姉に追放された獅子姫の帰還
フェオドラは崖の端に立つと、視界を広くするために獅子頭の兜を外した。
口を開いた雌のライオンの頭を型取った兜を脇に抱えながら、風に靡く黒髪を反対の手で押さえた。
「ついに帰って来たわ。サフィーナ姉様」
山と草原の向こうに城塞都市が見えている。
バルテ国の王都。
あそこに姉のサフィーナがいる。
妹を追放せざるを得なかった囚われの女王が。
◇◇◇◇
フェオドラはバルテ国の姫として23年前に生を受けた。
幼少期から武術や兵法に興味を持っていた。
才能もあったと思う。
王である父に頼んで14歳で軍に入ったが、周囲は武技の巧みさに驚いていた。
いつのまにか百獣の王になぞらえて獅子姫と呼ばれるようになっていたほどだ。
3歳年上の姉サフィーナは聡明で学問を好んだ。
英邁で早くから父の相談役として政治に加わった。
民政や経済の画期的な発案には大人たちも舌を巻くほどで、才賢姫と呼ばれていた。
男子の跡取りはいなかったが、この二姉妹がいればバルテ国は安泰だといわれることがフェオドラの誇りだった。
サフィーナも同じ気持ちだったようだ。
「将来は私が政治を担当してフェオドラが軍事を担当するようにしましょう。そうすればバルテ国はきっと今より豊かで強くなるわ」
サフィーナは何度もそう言っていた。
そのたびにフェオドラは「はい。サフィーナ姉様」と笑顔でうなずいた。
姉妹の仲はとても良かった。
尊敬するサフィーナと共に歩んでいきたいとフェオドラは心から願っていた。
父が病で倒れたのはフェオドラが18歳のときだ。
もう長くないことを悟った父が後継に指名したのは、以外にもサフィーナではなくフェオドラだった。
サフィーナはどこか脆いからと。
だがフェオドラは固辞した。
自分の得意分野の軍事は政治の一部に過ぎない。
政治に明るく年長でもあるサフィーナが後継者になるべきだと父を説得した。
父は折れてはくれたものの、最後まで不安そうだった。
ほどなくして父は亡くなりサフィーナが女王に即位した。
フェオドラは宮廷騎士団長に任命された。
「フェオドラ。私を支えて。お願い」
「もちろんよ。サフィーナ姉様」
女王になったサフィーナを守り抜くとフェオドラは固く心に誓った。
サフィーナはすぐに政治改革に着手した。
父に脆いと言われていたことを気にしていたのかもしれない。
民の負担を軽減する減税の命令を貴族諸侯に出して、断行した。
その結果、民には大いに称賛された。
だが諸侯からは税収の少なくなってしまったと反発を招いた。
「女王陛下への反逆は許さない」
フェオドラは宮廷騎士団長として諸侯に睨みを利かせた。
獅子姫と呼ばれているフェオドラを恐れたのか表立った反逆はなかった。
しかし気付かないうちに悪意の歯車はゆっくりと回り始めていた。
サフィーナはその頃、エドウィンという男に心を傾け始めた。
エドウィンは有力諸侯であるアトレーゼ公爵家の子息であり、容姿は端麗で口から出てくる言葉も巧みだった。
それでもフェオドラはエドウィンに対して何となく嫌な印象を持っていた。
「姉様。エドウィンと親しくするのはお止めになったほうが」
「そんなことを言わないで。私たちは愛し合っているのよ」
結局サフィーナは22歳でエドウィンと結婚して翌年には懐妊もした。
だがそれが不幸をもたらすことになる。
サフィーナのお腹が大きくなった頃、バルテ国に南の異民族が侵入してくるという事件が発生した。
フェオドラは宮廷騎士団の騎馬隊二百騎を率いて遠征することになった。
アトレーゼ公爵家の手勢と連合で異民族を打ち払おうというエドウィンの提案だった。
「フェオドラの無事を祈っているわ。これを」
「まあ」
サフィーナは獅子頭の兜を贈ってくれた。
「嬉しいわ。ありがとう、サフィーナ姉様」
それを被ってフェオドラは出陣した。
心は高ぶり、異民族に後れを取るとは思っていなかった。
だが南の国境付近に到着すると、来るはずのアトレーゼ家の軍がいつまで経ってもやってこなかった。
