水鳥笛が神具となった理由
挿絵の画像を作成する際には、「Ainova AI」と「Gemini AI」を使用させて頂きました。
水を入れて吹くと鳥の鳴き声に似た音の鳴る水鳥笛は全国的に有名な郷土玩具ですが、その普及は江戸後期から明治頃とされています。
ところがこの地域においては、それより早い江戸中期から水鳥笛が作られており、しかも単なる子供の遊具ではなく魔除けとしての役割も与えられていたのでした。
当地域において水鳥笛が斯様な用途で使われるようになったのには、次のような不思議な由来があるので御座います。
時は宝永年間初期の夏の事、この地域に風変わりな旅人が訪れたのです。
娘盛りの大層な美人ではありましたが、何処か常人離れした異様な風格のある奇妙な女性でした。
特に奇妙だったのが、村や地域で語り継がれている妖怪変化の怪異譚や古の民間信仰を茶店の店主や古老などから熱心に聞き込みしていた点でした。
聞けば件の女性は「鳳」と名乗る女流絵師で、今で言う取材旅行のような真似をしていたそうで御座います。
ならばと寺の和尚が法話の為に閻魔大王の仏教画を依頼した所、子供ならば泣き叫ぶのも必至な程に鬼気迫る絵巻物を苦もなく仕上げたとか。
そうした具合に最初は村民達を耳目を集めていた女絵師も、やがて逗留が長引くにつれて良くも悪くも新鮮味が薄れ、女絵師の方から話しかけない限りは別に注目されないようになっていったそうです。
「成る程、今は祀られなくなった御社が村外れにあると…そして御神体は?ほう、成る程…」
とはいえ女絵師の方はと言えば、余計な詮索をされなくなったのを「これ幸い」と考えたのか、渡りに船とばかりに聞き込み調査と取材へ熱を上げたそうですが。
この風変わりな女絵師が再び住民達の耳目を集める事になったのは、盆も迫ったある夏の日の事でした。
虫取り遊びに夢中で打ち捨てられた武家屋敷の敷地内に入ってしまった子供達の身に、恐ろしい事が起こったのです。
「私の子は何処にいるの?恨めしきは御館様…」
古井戸からぬっと青白い顔を出したのは、苛烈な当主の不興を買い妊娠していた胎児ごと非業の死を遂げた女中の幽霊だったそうです。
幕府の御詮議により御家が御取り潰しになったにも関わらず、女中の無念は晴れておらず未だに現世を彷徨っていたのでした。
「うっ…うわああっ!」
「でっ、出たぁ…」
腰を抜かした子供達が抱き合ってガタガタと震え始めた、その時です。
その場の雰囲気には余りにも場違いな澄んだ小鳥の鳴き声が、甲高く響き渡ったのは。
いいえ、それは本物の小鳥の鳴き声ではありません。
「お、お姉さん?」
子供達が驚いたのも当然でしょう。
小鳥の鳴き声のような音は、あの旅の女絵師が手にした風変わりな笛から聞こえていたのですから。
「非道な主君に殺された哀れな亡者よ、汝が案じた子供は無事に水子として供養された。汝の迷える魂も、この霊鳥が導く故に…」
その女絵師の言葉に従うように、身体の透き通った数羽の白い鳥が女中の霊目掛けて一直線に飛んでいき、その周囲を弧を描くように飛び回り始めたのです。
「ああ、身体が軽い…まるで今までの恨み辛みが澄んだ水で洗い清められていくかのようだわ…」
そうして女中の霊が光に溶けるように消えていった後には、腰の抜けた子供達がいるばかりでした。
そうして子供達を親元へ送り届けた女絵師は、大人達を集めて次のように説いたのでした。
「私が用いた笛は唐の国で用いられていた玩具で、中に水を溜めて吹くと小鳥の囀りのような音色を奏でるのです。しかし、これだけでは単なる子供の玩具に過ぎません。この村の外れの御社から湧き出る御神水を用いる事で、魔除けの神具となるのです。今でこそ朽ちかけている御社も、元々は記紀にも語り継がれた由緒正しき御社で御座います。ですから正しくお祀りすれば、あのように御神体である霊鳥様が御守りして下さるのです。」
そうして女絵師は女中の霊と霊鳥の姿を武家屋敷跡で起きた出来事と併せて書き記すと、そのまま何事もなかったように街道を進んでいったそうです。
それからというもの、人々は朽ちかけていた御社を修理して霊鳥を改めて祀り直し、女絵師から教わった水鳥笛をせっせと作るようになったとか。
この地域で水鳥笛が神聖視されるようになったのには、そうした伝説が語り継がれているからで御座います。




