力の差
人を助けるなんて言う事は俺の人生における経験には存在しなかった。
これは俺が薄情であると自白しているわけではなく。
ただ、単純な話人生ソロ攻略勢の俺にとっては、助けるまでに至る交友関係もなかったし、見ず知らずの人を助けるような場面に出くわすことはなかったのだ。
故に、俺が人を助けるシチュエーションが存在するとは思っていなかった。
それこそ、ダンジョンで凶悪な魔物に襲われている人などいなければ。
ただ、今日偶々それは起こり、俺は居合わせた。
その結果、俺は人生初の人助けと言うものをした。
いや、まだそれは完遂してはいない。
気を緩めることは許されなかった。
目の前にいるのは赤い狼。
骨を鎧のように身に着けた姿はなんとも不気味だ。
とは言え、今使用したスキルによって、数歩であるが後退させることは出来た。
俺は視界にそれを収めながら、襲われそうになっていた女の人へと近づいた。
「大丈夫ですか」
そんな言葉を述べてみる。
こんな時に掛ける言葉などこれくらいしか知らない。
ただ、呆けた様子を見せる女の人は微かに声を洩らした。
「あ……ぁありがとうございます」
何とか絞り出したような声音ではあったが俺の耳には届いた。
そうして、俺は彼女を守るようにして魔物を見据えた。
「───」
それは息を洩らした。
それだけで俺は体を震わせる。
圧倒的な力を備えている。
俺には力量を測る力はないが、それでもそう思った。
ただ、次の行動にどう出るか考えていると、女の人は言う。
「に、げてください。いくらあなたでもアレの相手は難しい」
俺を知っているのだろうか。
そんなことを思わせる言動に俺は考える。
「あれは【遺骨拾い】。46階層の探索者でも手に負えない魔物です」
つまり、少し戦える程度の俺では対処は困難であると。
彼女はそう言っている。
俺だってそれは分かっている。
だが、どうするべきか。
今現在俺は配信をしていない。
故に、これが外部に流出することはなく、通報は自発的に行わなければならない。
ここに配信をせずに踏み込んだ理由は、新たなダンジョンとしてここを見据えていたが、前回に引き続きまたも初めからとなれば、視聴者さんは見るのがつらいだろうと考えた上での行動だった。
つまり、このダンジョンの32階層まで進み、次回の配信ではその続きから始めるのだ。
そんなことを考えていたばかりに今回の事だ。
なんともタイミングが悪い。
いや、俺が焦ってそのまま飛び出したことも原因の一つではあるのだが。
「…………取りあえず、貴方が先に逃げてください。俺はここで足止めします」
いろいろ考えた末に俺はそう言った。
通報はもうしている。
ならばあとは時間を稼ぐだけ。
そして戦闘が始まれば、人を庇いながら戦えるほどの力量は俺にはない。
それ故に、まずはこの人に逃げてもらえた方がありがたい。
「でも……いえ、分かりました」
女の人は食い下がろうとした気配を見せつつも、そのまま身を引いた。
それに内心お礼を言いながら牛規を構えた。
◆
ダンジョン内で遭遇した【遺骨拾い】に攻撃されそうになっていた時、絶対絶命のピンチを救ってくれたのは、自身も知る配信者『花火』であった。
ただ、そんなことに胸を降ろす暇もなく彼女は転移陣へと走った。
あそこに居ても邪魔になることくらい彼女にでもわかる。
いくら今日16層まで到達したと言っても、協会職員としての知識があってこそ。
それに、10階層までは協会の研修の内に含まれた項目であるため、実際のところ一階層からの攻略ではなかったのだ。
そんな自分が、いては上手く動けない。
そう思い離脱をした。
転移陣という便利な機能に感謝しながらも彼女は走った。
◆
さて、取り敢えず女の人は逃したが、俺はどうやってコイツを足止めするべきか。
目の前には赤い獣。
その体は大きくとも通常より身体の範疇。
だが、それから放たれる威圧は波湯ダンジョン30階層に住まう怪物、流塊剣を凌駕していた。
これに警戒しない道理はない。
牛規を構えて無言の攻防が始まる。
いつ動くか。
どちらが先手を取り、どちらが後手に回るか。
あるいはどちらが先に動かされて、どちらがその隙をつくのか。
「っ!?」
いいや違った。