フェオドラは宮廷騎士団の騎馬隊二百騎だけで戦うことを余儀なくされた。
自ら陣頭に立ち兵士たちと共に果敢に戦った。
圧倒的に多勢の異民族を撃退することに成功したが、そのときには手勢は半数の百騎にまで減っていた。
寡兵での戦いを強いられなければこんなに犠牲を出さずに済んだはずだった。
王都に戻ったら、真っ先にアトレーゼ家とエドウィンの責任を問う。
憤りながら王都に帰還した。
ところが、王都の城壁の門は開かなかった。
城壁の上から、サフィーナが生まれた子を抱きながら見下ろしていた。
「フェオドラ。あなた方は王都には戻れません。バルテ国領内に留まることも許しません。女王命令で追放を言い渡します」
サフィーナが冷淡に言い放った。
フェオドラは自分の耳を疑った。
信じられなかった。
「なぜです!? サフィーナ姉様!」
だがサフィーナはそれ以上何も言わなかった。
その隣にエドウィンが現れた。
「フェオドラ妹君。あなたが反乱を目論んでいるという情報を掴んだからですよ。アトレーゼ家が軍を派遣しなったのも同じ理由です」
エドウィンが薄ら笑いながら言った。
「馬鹿な」
「問答無用。それ以上留まるなら女王命令に逆らう反逆行為とみなし矢を射かけます。さあ、立ち去られよ」
無念だったが引き下がるしかなかった。
サフィーナは最後まで無言のままだった。
「どうして姉様は、追放などという女王命令を」
胸には困惑と悲しみと渦巻いていたが、やむなくバルテ国を出て百騎と共に流浪の軍となった。
まずは自分と百騎の部下が路頭に迷わずに済むにはどうすればいいか考えざるを得なくなった。
幸いにも大規模な山賊を打ち払って砦を奪って拠点を確保できた。
資金は傭兵稼業で稼いだ。
野党の類を打ち払い、時には近隣諸国の依頼で敵国の侵略を退けて声望を得た。
少しずつ部下を増やすこともできた。
だが当面の不安が薄れると、逆に考え込むことが増えた。
「サフィーナ姉様。出陣のときは無事を祈っていると言って下さったのに。それなのに何の弁明も許さずに追放なんてあんまりだわ。どうしてなの?」
獅子頭の兜を見つめながら自問自答を繰り返したが、答えは出なかった。
心に靄がかかったような状態で傭兵稼業を続けて一年ほど経った頃、初老の女性が砦を訪ねてきた。
幼少期からフェオドラやサフィーナの面倒を見てくれていた侍女だった。
侍女は涙ながらに語った。
サフィーナが女王命令でフェオドラを追放したのはエドウィンの指示だったのだと。
言う通りにしないなら子供を殺すと脅されてやむを得なかったらしい。
「サフィーナ姉様だけでなく自分の子でもあるのに、エドウィンは何ということを!」
だがエドウィンがサフィーナに近づいたこと自体が女王である彼女を傀儡にして政治の実権を握ることが目的であり、子供もそのための道具としか考えていないらしいとのことだった。
サフィーナの政治にはアトレーゼ公爵家も不満を持っていた。
だからといって妹のフェオドラが睨みを利かせているので迂闊なことはできない。
そこでエドウィンを夫にするという搦め手で政治の主導権を奪うことにしたのだという。
南の異民族の侵入もアトレーゼ家が資金を提供して誘導していたらしい。
フェオドラを遠征させてサフィーナから引き離すために。
アトレーゼ家が軍を出さなかったのも当然だった。
そうやってフェオドラが不在で、さらにはサフィーナが出産で思うように動けないときを見計らって宮中を掌握する。
その謀略は残念なことに功を奏し、フェオドラが王都に戻ってきたときには政治の実権はすっかりエドウィンに奪われてしまっていたのだという。
追放の女王命令も邪魔なフェオドラを王都に戻さないためにエドウィンが出したものだと分かった。
サフィーナは止められなかったことに心を痛め続けているのだという。
だがどうすることもできないでいる。
自分にも子供にも厳重な監視がついており宮中を抜け出ることは不可能らしい。
信用できる味方は侍女や世話係のような力を持たない者だけとのことだった。
