どこがすきなの?
ふんわりと甘い香りが広がる。
冗談半分に真っ赤なバラを買ってみた。
いらないよ、と困った顔をする河野先輩が見たかったのだ。
こぶりの赤いバラとかすみ草の小さな花束を差し出すと、彼は一瞬呆けたのち嬉しそうに笑った。
これは計算外。この人はいつもこうして私の冗談を本気で受け取るのだ。止めて欲しい。恥ずかしいじゃない!
私は河野先輩が横になっているベッドの脇にぺたりと座り込んだ。彼の部屋は相変わらず色んなもので溢れかえっていた。上半身を起こして花束を握りしめる河野先輩の周りもぬいぐるみで埋め尽くされている。彼は物が捨てられないのだ。
「どうしたの、これ」
「先輩が風邪で弱っている、と聞いて愛の力を表現しようと思いました」
「……ありがとう」
河野先輩は熱で火照っている顔を更に赤くした。汗で黒髪がおでこに張り付いている。
上目遣いに私の表情を窺いながら、彼はか細い声を出した。
「お見舞いに来てくれて嬉しいんだけど、帰って欲しい……です」
「なんでですか? もうちょっと先輩と居たいです」
「またそんな恥ずかしいことを……。うつすかもしれないし、俺、風邪引いてると十割り増しくらい性格悪いから」
下を向いた河野先輩に、私は心の中でため息を吐いた。本当は帰って欲しくなんて無いくせに、面倒くさいなあ。でも私が面倒くさいなんて言ったら先輩は生涯に渡って悲しみ続けるだろうから、黙っておく。
風邪を引いているときの自分が十割り増しくらい性格悪い、という言い分も分からないわけではないし。私に関しては、お腹が痛いだけで二割り増しぐらい性格悪くなると思う。
「構いません、私の愛はとんでもなく大きいです」
「駄目。どうせまた口を滑らせて、君に嫌われる!」
はて、河野先輩が口を滑らせた事があったっけ?
「嫌いませんよ。私、先輩大好きですもん。先輩でご飯三杯はいけます」
「……白ご飯?」
「いえ、ふりかけご飯で」
それは最早、ふりかけでご飯を食べてるんじゃないの? と彼は唇を尖らした。そののち、しんどいのと相まって縋るような目つきになる。
「俺なんかのどこが好きなの?」
「うーん……、どこでしょうねぇ」
私は突然の質問に大きく首を傾げた。
どこだろうか。
薄い唇。ゆっくりした喋り方。爪の形。すぐに赤面するところ。時間を守れるところ。素直じゃないところ。
あげようと思えばいくらだってある。けどそれって、河野先輩のだからじゃないかと思うんだ。
例えば喋り方だったら、喋り方が好きだから河野先輩が好きなのではなくて、河野先輩が好きだから彼の喋り方が好き、ということ。卵が先かニワトリが先か、みたいな事かもしれない。
私は口に拳を当てて黙考した。
「やっぱり俺は良い所なんてないんだ」
と河野先輩が呟くのが聞こえる。元から重度のネガティブだが、風邪で悪化しているようだった。
まだ悩んでる振りをして、彼の様子を横目で見てみる。すると意外と落ち込んではいなかった。熱心にバラの花束を見つめると、顔をほころばせる。
――あ、今何か分かりそうだった。まあいいか。
「どこだって良いじゃないですか。全部まとめた、先輩が好きですよ」
「嘘だ」
「嘘じゃないです。私、先輩に会うまで幸せになりたいって思ってました。でも今は先輩を幸せにしたいって思ってます。誰かを幸せにしたい、って気持ちにさせてくれただけで、私は先輩に感謝しています」
「嘘」
河野先輩は花束で顔を隠してしまった。
ああ、照れてるんだな。
「信じて下さいよー。そういう所も好きですけど」
「……どうせそんなようなことを他の男にも言ってるんでしょ!」
私は堪えきれずに盛大に吹き出した。
笑い出したら止まらなくて、彼が困惑しているのも気にせずひとしきり笑った。
やっと私が静かになると、ふて腐れた河野先輩が言う。
「なんで笑うんだよう。やっぱり嘘なんだ!」
「違います! だってさっきの先輩、彼氏というより彼女みたいで可笑しくって」
「なんだそれ……」
すっかりへそを曲げてしまった河野先輩はバラの花に視線を落とす。
私はひとつ提案してみることにした。
「先輩ってネガティブじゃないですか」
「そうかなあ」
「そうですよ。――ちょっとのことで悲しくなるなら、そのかわりちょっとのことで幸せになりましょう! ちょっとの幸せが沢山になったら、誰かをちょっとだけ幸せにしましょう」
「誰か?」
「はい。具体的には私を」
「……でも」
彼はそれでも不服そうである。
まだなにかあるのか。流石の私も少しむっとした。
「似合わないって言われた」
「何がですか?」
河野先輩は言いよどんで、
「君と、俺が」
「――あ! わかった!」
私がふいに話を遮るので、彼は目をぱちくりさせた。
閃いた、簡単なことだった。河野先輩のどこが好きなのか。
もったいないから口にしない事にする。
私の見ていないときに、私があげた花束を愛おしげに見つめるとか。
私だったら「私と貴方が」と言ってしまうところを「君と俺が」と、私のことを先に言うところとか。
気付けたことに思わず口元が緩む。
彼のその、小さな無意識が好きなんだ。