攻防など出来ていない。
成立していない。
俺とコイツにはそれほどの力の差があった。
故に、一瞬の攻撃で吹っ飛ばされることも必然だった。
「かはっ!?」
壁に背中をぶつける事で肺の中の空気が押し出される。
だが、むせ込んでいる暇などない。
次が来る。
瞬間、視界が燃えた。
視界が燃えて、焼き焦げる前に俺は爆弾で自身を吹っ飛ばした。
それでも熱は十分に伝わったのか、火傷をした手はひどく痛む。
「早速使うことになるとは……」
30階層でボスと呼称される流塊剣のドロップアイテムは伊達ではないのか、高値で取引できた。
そのため、入った資金で俺はとある物を買っていた。
俺は試験管の様な容器に入ったソレを自身の腕に振りかけた。
ポーションである。
ポーションと言えば俺が性転換する時に偽物を飲まされた事はまだよく覚えている。
だが、今回は本物。
故にその効果は身体の治癒。
俺の負った火傷は段々と赤みをひかせて消滅した。
わざわざ魔物がこれを待つのはどう言うためか。
ただ、その幸運に感謝しつつ、俺は再び短刀を構えた。
「仕切り直しだ」
地面を蹴った。
まずは近づかなければ始まらない。
攻撃が通る通らないはその後の話なのだ。
だが、相対する遺骨拾いも、此方の阻止に動いていた。
ここで、スキルを使い身体を無理にコイツの視界から外させると言う方法もあるがそれは出来ないと一瞬のうちに判断した。
理由は単純な俺の耐久力の問題。
実際のところ爆弾で吹っ飛ばすと言う戦法は多く使っている。
だが、それに対して身体への負担がゼロなわけがない。
故に多様は出来ない。
使うのはそれこそ先ほどのような緊急回避のためくらいだろう。
だから、俺の取った行動は面白みも何もなく、ただ、刃を突きつけるだけだった。
ならば、相手はどう出るだろうか。
そんなの決まっている。
正面から来るのならスキルで焼き殺せばいい。
初めてちゃんと目視した。
奴のスキルを使う瞬間を。
鎧を着込む様にして身につけられた骨の一本が黒く染まる。
そして、それが発動に起因しているのか、灼熱は現れる。
だが、そんな事はわかっている。
だからこそ俺は投げていた。
奴の背後には半透明の球体。
それが光を放った。
至近距離での爆発は相当な威力だろう。
だが、そいつは身体を僅かによろめかせただけだった。
それだけだ。
手加減したわけではない。
だがそれでも、結果はこの程度。
ただ、それで十分だった。
身体がよろけるだけで、僅かな隙を生む。
その隙めがけて短刀を振り下ろした。
「ッ!」
だが、やはり硬い。
強いと呼ばれているのならそりゃあ耐久力だって高い。
そんなことは当たり前だと言うかの様に、その傷は浅かった。
しかし、放心している俺ではない。
すぐに次の行動へと移る。
跳躍して、その場から離れるとこで攻撃を回避して、さらに短刀で切り裂かんと腕を振る。
だが、それは防がれ、後退を余儀なくされた。
「…………」
どうすればいい?
いや、俺はこれを倒す必要はないのだ。
時間稼ぎであれば、今ので十分。
なんなら、先ほどの彼女が転移陣まで到達していれば、逃げるだけでいい。
それだけでいいのだ。
俺はなにも戦闘狂ではない。
強い奴と戦いたいなんて理想は持っていない。
だから、別にここで逃げることに対して何か特別な感情を抱く事はない。
だが、それでも、負けるのは嫌のだ。
やっと、見つけたやりたい事。
それくらいは負けたくない。
そんな思いを抱いていた。
だから、短刀を構えていた。
そしてもう一度動こうとした時、俺はその場に踏みとどまった。
いや、その場にとどまったのは俺だけではない。
赤い狼もその身体を止めていた。
そして、見るのは俺の奥。
俺にはとうに興味を無くしたのか、こちらを見ていない。
それほどの者が俺の後ろにあるのか。
一体何が、いや、誰が。
そしてその疑問はすぐに解消することになる。
声が聞こえた。
知ってる声だった。
知っている声は、こういった。
「応援がきたぜ!」
聞いたことがあって、見たことがあって、それでも始めたあった彼女の名は。
「配信者フーカ。救助任務にて参上!」
配信者「フーカ」。
俺が性転換するよりもっと前から、ダンジョン配信で活躍する少女だった。