9.恋は落ちるもの?
二話投稿の二話目です。
ずきずきと痛む頭で目を覚ました。気分は最悪。
吐き気はしないけど、何より頭が痛い。あぁ、飲み過ぎたぁ。
「目が覚めたか?酔っ払い。」
「えっ?」
やっとベッドから身体を起こすと、そこにはトモの姿。汚いソファーに座り、目の前にはテレビが点いている。
「二日酔いは?」
あたしの横まで来て、顔を覗き込む。
「頭が痛い程度。」
「じゃあ、よかった。吐き気はないんだな?ほら、二日酔いに効く薬だ。」
「ありがとう。」
頭痛のせいか、思考回路が動かない。
とにかく、トモに渡された薬を飲んでおこう。くぃっと一気飲みすると、ありえないほど不味い。喉を押さえ、もがくあたしにミネラルウォーターを差し出される。全部を飲み干しても、未だ口に残っている違和感。眉間に皺を寄せ、口がへの字になる。
「ヘンな顔。」
トモが楽しそうに笑い、ベッドの隅に腰掛けた。やっと少しだけ思考回路が復活してきたらしい。
周りを見回す余裕が出てくる。
「えっ?」
ここって、あたし達が高校の時に利用したホテル?って事は?
布団の中を覗き込むと、ちゃんと服を着ている。
「記憶、ないのか?」
今度はトモが眉間に皺を寄せ、苦笑を零す。
「ほとんど、ない。」
「やっぱりな。」
呆れたように息を吐き出し、頭を抱えている。
あぁ、やっちゃったのね。飲み過ぎて、記憶がなくなるなんて、初めてよ。
「安心しろ。何もしていないよ。お前、ここに俺を引っ張り込んで、すぐに寝てしまったからな。」
「どうして?」
やっと声が、掠れた声が出る。
「えっ?」
「あたし、そんなに女として、魅力ないの?同じ部屋で一晩過ごしても何にも感じないほど、魅力ない?やっぱり、バツイチの二十九歳の女なんて相手に出来ないの?」
「セイコ?」
「もうヤダ。帰る。」
布団を投げ飛ばし、さっさとベッドから抜け出す。スリッパを履くのも忘れ、ソファーにあったバッグだけは忘れずに、ドアに向かって歩き出した。
情けなくて、格好悪くて、泣けてくる。唇を噛み締めるけど、涙が頬を伝ってきた。
「セイコ!」
トモが思い切りあたしの手首を掴む。
「離して!」
「嫌だ。」
振り払おうとしたはずなのに、びくりともしない。
顔を覗き込もうとするトモから、首だけ逸らすけれど、限度がある。
「セイコ…。」
「本当はトモも笑っているんでしょう?着飾ってもどんなに化粧しても、結局、バツイチ、コナシ、二十九歳なのよっ。仕事もない、夫もいない、まして、子供もない。夢も将来も何もなくて、頭空っぽだし、条件の良い男を捕まえて、養ってもらうしかないのよ。それなのに、そんな男さえもいなくて、凄くみっともなくて…。ごめん。酔って絡んだ上に、こんな迷惑掛けて。」
どうして、泣きたくもないのに、涙が出るのよ。みっともなくて仕方がないじゃない。
「セイコは綺麗で素敵な女性だよ。」
温かなぬくもりがあたしを包み込む。
「トモ?」
「一晩一緒にいて、俺が平然といたと思うか?何度も抱きたいと思ったよ。でも、寝ているセイコを抱いたら、レイプと一緒だろう?同意もなく、女を抱きたくない。」
「えっ?」
涙が引っ込み、驚いたまま、顔を上げた。そこに見えるのは、トモの真っ赤な耳。
「ありえなぁい。」
あたしの口から零れたのは、力のない声。
「何がありえないだ。」
あたしの頭を抱えるように胸に引き寄せ、小さく笑った。
あぁ、何て心地良いんだろう。トモのぬくもりって。
「さて、帰ろう。二日酔いだからって、弁当サボるなよ。期待して待っているからな。」
「ありえなぁい。」
笑いながら、あたしにデコピンする。
あたし、何か恥ずかしくて、そっと視線を逸らした。
トモは会計を済ませ、ドアを開け、あたしを待っていてくれる。
「セイコ、早く。」
「うん。」
どうして、そんなに優しくするの?あたし、べろべろに酔って、醜態を晒したんだよ。それもホテルに無理矢理(だと思う)連れ込んで、さっさと爆睡しちゃったし。
ただ、トモの横を歩き、周りを見回した。眩しいほどの日差しと緑が輝いている。
「じゃあ、な。」
「うん。またね。」
豚晴の前で別れて、あたしは家に歩き出した。
あぁ、頭痛い。気分も悪い。こんな状態じゃ、何も考えられない。
シャワーでも浴びて、さっぱりしよう。
「ただいま。」
家に辿り着き、シャワーを浴び、お弁当作りを始めるが、すぐに終わってしまう。前に作って置いた物を温めるだけだから。お弁当を作る事で誤魔化してきた考えが脳裏に蘇る。
あたしは、付き合っている男としかエッチをしないと決めていた。どんなに酔っても絶対にそれは守ってきた。
それなのに、どうして、昨夜、トモとホテルに入ろうなんてしたんだろう?
