。陽珠はるみは、のっぴきならない事情から、ここ森に囲まれた盆地にある実家へと舞い戻ってきた。それまで過ごしてきた潮と異国の香りがする港町には、もう当分足を向けることはないだろう。学友達への挨拶もそこそこに帰って来た久方ぶりの屋敷は、記憶よりも古ぼけている。苔は芸術家さながらの腕で、壁いっぱいに自らの一生を刻み込んでいるし、いつの間にか出入りの使用人の数もほとんどを失くしていた。それもそのはず。もうこの家に住まうべき人は、陽珠一人しかありえない。ここは所謂旧家である。人望が厚く、堅実な暮らしを重ねていた両親は、地域の有力者でもあった。そこかしこに顔や口が利き、限界集落になっているこの村がなんとか村足り得ているのは、彼らのお陰とも言えた。それが近くの崖から転落し、あちらの世界へと身罷ったのはどういった偶然が重なったのか。誰も知る由もないことの全貌に、陽珠はあと一歩近づけずにいた。



 祭囃子が弾ける。



 陽珠は広い縁側に腰を下ろし、先頃まで住んでいた港町で購った本を一冊、傍らで広げていた。紙を一枚捲ると、そこには何も記されてはいない。首を傾げてもう一枚、白く細い指で恐る恐る摘み上げる。やはり、何も無い。いつの間にか、その本は名もない只の紙束となっていた。狐に包まれた気持ちで、そっと暮れなずむ田舎の空を見上げる。祭囃子の太鼓の音は、また少し大きくなった。

 縁側からは、稲の刈り取りが終わって丸坊主になった田が見える。何も無い。生き物の気配が薄い。暮らしが貧しいこの地域では、明日にも別の作物がここに植えられて、住人達の腹を満たすべく大きく育てられることだろう。束の間の無。この夜、村は古くから伝わる祭りが執り行われる。



 祭囃子には懐かしさよりも、怖れを感じさせる思い出を彷彿とさせられた。それでも陽珠は、縁側の前へ几帳面に揃えて置かれてあった草履を履くと、地面の上を滑るような速さで音の源へと向かっていった。



 元より、陽珠はこの祭りに顔を出さねばならなかったのだ。両親が亡き今、まだ若い陽珠に根拠なき期待と羨望、妬みや責任、義務などが、全て集まって重くのしかかっている。

 辿り着いたのは、棚田が広く見渡せる高台にある神社だった。息も切らさず、陽珠は境内の中に設けられた舞台へ足を進めた。舞台の上には三人の巫女がある。居るというよりかは、在ると言う方が正しい。巫女は右へ左へと回転し、徐々にその身のこなしは速くなっていく。



 陽珠は、夜が落ちて色を失くした曼殊沙華を視界の端に捉えた。開ききった豪奢なその花は、ひと夏限りの花火のように広がって、その上にはほおっと白い光が灯っている。この時期になると、先祖が村に帰ってきて花に宿るとの伝承があったが、それを直に感じられる者は陽珠一人。陽珠は特別な家の生まれだからだ。



 祭りは本格的に始まり、一人、また一人と田んぼの畦道から参道を通って村民が集まってきた。舞台の上では、舞がまた一段階深く新しく古い領域へと踏み込んでいた。巫女の旋回は、ある地点を超えたところで跳躍へと移る。目に見えぬ何かを踏み台にし、天に向けて駆け上るのは、この村伝統の舞であった。高く跳んで天に近づくと、翌年の豊作が約束されるとされている。

 祭囃子に合わせて、巫女は幾度も弾け跳んだ。紅い袴が翻り、鈴の音がキンと細く長く引き伸ばされて、暗くなった空へと吸い込まれていく。三人の巫女の動きがピタリと揃ったその時。陽珠の身体は粟立った。一瞬、三人のうち中央の一人が空中で動きを止めたかに見えた。刹那、祭囃子は遠くなる。はしたなくも袴からはみ出してしまった巫女の脚に目が釘付けになり、少し離れた木立ちから眉間のあたりを毒矢で射抜かれたかのような。



 村の祭りは無事に終わった。未成年の陽珠にまで酒は何杯も回って来たが、陽珠は何食わぬ顔で丁寧に飲み干して、その都度下品な笑い声と拍手に包まれることを繰り返した。陽珠が静かに立ち上がったのは、ついに村の女達が用意していた料理が尽きかけた頃。手を三度叩くと、その音はよく辺りに響いて皆が陽珠に注目する。陽珠は、今年も舞を通じてこの地に神を降ろした巫女達に、褒美を渡したいと話す。前例がないことは無かった。陽珠は手元の灯りも無しに自らの屋敷へ戻った。



