表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/12

第6章: 「うん……私たちの翼は、私たちのもの……」

 月光が薄い雲に遮られ、揺らめく影を落としている。月詠は自室のベッドで、膝を抱えたまま窓の外を見つめていた。


「奏歌さん……」


 その名を呟くだけで、胸が締め付けられる。昨日までの楽しかった時間が、まるで遠い夢のように感じられた。


 机の上には、デートで買った星型のヘアピンが置かれている。手に取ろうとして、月詠は指を止めた。


(触れたら、また……)


 思い出が溢れ出してきそうで怖かった。銀色の髪に星を留める奏歌の仕草。くるりと回って「似合う?」と笑顔で尋ねる姿。全てが愛おしく、そして痛々しい。


 時計の針が、深夜零時を指す。


「奏歌さん……本当は……私のこと……どう想ってるんだろう……? ただの監視対象……? それとも……」


 問いかけに、答えは返ってこない。ただ、背中の痛みだけが増していく。


 突然、スマホが震える。画面に表示された名前に、月詠は息を飲んだ。


「奏歌、さん……」


 受話器を手に取る指が、震えている。迷った末に、月詠は通話ボタンを押した。


「月詠? 今日はごめんね」


 受話器越しの声は、か細く震えていた。いつもの凛とした様子は微塵もない。


「私……今、学校にいるの」


「え?」


「どうしても月詠に会いたくて……屋上で待ってる」


 切実な声音に、月詠の心が揺れる。


「でも……」


「お願い。たった一度だけでもいい。ちゃんと月詠のを見て話がしたいの」


 言葉の向こうで、風の音が聞こえた。


「あの……屋上……寒くない……ですか……?」


 思わずそう尋ねる自分に、月詠は苦笑する。相手を気遣う自分の心が、まだ奏歌に向いていることを感じて。


「ううん、平気。月詠の声が聞けて、少し温かくなったわ」


 その言葉に、月詠の頬が熱くなる。


「……行きます……」


 答える声は小さかったが、確かな意志が込められていた。


 夜の校舎は、不気味なほど静まり返っている。月詠の足音だけが、空っぽの廊下に響く。


 屋上のドアを開けると、そこには月明かりに照らされた奏歌の姿があった。制服姿の背中が、何故か寂しげに見えた。


「来てくれたのね」


 振り向く奏歌の瞳が、潤んでいる。


「月詠……私……」


 一歩近づこうとした瞬間、月詠の背中が激しく疼いた。


「っ!」


 よろめく月詠を、奏歌が支えようと駆け寄る。でも月詠は、その手を払いのけた。


「近づいちゃダメ!」


 叫び声が、夜空に響く。


「このままだと……私の力が……また、奏歌さんを傷つけてしまう……」


 震える声で、月詠は言った。奏歌の瞳が、深い悲しみの色を帯びる。


「月詠……、聞いて」


 奏歌が、ゆっくりと話し始めた。


「私が特務員になったのは、自分の意思じゃないの」


 月明かりの下、銀色の髪が風に揺れる。


「施設に保護された時から、ずっと……私は誰かを監視する道具だった……」


 その告白に、月詠は息を飲む。


「でも、月詠と出会って、初めて……私は私の意思で、誰かを大切に想えた」


 奏歌の声が、感情を帯びていく。


「だから……だから私……!」


 突然、あたりに禍々しい夜気が漂ってきた。二人の周りの空気が、一瞬で凍り付く。


「また……来たわ」


 奏歌の声が、凛として響く。


 空が黒く染まっていく。無数の禍つ影が、渦を巻いている。


「これは……もしかして……奏歌さんの、施設の……」


「ええ、私への最後通告よ」


 奏歌が、月詠の前に立ちはだかる。


「暴走する月詠を守るなら、裏切り者として処分する……そう言われていたの……」


 その瞬間、白い光が奏歌の背から広がった。純白の翼が、月明かりに輝く。


「でも、もういいの」


 決意に満ちた声。


「私は月詠を守りたいから。私は、私の翼は、もう二度と誰かの道具になんてならない!」


 叫びとともに、奏歌の翼が大きく広がる。その姿は、まるで月光に輝く天使のようだった。


(この人は……本当に……)


 月詠の胸の奥で、何かが震える。


 黒い影が、奏歌の周りを取り囲んでいく。それは通常の禍つ影とは異なり、より濃密で、意思を持ったような動きを見せていた。


「くっ……。術者の数が、いつもより多いわね」


 奏歌が呟く声には、緊張が滲んでいた。


「術者?」


「ええ。施設が送り込んだ特務員たち。私と同じ、道具にされた可哀想な子たち……」


 その言葉に、月詠の心が痛む。奏歌は今、かつての仲間たちと戦おうとしているのだ。


「大丈夫。私一人でも、なんとかできるから……!」


 奏歌の翼が光を放つ。しかし、黒い影はその光をも飲み込むように、じわじわと近づいてくる。


「奏歌さん!」


 月詠が叫んだ瞬間、背中から青い光が漏れ出す。激しい痛みと共に、制御を失いかけた力が溢れ出してくる。


「月詠、無理しないで!」


 奏歌の声が届く。でも、もう止められない。


「由紀の時みたいに……また……!」


 パニックに陥る月詠。視界が歪み始める。


 その時、温かな手が、月詠の頬に触れた。


「大丈夫」


 目の前に、奏歌の優しい瞳があった。


「今度は違うって言ったでしょ。だって私が、ここにいるもの」


 その言葉が、月詠の心を静かに包み込む。


「私ね、月詠の翼を見た時、とても綺麗だって思ったの」


 奏歌の声が、心に染み込んでくる。


「青く輝く翼。まるで、夜明けの空みたい。希望の色」


 ゆっくりと、奏歌が月詠を抱きしめる。


「だから……信じて。あなたの力を。あなたの心を」


 その瞬間、月詠の背中から溢れ出る光が変化した。狂おしいほどの痛みは消え、代わりに穏やかな温かさが広がっていく。


「これは……」


 月詠の背から、青い翼が現れる。それは、静かに、優しく輝いていた。


「綺麗……」


 奏歌の目が、感動に潤む。


「月詠の本当の翼」


 白と青の光が交差する。二人の翼が呼応するように、輝きを増していく。


「私たち、逃げないわ」


 奏歌が月詠の手を取る。


「もう、誰の道具にもならない。誰かを傷つける道具になんて、絶対に」


 強く握り返す月詠。


「うん……私たちの翼は、私たちのもの……」


 その瞬間、黒い影が一斉に襲いかかってきた。しかし、二人の翼から放たれる光は、その闇をも照らし始める。


 月明かりの下、白と青の光が、夜空に新しい夜明けを描き始めていた。


 だが、それは始まりに過ぎなかった。二人の前には、まだ長い戦いが待っている。施設との、そして自分たち自身との。


 でも、もう迷わない。

 この手の温もりと、この翼の輝きが、道標になるから。


「行きましょう、月詠」


「うん……どこまでも、一緒に」


 二つの光が、闇を切り裂き始めた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