まさか、あたし、トモの事、好きなの?ありえなぁい。TDHだよ。
確かに、あたしのお陰で痩せてきたし、ハゲも目立たなくなった。
でも、あたしの理想とする男とは違い過ぎる。お洒落なカフェとかレストランに連れて行ってくれないし、それほどお金持ちでもない。それに、それに…。確かに話していて楽しいけど…。
「あぁ、もうヤダ。」
考えが纏まらない。もう、トモの事を想うと鼓動が早くなるし、やってられなぁい。と、思いつつもお弁当をせっせと作っているあたしもいる。矛盾だらけでしょう?
時計を見ると、十二時半。ちょっと早いけど、気分転換に散歩をしながら、行こう。
「行ってきます。」
ぶらぶらと歩き、公園に差し掛かると、鵜飼いおじさんとポチの姿。
「こんにちは。」
駆け寄り、最高の笑顔を作り出す。
「あぁ、こんにちは。」
おじさんがこの間と同じ人の良い笑顔を覗かせ、ポチが舌を出しながら、あたしに寄ってくる。
「ポチ、元気?」
「アウ!」
ポチが元気良く鳴き声を上げた。
「昨夜、飲み過ぎた?」
「えっ?」
「疲れた顔をしているよ。」
「図星。おじさん、鋭いわね。」
「美人さんだから、ちょっとした変化でも気付ける。そうだろう?」
「上手ね。」
ポチに視線を向けたまま、苦笑を零す。
「彼氏とでも喧嘩したのかい?」
「別れちゃった。でも、どうでもいいの。」
「好きな人でもいるのかな?」
ポチの頭を撫ぜながら、少しだけ微笑んだ。
「好きな人なんかいないわ。ただ…。」
「ただ?」
「おじさん、良い人ね。」
「よく言われる。でも、それだけの人だ。」
「それだけの人?」
ポチを連れ、ベンチに座るように促される。素直に従い、ポチを間に挟み、座った。
「おじさんは、昔から良い人だと言われ続けていたんだ。若い頃、良い人だけれど、良い男じゃないともてなかったんだ。外見も格好良くもなかったしね。」
「それで?」
よく知らない人の話を聞くタイプでもない。でも、何か聞きたい気持ちになる。
おかしいわね、あたし。
「お見合いを重ねても全然ダメ。そんな時、女房と知り合った。女房は良い人が良い男の条件だと言い、俺と結婚してくれた。女房はこの辺りのマドンナ的な存在だったのに、信じられなかったよ。でも、嬉しかった。ちなみに、今も凄いベッピンさんなんだよ。」
「おじさん、奥さんが大好きなのね?」
「あぁ、もちろんだよ。ポチと三人で暮しているけど、すごく幸せさ。時々、幸せを噛み締めている。なんて、な。惚気話だったかな?」
おじさんが頬を染め、薄くなった髪に手を当てる。
「でも、結婚したばかりの頃は不安だったよ。おじさんは、格好も良くなかったし、金持ちでもなかった。でも、女房はそんな俺を笑い飛ばしたんだよ。格好や金を好きになったのではなく、俺自身を好きになったと。格好悪くて、お金持ちでもない。でも、人の良い、真面目な人だから良いんだと。浮気とかで泣かされる事もないし、安定した生活が出来ると、ね。本当にその言葉には参ったね。」
おじさんがポチの頭を撫ぜ、照れ笑いを見せる。凄く嬉しそうな顔。
「おっと。美人さんの話だったね。」
「ううん。あたしはいいの。おじさんの話を聞いたら、元気になっちゃったみたい。」
「そうかい?」
「奥様を大切にしてね。」
「美人さんも自分の気持ち、大切にな。」
「ありがとう。じゃあ、あたし行くわ。ポチ、またね。」
「あぁ、気を付けて。」
おじさんとポチと別れ、豚晴に向かった。未だ営業中で数人のお客様がいる。
「いらっしゃいませ。」
ハルトくんが出てきて、あたしに笑いかける。あたしも笑みを返した。
「いらっしゃいました。」