 巫女達は、翌朝すぐにやってきた。陽珠はこの地の新たな名主である。都会帰りの陽珠は両親と同じく温厚で、村では珍しい洋装でもあったことから、言葉を交わすだけでも数日は井戸端会議の盛り上がりに一役買ってしまう。何より、麗しい青年に見えた。

「これを」

 屋敷で寛ぐ陽珠は仕立ての良い着物を着こんでいて、肌寒い朝にも関わらず胸元が少し開いている。一人目の巫女はあからさまに頬を赤くして俯くと、おずおず目の前に差し出された袱紗へ手を伸ばした。

「ありがとうぞんじます」

 親から巫女の舞と共に仕込まれた使い慣れぬ言葉を一息に言い切り、それだけで安堵の表情になる少女。陽珠はうっすらと口角を上げたが、やがて瞼をそっと伏せた。

「中には心を入れた。見た目には何も入っていない」

 少女は目を人形のようにパチクリさせた。まさか、褒美をやるとわざわざ呼び出されたあげく、こんな結末になるとは思いもよらなかったからだ。次第に落胆の色は濃くなって、少女の中には汚れたものが増殖していった。そして気づいた時には、墨のような涙をつっと流し、こうべは日焼けした畳の上に擦り付けている。

「次の子を呼んでおいで」

 陽珠にとっては、次の子も初めの子と似たり寄ったりだった。

 そうして、三人目がやってきた。

「ありがとうぞんじます」

同じ音ではある。だが、その響きの色合いを陽珠は正確に見極めて、小さく頷いてみせた。

「中には心を入れた。見た目には何も入ってはいない」

「そんな大切なものを頂戴してもよろしいのでしょうか」

「今は空っぽだ。何も無い。けれど君が望めば、そこに鍵が現れるだろう」

 少女というには少し背が高すぎる。陽珠の目の前の相手は、胸元に中身のない袱紗を押し付けて、逃げるように屋敷を去っていった。



 それから数日後。三人目はふと夜中に目を覚ました。住んでいるのは陽珠の屋敷の離れで、側には様々な年齢層の男女が雑魚寝でぐっすり寝入っている。枕の下へ隠すようにして敷いてあった袱紗を取り出すと、音を立てぬよう細心の注意を払って布団の外へ抜け出した。そのまま土間に降りると、立て付けの悪い木戸から漏れる月明りの下、袱紗をゆっくり開いていく。



「お待たせしました」

 三人目はそう言うのが正しいと感じられた。約束など何もしてはいないのに、遠い昔から定められたもののようで。秋を通り過ぎると必ず冬がやって来るのと同じようなことわりなのだ。

 今夜は、あの夜やあの朝のような巫女装束ではない。着の身着のままやってきてしまったため、もはや何色かとも言えないような混沌とした風合いのくたびれた寝間着である。対する陽珠は、日頃村民に見せているのと変わらぬ洋装で、首元までしっかりと詰まったシャツにハイカラなタイを巻いていた。この村へ帰ってきた頃から髪が急に伸びてしまったのか、後ろで一つに纏めている。

珠夜みやだろう?」

 その声はすっかり涼しくなった夜風の如く冷ややかで、三人目の口の中はすっかり乾いてしまった。沈黙は肯定の表れとはよく言われるが、この場合もそれは当てはまる。

「お母さんは亡くなったそうだね」

「はい」

「私達は父親も亡くしたね」

 もはや陽珠は確信していた。こうも間近に寄ってみれば、紛うことなき見知った顔だと知れる。毎朝桶の水面に映り込む顔と同じなのだ。三人目は義兄弟なのである。陽珠の乳兄弟でもあった。父親が陽珠の母親と同じ頃に手を出したのが三人目の母親であり、やがて彼女は陽珠の乳母になった。

「珠夜」

「はい」

 もう、誰も珠夜の名を呼ぶ者はいなくなっていた。この屋敷の主の世継ぎである陽珠。その影に生まれたおのこは珠夜と名付けられ、密やかに少女として育てられていた。陽珠がその事実を知ったのは最後に両親と会った際、つまりこの屋敷から港町へと出立する前夜のことだった。その頃には、長く会ってもいないことから記憶もほとんど失くしており、珠夜が自らにとって重要人物だとも思えなくなっていた。親の厄介事は親がなんとかするだろうと気にも留めていなかったのが事実。それがいざ目の前にしてみると、驚く程に心が踊る。かつて人為的に閉ざされていた記憶の扉が、大きな音を立ててこじ開けられていく。

「大きくなったね」

「貴方こそ」

「ここには私達二人しかいない。幼い頃のように呼んでおくれよ」

 三人目の巫女、珠夜は、少し俯いて考えるそぶりをしたが、すぐに照れたように顔を外へ向けて呟いた。

「はる」

「みや」

 遠い昔に通わせた思いが、細い糸を伝う雫のようにポタリポタリと二人のいる闇にこぼれ落ち、波紋となって広がった。柔らかな小波が止まっていた時を緩やかに刺激して、珠夜の手は陽珠の頬に伸びていく。

