第11章: 「だって、もっと大切なものを見つけられたから」
朝もやの中、病院の窓から差し込む光が、白いカーテンを淡く染めていた。
「んっ……」
月詠は、ゆっくりと目を開ける。真っ白な天井。消毒液の香り。そして、ベッドの横で眠っている銀色の髪の少女。
「奏歌……さん」
呼びかけた声は、か細く震えていた。その声に反応して、奏歌がゆっくりと目を開く。
「月詠……!」
目が合った瞬間、奏歌は月詠に抱きついた。柔らかな銀髪が、月詠の頬を優しく撫でる。
「よかった……本当に、よかった」
奏歌の声が震えている。その腕の中で、月詠は不思議な感覚に包まれていた。何かが、決定的に変わってしまった気がする。
「私の……背中」
月詠が呟くと、奏歌はゆっくりと顔を上げた。その瞳に、深い理解の色が浮かぶ。
「ええ、私も。もう、翼の気配は感じない」
その言葉に、月詠は静かに目を閉じる。あの決戦の代償として、二人は霊翼の力を失ったのだ。
「でも……不思議と、寂しくないの」
奏歌の声が、柔らかく響く。
「だって、もっと大切なものを見つけられたから」
その言葉に、月詠は思わず奏歌の顔を見上げた。ほんのりと頬を染めた奏歌の表情が、かつてないほど愛らしく見える。
「私も……」
月詠は奏歌の手を握る。温かい。生きている。それだけで、胸が熱くなる。
「奏歌さんがいてくれるだけで、十分」
その時、病室のドアがノックされた。
「入っていいかしら?」
見覚えのある声に、二人は顔を上げる。そこには千鶴が立っていた。
千鶴は静かに病室に入り、窓際の椅子に腰掛ける。長い黒髪が朝日に照らされ、由紀との面影がより一層強く感じられた。
「お見舞いに来たの。それと……月詠ちゃんに伝えたいことがあって」
その声に、月詠は思わず背筋を伸ばす。奏歌は月詠の手をそっと握り、安心させるように微笑みかける。その仕草に、月詠は小さく頷いた。
「由紀のこと……覚えてる? あの子が最後に着ていた服」
月詠の瞳が、わずかに揺れる。
「白の……ワンピース」
「ええ。由紀が大切にしていた服。月詠ちゃんと一緒に買いに行った思い出の服」
千鶴の声が、懐かしさを帯びる。
「実は、由紀の遺品整理をしていて、これを見つけたの」
千鶴が取り出したのは、一通の手紙。少し黄ばんだ封筒に、月詠の名前が書かれていた。由紀の文字だった。
「これ……」
「事故の前日に書かれたものみたい」
震える手で、月詠は封筒を受け取る。奏歌が寄り添うように、月詠の肩に手を置く。
「読んでみて」
千鶴の優しい声に促され、月詠は封を切った。
「月詠ちゃんへ。
ごめんね。私、ずっと嘘をついていた。
施設から、月詠ちゃんを実験台にするように言われていたの。
でも、私にはそんなこと、できなかった。
だって、月詠ちゃんは私の大切な友達だから。
きっと明日、全てが終わる。
私の選択が、正しいものであってほしい。
月詠ちゃんの優しさを、私は一生忘れない。
だから……幸せになってね。
由紀より」
文字が涙で滲んでいく。
「由紀ちゃん……」
月詠の肩が、小刻みに震え始める。奏歌は黙って、その体を優しく抱きしめた。
「私のせいで……私のせいで由紀ちゃんが……」
「違うのよ」
千鶴が静かに言う。
「由紀は、自分で選んだの。あなたを守ることを」
その言葉に、月詠の中で何かが崩れていく。長年背負ってきた罪の重さが、少しずつ形を変えていく。
月詠の頬を伝う涙を、奏歌が優しく拭う。その指先の温もりに、月詠は心が揺れるのを感じた。
「由紀は最後まで、月詠ちゃんのことを想ってた」
千鶴の声が、静かに続く。
「だから私も、もう分かったわ。あなたを責める必要なんてなかったって」
その言葉に、月詠の胸の奥で長年凍りついていた何かが、ゆっくりと溶けていくような感覚があった。
「由紀ちゃん……私……」
「月詠」
奏歌が、そっと月詠の頬に触れる。
「由紀さんの想いは、ちゃんと月詠に届いてたのよ」
銀色の髪が月の光のように揺らめき、その瞳には深い愛情が宿っていた。
「だって、あなたは誰より優しい人だもの」
奏歌の言葉が、月詠の心に染み込んでいく。
「私は……幸せになっても、いいの?」
震える声で、月詠が問いかける。
「ええ」
奏歌が、迷いのない声で答える。
「由紀さんも、そう願ってるはず」
千鶴が立ち上がり、窓際まで歩む。朝日が彼女の横顔を優しく照らしていた。
「月詠ちゃん、これからは……」
千鶴が振り返り、柔らかな笑顔を見せる。
「由紀の分まで、幸せになってあげて」
その言葉に、月詠は奏歌の手をより強く握る。
「翼は失ったけど」
月詠の声が、少しずつ強さを取り戻していく。
「大切なものを、見つけられた」
隣で微笑む奏歌の姿。温かな手のぬくもり。そして、由紀からの最後の手紙。
全てが、新しい始まりを告げているようだった。
「じゃあ、私はこれで」
千鶴が病室を後にしようとする時、月詠が声をかけた。
「千鶴さん! 由紀ちゃんの……お墓参り、行ってもいいですか?」
その言葉に、千鶴は優しく微笑んだ。
「ええ、もちろん」
ドアが静かに閉まり、病室には月詠と奏歌が残された。
「奏歌さん」
「なあに?」
「これから先も……一緒にいてくれる?」
その問いかけに、奏歌は月詠の額に優しくキスをした。
「当たり前じゃない」
柔らかな陽の光が、二人を包み込んでいく。
それは、新しい物語の始まりを告げるようだった。