侍女はエドウィンに怪しまれないよう、老齢を理由に職を辞してからフェオドラに実情を伝えにきてくれたとのことだった。
「そうだったのね」
サフィーナの気持ちを知って心の靄は晴れた。
そしてエドウィンへの怒りが込み上げてきた。
「エドウィンの下衆め! 今すぐにでもバルテ国の王都に攻め入って、姉上と子供を助けるわ!」
だがさすがに多勢に無勢で勝ち目がないと部下に止められた。
せめて兵の数が五百に増えるまで待つべきだと。
やむを得ずに耐えることにした。
兵は順調に増えて行った。
バルテ国を抜け出してフェオドラの元に糾合してきた兵士も多かった。
その者たちはサフィーナを見限ってやってきたらしかった。
民に女王就任以前よりも重税を課すようになったと。
女王の命令という名目でエドウィンが民から搾り取っているに違いなかった。
そしてエドウィンのアトレーゼ家は日に日にバルテ国を掌握していっているようだった。
サフィーナのことを思うと胸が痛んだ。
すぐにでも助けに行きたい気持ちを募兵や練兵に打ち込むことで耐えた。
フェオドラ自身の武技にも一層磨きを掛けた。
様々な思いを堪えながら三年が経ったとき、兵数は五百に到達した。
機は熟した。
◇◇◇◇
フェオドラは崖から王都を眺めながら過去のことに思いを馳せていた。
「サフィーナ姉様。これより助けに参ります。必ず助けます」
王都に向かって呟くと、脇に抱えていた獅子頭の兜を両手で持って見つめた。
甲冑と同じ黄銅色だ。
サフィーナが同じ色にしてくれた。
何よりも無事を祈って贈ってくれた。
そのことを噛み締めながら兜を装着すると、マントを翻して崖を後にした。
すぐ近くの山頂の野営地に戻った。
勝つ自信はある。
ここに来るまアトレーゼ家の軍と二度ぶつかったが、どちらの戦闘でもあっさりと打ち砕いている。
この軍は精強だ。
三年間、訓練と実戦を繰り返して鍛えに鍛えた。
兵士たちを集めた。
「みんな! いよいよバルテ国王都を奪還する決戦よ!」
喚声が上がった。
兵士たちの士気は高い。
厳しい訓練はこのときのためだと言い聞かせてきた。
「バルテ国で行われている悪政はサフィーナ女王ではなく夫のエドウィンの手によるもの! 敵はアトレーゼ家よ!」
「はい!」
「承知しています!」
これもずっと言ってきたことだ。
「そしてサフィーナ女王は私の姉上。絶対に助けたいの。人質にされている子供も一緒に。どうか私に力を貸して!」
さらに大きく喚声が上がった。
「みんなありがとう! 出撃よ!」
白馬に跨った。
三百騎の騎馬隊も出発の準備を整えている。
残りの二百は後詰めや兵站の担当だ。
「掲げよ! 獅子姫の旗を!」
旗手たちが軍旗であるライオンの絵柄の旗を立てた。
「進軍開始!」
山を下った。
この先に敵がいることは崖の上から見て分かっている。
平原に出ると敵が展開していた。
斜面を駆け下りて勢いをつけた逆落としを警戒してなのか、山からはある程度距離を取っていた。
向こうも騎馬隊で数は約六百。
陣形は鶴翼。
V字型の多勢が用いる陣形。
二倍なら押し包めると思っているのだろう。
だが甘い。
フェオドラは、負けるとは全く思わなかった。
「魚鱗の陣!」
騎馬隊が三角形の隊列を組んだ。
頂点が敵に向いた形。
そして頂点の先にいるのはフェオドラ自身だ。
腰の剣を引き抜いて天に向けた。
「突撃!」
敵に向かって剣を振り下ろしながら叫んだ。
白馬が走り出した。
後ろを見なくても騎馬隊が続いていることは分かっている。
一方の敵は止まったままだ。
二度の戦でそれほど兵の練度が高くないことは分かっている。
動き出したのはしばらく経ってからだった。
鶴翼の間を進んだ。
翼の根元の敵にぶつかった。
フェオドラが先頭のままだ。
一人、二人と斬り落として進んだ。
さすがに左右に部下が並んだ。
この部下たちも手練れだ。
敵を次々と倒して行く。
一気に突き進んだ。
敵が怯んでいる。
それほど苦労することなく突き抜けた。
フェオドラが反転すると、鶴翼を二つに両断した形になっていた。
敵が押し込もうとしているが、部下たちの魚鱗の陣は全く崩れていない。