「どうぞ、いつもの席に。」
「ありがとう。」
お客様じゃないのに、いつもこんな感じ。おかしいよね。
テーブルに頬杖をして、ぼんやり窓の外を見つめる。藤本に来るお客様も昼間のこの時間は疎ら。豚晴も閉店間際だし、駐車場の車はほとんどない。
あたし、おかしいよね。どうして、急にトモを意識し出したんだろう?ううん、違う。きっと、再会してから、一人の男として、気になっていたのかもしれない。それなら、全ての辻褄が合う。
でも、再会した時の、今もそうだけれど、トモはあたしのタイプじゃない。人も羨むルックスなんてしていないし、お金持ちでもない。今まで付き合ってきた男と雲泥の差。
それなのに、あたし、時々、トモにときめいている。あの頃みたいに、ドキドキしてしまう。絶対におかしい。自分でもわかっている。
でも、もしかして、あたし、やっぱりトモの事が好きなのかな?
「セイコさん?」
テーブルの横にハルミちゃん。お茶を持ち、あたしの顔を覗き込んでいる。
「あっ、ハルミちゃん。」
「どうしたんですか?ぼんやりして。」
「うん。ちょっと二日酔い。」
「二日酔い、ですか?」
あたしの前にお茶を置き、トレーを抱えたまま、首を捻る。
「どうかした?」
「二日酔いって、顔じゃなかったですよ。」
「どんな顔していた?」
「凄く好きな人の事を想っていると言うか、何と言うか、恋をしている女性の顔をしていました。」
「恋をしている女性の顔?」
「恋煩いみたいな感じがしましたよ。あっ、ごめんなさい。余計な事だったみたいです。」
「ううん。」
あたしはそっと窓の外に視線を向け、首を横に振った。
「そうかもしれないわね。」
ハルミちゃんに視線を戻し、微笑んだ。きっと、泣きそうな顔をしていたと思う。
「セイコさん、綺麗。あっ、いつも綺麗なんですけど、何か特に綺麗だったから。」
「そう?」
「その人の事、本当に大好きなんですね。素敵な恋をされているみたい。」
「素敵な恋、か。どうなんだろうね?」
「頑張ってくださいね。応援しています。でも、セイコさんなら、絶対に平気ですよね。」
「そうなのかしらね?そうだと良いわね。」
ハルミちゃんが、あたしの前に腰掛、真っ直ぐにあたしを見つめる。
「セイコさんみたいな人でも不安になるんですね。綺麗でお洒落で、こんなに素敵で、私が男なら絶対に好きになっちゃうのに。」
「ねぇ、ハルミちゃん。」
ハルミちゃんの視線に負けないように、真っ直ぐに見返した。
「はい。」
「ハルミちゃんは、どんな基準で男の人を好きになる?」
「えっ、基準ですか?そうですねぇ。共通しているのは、穏やかで優しい人、ですかね。それは、格好良くて、性格も良くて、ヘンな偏りがない、お金持ちの男性とか、いわゆる玉の輿って人と付き合えれば最高だなとは思いますよ。でも、好きになった人が、一番ですね。」
「好きになった人が一番ね。」
「それに、好きになるのは、そういう基準で選べないじゃないですか。恋に落ちるという言葉の通り、有無も言わさずに好きになってしまうモノじゃないですかね?」
恋に落ちる?そんな言葉、忘れていたわ。
「ありがとう、ハルミちゃん。」
「きっと、同じ気持ちじゃないですか?セイコさんの好きな男性も。あっ、私、恋人が出来たんです。だから、心配しないでください。」
「ハルミちゃん?」
「年下だけど、しっかりした優しい人なんですよ。もう、毎日、ラブラブで。じゃあ、私、お昼に行きますね。セイコさんも頑張ってください。じゃあ、また。」
ハルミちゃんが頬を染め、可愛い笑顔を残して、歩いていく。
そっか、あたし、やっぱり、彼が好きなのかな?恋に落ちてしまったのかな?
