第2章: 「私たちにしか見えない。そして、私たちにしか倒せない」
朝の教室に、ざわめきが広がっていた。
「ねぇ、見た? 転校してきた子、すっごく可愛いよね」
「あの銀髪、本当に染めてないんだって!」
「でも何か、近寄りがたい雰囲気あるよね……」
月詠は机に向かったまま、そっと耳を澄ませる。昨日出会った銀髪の少女のことを、クラスメイトたちが興奮気味に話している。
教室の扉が開く音がした。ざわめきが一瞬で静まり返る。
「おはよう」
天音奏歌の声が、朝の教室に響く。まるで透明な風鈴の音色のように、澄んでいて、どこか儚い。
月詠は思わず顔を上げた。そこには昨日と同じ、優雅な佇まいの少女が立っていた。朝日に照らされた銀髪が、より一層神々しく輝いている。
奏歌はまっすぐに月詠の方へ歩み寄ってきた。
「おはよう、月詠」
クラスメイトたちの視線が、一斉に月詠に注がれる。昨日までは誰からも無視されていた、まるで路傍の石のような存在。その彼女に、美しい転校生が親しげに話しかけている。
「お、おはよう……ございます……」
月詠の返事は、ほとんど囁くように小さかった。
奏歌は微笑むと、月詠の隣の席に着いた。制服の襟元を整える仕草が、どことなく上品で、月詠は思わずその手の動きを目で追ってしまう。
「あの、昨日は……ありがとう……ございます……」
月詠が小さな声で話しかける。
「何が?」
奏歌は不思議そうに首を傾げた。その仕草がやけに愛らしく、月詠は一瞬、言葉を忘れてしまう。
「その……話しかけてくれて」
「ふふ、気にしないで。私が話したくなっただけだから」
奏歌の笑顔に、月詠は胸が少し温かくなるのを感じた。
授業が始まり、教室は静かになる。黒板に向かって先生が何かを説明しているが、月詠の意識は隣の席に居る少女に引き寄せられていた。
銀色の髪が、時折風に揺れる。真っ直ぐにノートを取る姿。時々、何かを考えるように鉛筆を転がす指先。全てが絵のように美しい。
(私……見つめすぎじゃ……ないかな……)
そう思った瞬間、奏歌が月詠の方を向いた。視線が重なり、月詠は慌てて前を向く。頬が熱くなるのを自覚する。
奏歌からメモが差し出される。
『お昼、一緒に食べない?』
きれいな字で書かれた言葉に、月詠は戸惑う。由紀以来、誰かと昼食を共にしたことはなかった。
躊躇う月詠に、奏歌は再び微笑みかける。その表情には、どこか懇願するような、でいて押しつけがましくない優しさがあった。
月詠はゆっくりと頷く。
休み時間、二人は屋上へと向かった。人目を避けるように、月詠が案内した場所だ。
春風が二人の間を通り抜けていく。
「ここ、静かね」
奏歌は柵に寄りかかり、遠くを見つめた。スカートが風になびき、銀髪が春の空に溶けていくように揺れる。
「ここなら……誰も来ないから……」
月詠は小さく呟いた。
「そう……でも、今日からは二人の場所ね」
奏歌の言葉に、月詠は驚いて顔を上げる。そこには、優しく微笑む横顔があった。
「私ね、月詠のこと、ずっと気になってたの」
突然の告白に、月詠の心臓が跳ねる。
「この学校に来る前からね」
「え?」
奏歌の声が、風に乗って響く。
「だって、私と同じ……翼を持つ人だもの」
その言葉に、月詠の背中が震える。昨日感じた共鳴が、確かな事実として語られる。
「あなたも……霊翼を?」
「ええ。でも私の場合は……」
奏歌が言葉を切った瞬間、警報が鳴り響いた。けたたましいサイレンの音が、校内に轟く。
二人は同時に空を見上げた。そこには、黒い影が渦を巻いていた。
「来たわ」
奏歌の声が、急に凛として響く。
「月詠、あなたにも見える? あの『禍つ影』が」
問いかけに、月詠は無言で頷く。黒い渦の中心で蠢くそれは、確かに月詠にも見えていた。普通の人には見えないはずの、異形の存在を。
「私たちにしか見えない。そして、私たちにしか倒せない」
奏歌の背中から、純白の翼が広がる。光り輝く羽が、春の空に舞い上がる。
「月詠、お願い。一緒に来て」
差し出された手に、月詠は震える指で触れた。