「拡散!」
頭上で剣を動かして支持を出した。
部下たちが先頭から順に左右に分かれて進み始める。
中から敵を食い破る形だ。
浮足立った敵は次々に倒れている。
すぐに部下たちが敵を突き破った。
馬の上に残っている敵はほとんどいない。
フェオドラは再び正面を向いた。
少し離れた場所に三十騎ほどがいる。
敵将を守っている集団だ。
明らかに動揺している。
三十騎が逃げ出した。
「敵将を討つわ」
フェオドラは部下の十人と疾駆した。
自分とこの部下たちは質の高い馬を選んで乗っている。
すぐに三十騎に追いついた。
こちらの方が少数でも後ろから斬り倒すのは造作も無かった。
敵将に並ぶと向こうも剣を引き抜いた。
並走しながら三合撃ち合ったが、四撃目で喉を突いた。
他の敵も部下たちが倒した。
決着はついた。
敵の五百騎はほぼ全滅。
こちらの損害は二十騎に満たないだろう。
隊列を組みながらこちらに向かってくる。
「兵の質が違い過ぎたわね」
「将の質もです」
部下の一人がにやりと笑った。
その直後、遠くから地響きが聞こえた。
王都の方角を見た部下が唖然としている。
「あ、あれは一体!?」
巨大な灰色の獣が横一列でこちらに向かって来ている。
「戦象よ」
象が全部で十頭。
それぞれに一人ずつ半裸の男が乗っている。
「エドウィンのやつ、また南の異民族に資金を送って助けを求めたのね」
しゃべっている間にも戦象は近づいて来る。
「弓!」
弓兵の部下が近づいてきて馬を並べた。
「借りるわね」
剣を鞘に納めて弓と矢筒を受け取った。
「また拡散して戦象をやり過ごすよう指示を出して」
矢筒を背負いながら言った。
「フェオドラ様は? あの化け物、弓矢ではおそらく倒せませんよ?」
「大丈夫よ。とにかく拡散。いいわね!」
そう言って少し馬を進めた。
戦象が迫って来る。
矢筒から矢を二本取り出すと両方を弓につがえて引き絞った。
「象は倒せなくても人は倒せるわ」
そう呟いて放った。
左端とその隣の戦象に乗っている男を二人同時に射落とした。
さらに二矢を構える。
左から三番目と四番目に狙いを定めて射った。
戦象から二人が落ちた。
五番目と六番目。
七番目と八番目。
九番目と右端。
一矢も外さずに全員を射ち落とした。
だが象は一頭も止まっていない。
「フェオドラ様! お逃げください!」
遠くから部下の声が聞こえた。
フェオドラは少しだけ馬の位置をずらした。
左右を戦象が走り抜けていく。
風圧と地響きを感じながら平然と前を見つめていた。
「集合! 前進!」
戦象をやり過ごした兵を集めると王都に向かって進み始めた。
敵が打って出てくる気配はない。
城壁にいる敵の弓が届く手前の距離で進軍を停止した。
「籠城されると厄介ですね。攻城兵器を調達するには時間が掛かりますし」
部下の一人が眉間に皺を寄せた。
「そうね。上手くやってくれることを祈るわ」
「上手くやってくれるとは?」
「大丈夫だったみたい」
城壁の上に平民の格好をした者たちが現れた。
手に持った短刀で敵兵を倒して行く。
敵兵の一人が斬られて城壁から落ちてきた。
「あれは!?」
「前もって部下二十人を王都に潜伏させていたのよ」
言いながら矢を構えた。
援護で四人目の敵を射抜いたとき、縄梯子が下ろされた。
一つだけではない。
五つだ。
「さあ! 行くわよ!」
城壁に向かって馬を走らせた。
鞍の上に立つ。
跳んで縄梯子を掴むと一気に登り切った。
「フェオドラ様が一番乗りとは、相変わらず無茶を」
「ふふ。ごくろうさま!」
敵を切り伏せながら、潜伏していた部下たちに礼を言った。
縄梯子を伝って味方が次々に登って来る。
味方が増えるに連れて優勢になり、城壁上の一部から敵を一掃した。
一息ついたとき、四年前のことが脳裏をよぎった。
城門に近いこの城壁の上にサフィーナが立っていた。
そして女王命令で追放を言い渡してきた。
生まれたばかりの子供を抱きながら。
苦渋の思いで。
サフィーナ姉様。
待っていて。
あと少し。
