7.宇宙犬クドリャフカ
「で? 私に何か用かい?」
店頭に並ぶ銃を撫でながら、オコノギは不気味に笑う。
聞けばカミオカの義手を制作したのも、この怪しげな外套の男・オコノギなのだという。
「ああ、ちっと水路の鍵を借りたくてな。あそこを通りたいんだ」
「そいつは無理な話だな。水路の鍵はね、もうここには無いんだ」
オコノギは含み笑いをしながら答える。
カミオカが怪訝そうな顔でオコノギを見やると、クク、とオコノギはおかしそうに笑った。
「......そう怖い顔するなよ。鍵の管理者が変わったんだ」
「そうなのか?」
「役割分担というやつだよ。管理は持ち回りでやると決めたんだ。今はミヨが管理してる」
ミヨ。その名にカミオカがピクリと反応する。
「......そうか。じゃあな、ありがとよ、オコノギ」
そう言って去ろうとしたカミオカを、オコノギは引き留める。
「まあ待て、せっかく店に来たってのに、買い物の一つもしないのかい? カミやん。薄情な男だなあ」
「……ぐ」
二人はオコノギに言われるがままに装備を整えると、店を後にした。
*
「ちっ、予定外に金を使わされちまったぜ」
財布の中を見ながらカミオカはため息をつく。
「商売上手ですね」
オズマは笑う。
オコノギの店を出た二人は、一軒の飲み屋の前で足を止めた。
「鍵の持ち主はここだ」
ドアを開けると、中はほぼ満席。アルコールやタバコの匂い、人々の話声、熱気の入り混じったものが一気に押し寄せてくる。
オズマとカミオカは入り口近くの席に腰かけると、メニューを開いた。
「カミオカさん、水路の鍵は……」
「まあ待て、まずは腹ごしらえだ。さーて何食おうかなあ。鯛茶漬けに、だし巻き卵に……オズマ、お前は――」
カミオカがメニューを手にオズマに笑いかける。オズマは少しきょとんとした後、首を横に振った。
「いえ、ぼくは」
「ああ……そうだったな」
カミオカは頭を掻いた。
「すまんすまん。どうも、お前が機械だってこと忘れちまう」
「それは……望ましいことではないと思います」
「いやでも、俺に限った話じゃ無かっただろ? お前を知っている奴は皆そうだったし、スバルも――」
カミオカはそこまで言うと、何かを思い出したかのように口をつぐんだ。
「……いや、この話はまた後にするか。おセンチな気分に浸るにはまだ早いからな。とりあえず、飯だ飯!」
カミオカが店員の女性を呼ぶと、女性は驚いたように目を見開いた。
「あら、カミオカさんじゃない! いつここに戻ってきたの?」
にこりと笑う女性。彼女がこの店の女将で、現在カギを管理しているミヨだ。地味な服にそっけない化粧。ものすごく美人だというわけではないが、その笑顔には不思議な魅力がある。
「いつものでいい?」
「いや、今日は飲まねぇよ。この子を連れてかなきゃならないからな」
ミヨはきょとんとした顔でオズマを数秒見た。
「へぇ、じゃあその子が十二年前の……もっと精悍なのを想像してたわ」
「あんまり見くびるなよー? 見た目はひ弱だが、根性は折り紙付きだ」
「ふふっ、あなたが言うならきっとそうなのね」
ミヨは笑うと、腰に手を当ててこう言った。
「で、早速本題に入るけど、水路を開けたほうがいいのかしら?」
「ああ、話が早くて助かるぜ」
「そうなんじゃないかって思ったの」
エプロンのポケットから錆びついた鍵を取り出すミヨ。
「はい、無くしたら承知しないからね?」
茶目っ気たっぷりにウインクするミヨに、カミオカは苦笑いをした。
「分かってるって」
「それに、これ」
するとミヨはポケットからもう一つ別の鍵を出し、カミオカに押し付ける。
「ん?この鍵は?」
「シェルターの空き部屋の鍵。まさか徹夜で水路の中を通るっていうの? 夜の水路は危険よ?」
「まあ……それもそうか」
カミオカは納得した様子で鍵を受け取る。
「それに最近あそこ野良犬が住みついちゃったっていう話だし」
「えぇ? んなもんどっから入ったんだよ」
「さあ……もしかして、水中を通って入り込んできたのかも」
「ふぅん、まあいいさ。ついでに退治してきてやるから」
二人の顔を交互に見ながら、オズマは不思議そうに話を聞いていた。どうやら二人がこの先通る水路は、想像していたよりも危険な場所であるらしい。
「さっすが、頼りになるぅ。けど、あんまり無理しちゃだめよ? 今はその子だっているんだから」
「ああ。大丈夫だって」
しばらくしてカミオカの料理が運ばれてきた。その中には注文していない里芋の煮っ転がしがある。ミヨのサービスだろうか。
カミオカが食事をしていると、小さな少女が絵本を持って駆けてきた。
「ねーねーカミオカのおじちゃん! ご本読んで!」
カミオカは苦笑する。
「えー? まあ待て。おっちゃん食事中だから、食い終わってからな?」
口の中にだし巻き卵を運びながら言ったカミオカに、少女は「えー?」と声を上げた。
「ぼくが読みますよ。カミオカさんは食事中ですから」
くすりと笑うオズマ。少女はオズマの膝に座った。少女から絵本を受け取ったオズマは、表紙を見て一瞬息を止める。
『宇宙犬クドリャフカ』――表紙にはそう書かれていた
クドリャフカとは1957年、ソ連の宇宙船 スプートニク2号に乗せられたメスの犬の名前だ。
彼女は宇宙へと旅立った最初の動物となり、二度と地球へは帰ってこなかった。
元より当時の技術ではまだ宇宙船を発射することは出来ても、大気圏の再突入に耐えて地球に帰還できる宇宙船は作れなかったのだ。
絵本には、クドリャフカがいかにして宇宙犬に選ばれ、過酷な訓練を積んだのか、そして宇宙への片道切符を持ったまま、人類の未来のために旅立っていったのかが、優しい文体で書かれている。
「……こうして、クドリャフカはお星さまになり、いつまでも私たちを見守っていてくれるのです」
オズマが最後のページをめくりそう言うと、少女は目を丸くし、きょとんとする。
「えー⁉ クドリャフカ、死んじゃったの? 可哀想!」
不満げな表情の少女。彼女は、クドリャフカが無事に地球に帰ってくる結末を予想していたに違いない。
オズマは返事ができなかった。
確かにクドリャフカは可哀想そうな犬なのかもしれない。
でも――
オズマは閉じた絵本の表紙をじっと見つめた。
でも、一方で人間の役に立ち、英雄として死んでいったこの犬が、オズマには少し羨ましく思えた。
――ぼくも
――ぼくも、クドリャフカになるはずだったのに。