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第7章: 「あなたに生きていてほしいから、私、もう傍にはいられない」

 夜明け前の街を、二つの影が駆け抜けていく。


「こっちよ!」


 奏歌が月詠の手を引いて路地に滑り込む。息を切らしながら、二人は壁に背を預ける。


「大丈夫?」


 奏歌の心配そうな声に、月詠は小さく頷く。しかし、その顔は蒼白で、額には汗が浮かんでいた。


「少し、休みましょう」


 路地の奥まで進み、奏歌は月詠を優しく壁際に座らせる。銀色の髪が月詠の頬を撫でる。その柔らかな感触に、月詠は目を伏せた。


「ごめんなさい……私のせいで……」


「違うわ。私が選んだ道よ」


 奏歌は月詠の隣に腰を下ろし、その肩を抱き寄せる。震える体を感じ、奏歌の眉間に皺が寄る。


「熱が……」


 額に触れた指先が、火傷しそうなほどの熱を感じ取る。


「まだ術者を撒けたわけじゃない。このままじゃいずれ……」


 奏歌の声が途切れる。月明かりに照らされた横顔に、決意の色が浮かぶ。


「月詠、聞いて。今から私の力を、分けてあげる」


「え?」


「霊翼の共鳴を利用して、私の生命力を月詠に」


 その言葉の意味を理解した瞬間、月詠は奏歌から身を離した。


「そんなことしたら……奏歌さんは……?」


 必死の形相で、月詠は叫ぶ。


「だって、それは……」


 図書館で見つけた古い文献を、月詠は思い出していた。霊翼の力を分け与えることは可能だが、それは与える側の生命力を大きく消耗させる。最悪の場合、死に至ることもある。


「いいの。私は……月詠さえ無事なら」


「だめ!」


 月詠の声が、夜の静けさを破る。


「もう誰も……私のせいで傷つけたくない……!」


 震える声。由紀との事故の記憶が、鮮明に蘇る。


「特に、奏歌さんは……」


 言葉が詰まる。喉の奥が熱く、視界が潤んでくる。


「だって、私……」


 月詠の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。


「奏歌さんのことが……大好きだから!」


 告白のような懺悔のような言葉に、奏歌の瞳が広がる。


「月詠……」


 差し出された手が、月詠の頬の涙を優しく拭う。


「私も……月詠のことが」


 その時、背後から物音が聞こえた。


「見つけたわ」


 施設の術者たちの気配。黒い影が、路地を包み込んでいく。


「……行かなきゃ」


 月詠が立ち上がろうとして、よろめく。


「だめよ。月詠、このままじゃ……!」


 奏歌が月詠を支える。その腕の中で、月詠は静かに首を振る。


「ごめんなさい……でも、これが私の選んだ道……」


「え?」


 一瞬の隙を突いて、月詠は奏歌の腕から抜け出した。


「あなたに生きていてほしいから、私、もう傍にはいられない……」


 月詠の背中から、青い光が溢れ出す。しかしそれは、制御を失いかけた不安定な輝き。


「月詠、やめて! 今の状態で翼を使ったら……!」


 奏歌の必死の声が届く。でも、もう決めていた。


「さようなら……大好きな人」


 最後の言葉と共に、月詠の翼が光を放つ。まばゆい閃光が路地を包み、奏歌の視界を奪う。


「月詠!」


 光が消えた時、そこに月詠の姿はなかった。


 残されたのは、路地に転がる星型のヘアピン。

 そして、奏歌の耳に残る最後の言葉。


 銀髪の少女は、ゆっくりとそのピンを拾い上げる。

 震える指で、胸に押し当てる。


「どうして……私のために、そこまで」


 月明かりの下、奏歌の頬を一筋の涙が伝う。


 夜が明けても、雲が空を覆い続けていた。奏歌は街を歩き回る。行き交う人々の中に、あの黒い髪の少女の姿を探して。


「月詠……どこ?」


 すれ違う制服姿の女子生徒たち。けれど、その中に月詠の姿はない。


 ポケットの中の星型ヘアピンが、奏歌の心を重くする。デートの日、月詠の黒髪に優しく留めてあげた時の手触りを、まだ指先が覚えている。


(あの時の笑顔が、こんなに切なくなるなんて)