あと少しだから。
「門を開くわよ!」
城門はすぐ下だが、下りの階段は少し離れた場所にあり、敵兵たちが行く手を遮っている。
部下たちがその敵に向かって走り出した。
だがフェオドラは、城壁から飛び降りた。
敵の一人を踏みつけるようにして着地する。
地面に這った敵にはすぐに剣を突き立てた。
門の近くに約十人。
二人斬ったが隊列を組まれた。
容易には踏み込めない。
それに敵が階段を降りて向かってくる。
囲まれそうになったとき、味方が一人飛び降りてきた。
そちらを見ると縄梯子が垂らされている。
それを途中まで降りた別の部下がまた飛び降りた。
「さすがに突っ走りすぎです。あの高さから飛べるのはフェオドラ様ぐらいですよ」
「ごめんなさい」
そう言いながら敵の一人を突き刺した。
部下たちと共に門の前に立ちふさがっている敵を次々と倒す。
門への道が開けた。
だが後ろには敵が詰めかけている。
縄梯子を降りてくる部下が遮ってくれているが、敵はそれより多い。
城壁の上の味方は階段近くで交戦中だ。
「閂を外して!」
そう言って門を背にした。
二人の部下がフェオドラの両脇を走り抜けた。
敵を遮ってくれている味方に近づいた。
味方の一人に迫っていた斬撃を跳ね上げて敵を蹴り飛ばした。
「外れました! 門を開けます!」
後ろから部下の叫び声がした。
続けて木の軋むような音。
敵が必死で攻め掛かってきた。
明らかに焦っている。
もう少しだけ凌げば。
「フェオドラ様! 横に跳んで下さい!」
言われた通り横に飛び退いて地面を転がった。
片膝立ちになったとき、開いた門が見えた。
そこから騎馬隊が雪崩れ込んできた。
敵を次々に打ち倒していく。
「この馬をお使い下さい」
一人が近くにやって来て馬を降りた。
「ありがとう」
その馬に跨った。
「さあ! 城まで一気に駆けるわよ!」
先頭になって駆けた。
城下町に敵はいない。
城壁を突破されたという情報はまだ伝わっていないのだろう。
城が見えてきた。
生まれ育った城。
サフィーナ姉様が囚われている城。
とうとう帰ってきた。
城門も開いている。
門番が動揺している。
槍を突き出してきたが剣で弾いて馬の蹄に掛けた。
何人かを蹴散らしながら庭園を進んだ。
城に到達した。
沿って走る。
サフィーナの部屋が変わっていないなら、二階のあの部屋に────。
馬蹄の響きが気になったからか、その部屋の窓が開いた。
ドレス姿の女性が姿を現した。
ああ。
間違いないわ。
「サフィーナ姉様!」
叫んでいた。
「フェオドラ!? フェオドラなのね!?」
サフィーナも叫び返してきた。
「そうよ! 今行くわ!」
部屋の近くの木。
子供の頃、部屋と庭を行き来するのに上り下りしてしいたら、危ないとサフィーナにたしなめられた。
馬を降りてその木をよじ登る。
枝に足をかけたとき、サフィーナの後ろに男がいることに気付いた。
エドウィン。
窓を閉めてサフィーナを部屋の奥に引きずっていく。
これまでに感じたことのないような憎悪が込み上げてきた。
「エドウィン!」
叫びながら跳んだ。
顔の前で腕を交差させた状態で窓を破った。
部屋の床を転がって素早く立ち上がる。
「くっ、曲者だ! 早く来ぬか! はやく────」
「この下衆が!」
エドウィンが入口のドアに向かって叫んだが、言い終わる前に渾身の力で殴った。
横に殴り飛ばしたエドウィンの後ろから、サフィーナが姿を見せた。
「サフィーナ姉様!」
「フェオドラ!」
気が付いたときには抱きしめ合っていた。
ああ。
こうやって再会するのをどれだけ待ち望んだことだろう。
長かった。
本当に、長かった。
いつまでも抱き合っていたかった。
だが部屋の外から足音が聞こえて体を離した。
その直後、ドアが開いて敵兵が五人踏み込んできた。
「サフィーナ女王陛下の妹、獅子姫フェオドラ、本日帰還した!」
言い放つと兵士たちが動揺を見せた。
「それ以上近づけばエドウィンを殺す」
フェオドラは剣を抜くと倒れているエドウィンに突き付けた。
「下にも多数の手勢が控えている! 大人しく去ね!」