「はるは、生きていたんだね」

 珠夜は、三歳の時に陽珠から引き離された。あの頃共に過ごした人が本当に実在したのか。長らく深い沼の底に沈んでいた疑問は、こうして肌に触れると答えが明らかになっていく。

「みやも大きくなったね。綺麗になった」

 女として育てられた珠夜は、美人である。隠されて生きてきたため、日中も田畑に出ることも叶わず、肌は日焼け知らずで青白い。村に若い娘がいなくなり、やむ無く祭りの時だけ数合わせに隣村から来た少女として巫女を務めていた。

「巫女姿も似合っていた」

「はるの洋装も素敵だよ」

 二人は昼と夜、光と影のように向き合う鏡だ。互いが見つめ合い、その美しさに見惚れ、抑えきれない躍動を胸に感じる。どちらからともなく近づいて、二つの影が重なった。

「もっと早くこうできればよかったのに」

 陽珠は、長い睫毛をそっと伏せる。頭をよぎったのは、陽珠が村を離れてから起こったこと。村を牛耳ろうとする者が珠夜を担ぎ上げる動きを見せ、陽珠の両親は事故に見せかけて殺された。これは陽珠自身が村に来てから調べて分かったことだ。

「お母さんには済まないことをしたね」

 珠夜の目に涙が浮かぶ。珠夜の母親は、珠夜を担ぎ上げようとした者と相討ちの形で死んだ。珠夜が留守の陽珠に代わって表に立っても、不幸しか起こりえないことは分かりきっていたからだろう。

「でも、もっと済まないことになるかもしれない」

 陽珠の視線が珠夜の懐を捉える。

「鍵が現れたのだろう? これは代々この家のお嫁さんに現れるもの。鍵がこの家に相応しい人を選んで姿を現すのだよ」

 陽珠は珠夜の手を取って立ち上がった。

「それにね、美しい花は手折って自分のものにしたくなる」



 やってきたのは神社である。祠の瓦にある図案は、珠夜の手元に現れた鍵の根本にあるものと同じく、蝶と波と菊が合わさったような紋であった。珠夜は陽珠に促されるままに手探りで鍵穴を見つけると、そこへ陽珠の心を差し込んだ。



「この細い脚で、どうすればあれだけ高く跳べるのだろうね」

 陽珠は押し倒した珠夜の右脚を持ち上げて、指でつうっとその輪郭を辿る。程よくついたしなやかな筋肉に指の腹を押し当て、足の裏の土踏まずに鼻をつけた。この身体は可憐な花であり、宝だ。珠のような尊さと言おうか。汽車を乗り継ぐ程に遠く、あの港町で目にした南蛮の硝子や古の陶磁器、キネマの女優などとは比べ物にならない程の神秘と煌めきが込められている。ボロ雑巾のような着物はその役目を終えて、珠夜の身体は弓形にしなった。そこへ陽珠の熱い身体が毛布のように覆いかぶさっていく。

「みや。あの瞬間、みやは神の御元へ続く階段を駆け上っていたのだろう?」

 珠夜は、寒いはずの祠の中で、玉のような汗を額に浮かせて大きく頷く。

「はるは?」

「猛毒に身体が侵されたようだった。みやが私に神を降ろしてくれたからだね」

「神が乗り移ったら、どうなった?」

「性別が吹き飛んだらしい」

 珠夜は、生唾を飲み込んだ。



 翌朝、珠夜は屋敷の一部屋に寝かされていた。人の気配は無い。起き上がると信じられない程に髪が伸び、身体からはかつてあったものが無くなった代わりに別のものが根づいていた。

 不思議と軽い足取りで窓辺に寄って障子を開けると、ありふれた朝が広がっている。

 再び祭囃子が聞こえてくる日も、そう遠くはない。





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― 新着の感想 ―
[良い点] はじめまして。FELLOWさんの割烹からご紹介で、飛ばせて頂きました。和風ゴシックと言うか、濃密な文体でしっとりと世界観に浸れる作品でした。神をおろすために少女として育てられた少年の、陰花…
[良い点] 何とも摩訶不思議な、それでいて魅力ある物語でした。 陰と陽が入り混じり、混濁していく…。妖艶に咲く曼珠沙華もこの作品世界を彩るようで。最後、二人は一つになり、また二人に戻り、珠夜は性を越え…
[良い点] 耽美でした。 いや、せっかくのコンテストなので、これを頭に持っていきたくて笑。 美麗な文章に包まれて、珠夜の中性的な美しさが伝わってくるようでした。 この二人は方向性の違う美青年なのでし…
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