「お待たせ。」
調理用の白衣を脱ぎ、Tシャツ姿のトモが、あたしの前の席に座り込む。
急に鼓動が早くなってしまう。頬が赤くなるのだけは抑えないと、格好悪いわ。
「二日酔い、大丈夫か?」
「家に帰って、シャワーを浴びたら、すっかり良くなったわよ。トモこそ、二日酔いじゃないの?」
「あんなにべろんべろんに酔っ払ったヤツの介抱で全然酔えなかったよ。」
「それは、それは、すみませんでしたっ。」
話し出すといつもの調子に戻れる。
「それより、弁当。朝飯を食い損ねたから、ペコペコだよ。」
「はい、はい。」
お弁当箱をトモに手渡す時、軽く指先が触れる。無意識に手を引き、頬が熱くなってしまう。
ヤダなぁ、何をしているんだろう。
「いつも、ご苦労さん。いただきます。」
美味しそうにあたしの作ってきたお弁当を食べ始めるトモ。
あたしのおかしな行動に何も感じないの?
「食べないのか?」
「食べるわよっ。」
お弁当を広げるけど、食べる気持ちになれない。豆腐ハンバーグに手を伸ばすけど、味がわからない。もしかして、緊張しているの?ありえなぁい。
「どうだ?少しは浮上したか?」
「えっ?」
「ほら、友達の事とか、元彼の事とか。」
「あぁ、お陰様で。」
すっかり忘れていたわ。もう、頭の中はトモの事で一杯だった。
そうだ。帰ったら、ルミに電話してやろう。内緒にしていた事を一言文句言って、おめでとうと言ってあげるんだ。
それに、マークンにもソークンにもお祝いを言わなくちゃ。
ミーコにも電話して、黙っていた事を責めた後、冷やかしてやらなくちゃ。
その位しないと気が済まないわね。
「ねぇ、トモ。」
「うん?」
低カロリーのウインナーを口に銜えたまま、あたしに視線を向ける。
間抜けな顔なのに、気にならないのは、何故?
「豚晴って、従業員の募集とかしていないの?ウェートレス。」
「もう一人位、いてもいいかなと思うけど、心当たりがあるのか?」
あたしは笑顔で自分を指差した。
「えぇ、セイコ?」
「あたしじゃ、ムリかな?」
「ムリじゃないと思うよ。受付をやっていたから、お客の扱いは大丈夫だろうし、むしろ、嬉しい。集客力もあるだろうし。でも、いいのか?」
「何が?」
「こんな店で働くなんて、さ。セイコなら、ブティックとか、お洒落なカフェとかの方がいいんじゃないかと。」
「そういう場所は嫌なの。ダメ?」
「いいよ、セイコがここで働くつもりがあるのなら。その代わり、安いぞ。」
「うん。よろしくお願いします、店長。」
トモが照れ笑いを零す。頬の贅肉は大分なくなり、すっきりした顔で。
「店長はやめてくれよ。セイコにそう呼ばれるのは、抵抗がある。」
「はぁい。」
二人の視線が合い、同時に笑い出した。
「いつから働いてくれる?」
「じゃあ、今日は何も用意していないから、明日からにするわ。」
「明日、九時半に出勤する事。あっ、お弁当は作ってこなくて良いよ。ここの調理場を使って、お昼近くに作ってくれれば、さ。」
「あくまであたしに作らせるつもりね?」
「もちろん。」
トモが悪びれない笑みを見せながら、頷く。
「じゃあ、夕食の部には時間があるわよね。買い物をしておいて、冷蔵庫の片隅に材料を入れてもいいかしら?」
「もちろん。」
「荷物持ちに付き合ってよ。」
「はい、はい。」
昨日と何も変わらないトモ。あたしだけが意識しているようで恥ずかしくて、一生懸命、それを隠し続けた。ずるいよね、そういう態度。