兵士たちが逃げるように部屋の外に出ていった。
サフィーナが素早くドアを閉めた。
そして部屋の隅の箪笥から何やら衣服を取り出して来た。
「姉様?」
「こうすれば入って来られないわ」
サフィーナはドアの二つの取っ手を衣服で縛って固定した。
それからエドウィンの手足も衣服でしっかりと縛った。
「これで一安心だわ」
サフィーナが息を吐いた。
「あっ、そういえば姉様の子供は!?」
「大丈夫よ」
サフィーナに手招きされて、天蓋付きのベッドに近づいた。
「ふふ。呑気な子」
ベッドでは五歳くらいの女の子が静かに寝息を立てていた。
◇◇◇◇
城も王都もそれほど苦労せずに取り戻した。
エドウィンが必死で命乞いをして手勢を退去させたからだ。
それにフェオドラに従いたいと望んでいた者も多かった。
一通り処理を終えると夜になっていた。
フェオドラは軽装に着替えて、小さな卓を挟んでサフィーナと向かい合って座っていた。
破れた窓から蒼い月が見えている。
「本当にごめんなさい。あなたの追放を防ぐことができなかった。そのせいで苦労を掛けたわね」
「姉様。謝らないで。悪いのはエドウィンよ。嫌な男だとは思っていたけれど、まさか自分の子を人質にするとまでは私も思っていなかったわ」
子供はすぐにフェオドラに懐いてきた。
殺すことをちらつかせるような男が父親でも屈折せずに育ってくれたことは幸いだった。
その子はまたベッドで眠っている。
エドウィンは牢に放り込んである。
「でもやっぱり父上は正しかったわ。女王には私ではなくフェオドラがなるべきだった」
「そんなことは」
「いいえ。お願い。フェオドラ。私に替わって女王に即位して」
サフィーナが真剣なまなざしで見つめてきた。
少し迷ったが、うなずいた。
「ただし、私は暴れるのが得意なだけで政治には向かない。政治についてはこれからも姉様が指揮を取って」
「駄目よ。私の政治のせいで諸侯の反発を招いて、こんなことになってしまったのだから」
「急ぎ過ぎただけよ」
「でも」
「私と同じように姉様にも突っ走ってしまうところがあるのよ」
サフィーナの表情が少し緩んだ。
「かもしれないわね。姉妹なんだもの」
「ふふ」
二人で少し声を出して笑った。
「政治は姉様に任せるわ。承知して下さらないなら、私も女王にはならない」
サフィーナはそれでも戸惑っているようだった。
「姉様は何度も言っていたじゃない。『将来は私が政治を担当してフェオドラが軍事を担当するようにしましょう。そうすればバルテ国はきっと今より豊かで強くなるわ』って」
「そうね。分かったわ」
サフィーナが目を細めてうなずくのを見て、フェオドラも頬が緩むのを感じた。
「姉様。私たち姉妹は二人で一人。それでいいじゃない」
「ええ。走りすぎてしまわないように気を付けないといけないけれど」
「焦らずにやっていきましょう。バルテ国のために」
手を取り合った。
「獅子姫と呼ばれたフェオドラの姉であることが私の誇りよ」
「才賢姫と呼ばれたサフィーナ姉様の妹であることが私の誇りよ」
子供の頃から姉様と一緒に歩んでいくことが私の心の糧だった。
軍に入って経験を積んでいたときも。
獅子頭の兜を贈ってもらったときも。
姉様を救うために離れ離れになりながら力を蓄えていたときも。
そして、これからもずっと────。
◇◇◇◇
フェオドラの帰還をバルテ国の民は熱烈に歓迎した。
それから間もなく戴冠式が行われた。
フェオドラはサフィーナに替わって女王に即位した。
即位後はアトレーゼ家を掃討し、貴族諸侯の力を弱めてバルテ国の専制的支配権を確立した。
一枚岩となったバルテ国は、相談役の姉サフィーナによる政治と経済によって日に日に豊かになっていった。
豊かなバルテ国を狙って近隣諸国が攻めてくることもあった。
だが、女王フェオドラが自ら出陣して悉く撃退した。
才賢姫と呼ばれ政治の才能に優れた姉サフィーナ。
獅子姫と呼ばれ軍事の才能に優れた妹フェオドラ。
二姉妹によって、バルテ国は長く安寧の時を保った。