 思い返せば、月詠の仕草の一つひとつが愛おしく感じられる。教室で目が合った時の慌てようも、屋上で頬を染める姿も、戦いの中で見せる凛とした表情も。


「私が守ると約束したのに……」


 空が低く垂れ込めてきた。小雨が、奏歌の銀髪を濡らしていく。


 ふと、足が止まる。

 目の前には、二人がよく寄り道した公園。

 雨に濡れたブランコが、寂しげに揺れていた。


「ねぇ、月詠、覚えてる?」


 独り言のように、奏歌は呟く。


「ここで初めて、月詠が私に笑顔を見せてくれた大切な場所」


 放課後、何気なく寄った公園で、奏歌がブランコを強く漕いだ時のこと。スカートが風になびいて慌てふためいた姿が、月詠の緊張を解きほぐした。


「あの時の笑い声が、風鈴みたいに綺麗で……」


 思い出が、胸を締め付ける。


 突然、周囲の空気が凍りつく。黒い影が、公園を包み込んでいく。


「また術者たち……私じゃなくて、月詠を追ってるのね」


 奏歌の背中から、純白の翼が広がる。


「教えてちょうだい。月詠は、今、どこに?」


 闇の中から、術者の一人が姿を現す。黒いローブに身を包んだ少女。


「天音奏歌。貴女を始末する」


「ええ、そうでしょうね。でも……」


 奏歌は、術者の少女をまっすぐに見つめる。


「あなたたちだって、本当は分かってるはず。私たちが道具じゃないってことを」


「黙りなさい!」


 術者の少女の背からも、灰色の翼が現れる。その輝きは、どこか濁っていた。


「私たちに、選択肢なんてないわ。あるのは……ただ、あの方に従うことだけ」


 その言葉に、奏歌の胸が痛む。かつての自分の姿を、その少女の中に見たから。


「違うわ。私たちには、選べる未来がある」


 奏歌の翼が、より強く輝きを放つ。


「月詠が教えてくれた。この翼は、誰かを守るためのものだって」


 純白の光が、黒い影を押し返していく。


「お願い。月詠の居場所を教えて」


 懇願するような声。


「彼女は……私が守らなきゃいけない人だから」


 術者の少女が、僅かに表情を和らげる。


「霊翼が暴走を始めた者を、放っておくわけにはいかないわ」


「……」


「ええ。あの子の力は、もう制御不能……最悪の場合、街ごと消し飛ぶわ」


 その言葉に、奏歌の顔から血の気が引く。


「月詠はもうそんなところまで……」


「そう、由紀さんの時と同じ。でも今度は、規模が桁違いよ」


 由紀の名前に、奏歌は息を飲む。月詠がずっと抱えていた痛みを、改めて実感する。


「私が……私の力で、なんとか……!」


「無駄よ。もう手遅れ。施設は、彼女の無力化を決定した」


 術者の言葉が、冷たく響く。


「無力化って……月詠を、殺すってこと?」


「他に方法はないわ。これ以上の犠牲者を出さないため」


 奏歌の全身が震え始める。

 怒りか、恐れか、それとも悲しみか。

 様々な感情が、全身を駆け巡る。


「そんなの……絶対に許さない」


 純白の翼が、より強く光を放つ。


「だって私は……」


 月詠の笑顔が、瞼の裏に浮かぶ。


「あの子を愛してるから!」


 術者の少女の灰色の翼が、黒い雨に濡れて重そうに垂れ下がっていた。


「愛? そんなくそみたいな感情が、何になるというの」


 嘲るような声音。しかし、その瞳の奥に僅かな揺らぎを、奏歌は見逃さなかった。


「あなたにも、大切な人がいるでしょう?」


 その言葉に、術者の少女の体が強張る。


「昔、施設に連れて来られる前……守りたい人が、いたはず」


「黙れ!」


 術者の叫びと共に、黒い影が奏歌に襲いかかる。だが、純白の翼がその全てを弾き返す。


「私ね、月詠と出会うまで、自分の心なんて持っていなかった」


 奏歌は静かに語り始める。


「でも、あの子は教えてくれた。この翼の本当の意味を」


 雨の中、純白の光が温かく灯る。


「誰かを想う心があるから、この翼は輝けるの」


 その瞬間、術者の少女の灰色の翼が、かすかに明るみを帯びる。


「私も……昔は……」


 術者の声が、震え始める。


「妹を、守りたかった」


 灰色の翼が、少しずつ元の白さを取り戻していく。


「でも、施設は……私から、その想いさえ」


 術者の膝が折れる。奏歌は駆け寄り、その肩を支える。


「まだ遅くないわ」


 微笑みながら、奏歌は言う。


「私たちは、誰かの道具じゃない。自分の心で、自分の翼で、大切な人を守れる」


 雨の音が遠のいていく。

 空に、一筋の光が差し込んでいた。


「月詠は……」


 術者は、ゆっくりと顔を上げる。


「廃工場地帯。古い浄水施設の跡……そこにいる……」


 言葉を紡ぐ声は、もう冷たくはなかった。


「ありがとう」


 奏歌が駆け出そうとした時、術者が最後の言葉を投げかける。


「本当に、守れるのか? あの子を暴走から」


 立ち止まった奏歌の背中から、より強い光が溢れ出る。


「ええ。例え、この命と引き換えにでも」


「そんな覚悟は……彼女が望まないわ」


「知ってる」


 奏歌は振り返り、優しく微笑む。


「でも、それが私の選んだ道だから」


 純白の翼が大きく広がる。


「月詠が教えてくれたの。誰かを想う気持ちは、決して間違いじゃないって」


 雨上がりの空に、一羽の白い鳥が舞い上がるように、奏歌の姿が消えていく。


 取り残された術者の少女は、自分の翼を見つめる。

 灰色から、少しずつ白さを取り戻していく羽。

 その変化は、まるで凍てついた心が溶けていくようだった。


「愛……か……私も愚かになったもんだわ……」


 小さな呟きが、風に乗って消えていく。


 一方、奏歌は全速で廃工場地帯に向かっていた。

 ポケットの中の星型のヘアピンを強く握りしめながら。


(待っていて、月詠)


 空に浮かぶ入道雲が、まるで大きな翼のような形を描いていた。


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