多忙によりスタッフ補充④ ※ローズマリー視点
私はローズマリーと言います。兄のジークベルトが冒険者の依頼に失敗して鉱山奴隷になると聞いて、居ても立っても居られずにこの身を売って兄の鉱山行きを阻止しました。奴隷は一般奴隷、借金奴隷、犯罪奴隷などが奴隷商で扱われていますが、借金の額が膨大であったり凶悪犯罪を犯した者は鉱山に送られて十年間の強制労働を課されます。この十年間が大変に長く、鉱山奴隷の九割以上が過酷な労働で死んでしまいます。ですから私はこの身を売ってでも兄が鉱山に送られるのだけは食い止めました。それが幼い頃から親代わりとなって私を育ててくれた兄に対する精一杯の恩返しだと思ったのです。
私と兄は誰の目にも止まらないような小さな寒村で生まれました。夏は暑く冬は毎日雪が降るぐらいに寒い村での生活は過酷でしたが、五歳離れた兄は体が大きく、子供の内から大人に負けないぐらいに魔物を狩っては私達家族に食べさせてくれました。私が生まれてから病気がちだった父も母も兄にはとても感謝していたのを覚えています。
両親が亡くなったのは、私が十歳の時です。先に母が倒れ、後を追う様に父も病気で亡くなりました。すると兄は私を連れて寒村を飛び出し、街に出て冒険者として身を立てました。
体が大きく力も強い兄は順調に実績を積んで冒険者ランクを上げていきました。私が十五歳になる頃にはCランクに上がっていて、私は頭が良いからと商家の跡取りや優秀な平民が通う学校に通わせてくれました。私が読み書き算術を覚えられたのは兄のお陰なのです。
兄は元気でいつも明るくて、お人好しで。よく人に騙されていましたが、騙されても少しも気にしない豪快な性格をしていました。それが兄の良さでもあり、同時に悪い部分でもあったのでしょう。兄は臨時パーティーで受けた大きな依頼を失敗した責任を全て背負わされたのだと人伝に聞きました。
奴隷となった私は運が良かったのか、兄と同じ部屋に入れられて共同生活が始まりました。商品である私達の部屋は狭く、大柄な兄がいたので余計に狭く感じましたが、良い評判を聞いていたサイデル商会の奴隷商は必要十分な食事と清潔な衣服と寝床を与えてくれました。兄は食事が少ないと愚痴を零しましたが、寒村で生きていた幼い頃を思えば私には贅沢に思えるぐらいでした。
サイデル商会の奴隷商を統括するウサンク・サイデル二世は優秀だが軽薄で心の無い人物との評判でしたが、あの方は商売と奴隷の気持ちを日頃から天秤に掛けて最善を選択する人物でした。その証拠に奴隷の中では需要が高いはずの私達を三十日も店頭に出す事すらしなかったのです。
そして遂に部屋から出されて店頭に並んだ私が目にしたのは、珍しい黒髪黒目の男性でした。黒髪黒目と凹凸の少ない異国風の平坦な顔立ち以外にはあまり特徴の無い見た目のその方は、私の前に自己紹介をした二人には然程の興味も示しませんでした。私はウサンクさんの商売人としての矜持を信用していますから、これが好機なのだろうと信じて必死のアピールをしました。すると男性は明らかに私に興味を示してくれました。特に三桁の計算の部分に。
「168+321は?」
「489です」
「533+299は?」
「832です」
「832-489は?」
「…343です」
男性は唐突に計算問題を出しました。正直に言って暗算では少し難しいぐらいの大きな数字ですが、どうにか食らい付きました。特に三桁の引き算を出して来たのは意地悪だと思います。けれども、私の出した成果に男性はすぐさま応えてくれました。
「彼女を売って下さい」
悩む間も無い即決です。まさかこんなに気持ち良く決断出来る方には見えなかったので驚きました。どちらかと言えば優柔不断そうなのに、人は見た目に寄らないとは本当ですね。
そこから先はウサンクさんの独壇場です。男性はウサンクさんの口車に乗って私が奴隷となった背景に涙を流してくれました。そしてウサンクさんの狙い通り、私達兄妹の関係を尊重して男性に私と兄をまとめて売却しました。どうやら私達の主人となったカガ様について事前に知っていたらしく、条件が合致していると判断したのでしょう。
流石にカガ様が号泣している間は狼狽した様子でしたが。
「それじゃあ夕飯食べて帰るぞ。何か食べたい物はあるか?」
「肉!塊の肉を食わせてくれよ!」
「ちょっと兄さん。御主人様に失礼でしょう」
「わはは。元気でよろしい。食べた分は働けよ?ジークはうちの用心棒になるんだからな」
「おう!任せておけ!」
「ちょっと兄さん。兄がこんなで本当にすいません」
「構わんよ。ロミーは何が食べたい?希望があったら聞くぞ。何でも良いは困るから無しでな。肉、魚、野菜は最低限選んでくれ。はい、どれ」
「えっと…。それでしたらお魚でしょうか」
「ジーク残念だったな。今日は魚を食べに行くぞ。塊肉はまた今度だ」
「そんなぁ!ようやく狭い部屋から出られたんだから食わせてくれよぉ!」
「あの、私やっぱりお肉でも…」
「遠慮するな。うちはレディファーストだからな。肉が食べたきゃ店の厨房で焼いてやるから市場で買っていくぞ」
「よっしゃー!ホクト最高ー!」
「お兄ちゃん!御主人様を呼び捨てにしない!」
食堂で奴隷の私達を席に着かせて好きな料理を注文させてくれる、優しくて気さくで変わった御主人様。そんな御主人様との生活は、きっとキラキラと輝く素敵な未来になるだろうと感じています。私達兄妹は奴隷に堕ちてしまいましたが、どうしてでしょう。これまでよりももっと幸せになれるような気がするのです。奴隷になったのは人生の終わりではなく、きっと私達にとっての始まりなのでしょう。
私達兄妹の第二の人生は今日から始まったのです。
「ホクトー!もっと豪快に飲めよ!」
「ゲホッ。ゴホッゴホ。…むせる」
「お兄ちゃん!本当に止めてよ!怒るよ!?」
まずは素晴らしい御主人様に愛想を尽かされないように失礼な兄を調教しないといけませんね。
もしも兄が御主人様に売られるとしても、もう私はついて行きませんからね!