89. 死にたくなければ、殺すしかない
(SIDE:第三皇子エリアス)
固く閉ざされた『皇后の間』。
音を遮るため、壁には厚い絨毯が掛けられており、窓という窓は締め切られ、厚いカーテンで覆われている。
「お前は一体、何をしているのッ!」
「入国記録は確認済みです。証跡が消えたのは、ジャノバ以降です」
「なぜ、この期に及んで大公女が出てくるのよ!? 急きょ推挙した偽物じゃなかったの!?」
――主だった、前皇后を偲びたい。
現皇后たっての願いにより、亡くなった当時のまま残されているこの部屋で、銅製の香炉が宙を舞った。
避ければさらに怒りを誘うし、かといって直撃すればそれなりに怪我をする。
わずかに身を逸らして肩で受けたものの、皇后の怒りが収まる様子はなかった。
「だからって、よりによって選定式に……!!」
「ファゴル大公国にも確認が取れ、許可も得ているとのこと」
牽制目的で候補に立てた軍部高官の娘は、使い物にならなかった。
ミランダとのお茶会以降、部屋に籠もり侍女すら寄せ付けず、食事も喉を通らないと聞いている。
「美しく、権力者に媚びへつらうことに長けている。ファゴル大公が頭を悩ませるのも無理はない、品のない大公女でした」
「そんな女が皇太子妃に? 高貴な生まれというだけで我が物顔に振る舞って、何て図々しいのかしら」
「ミランダに関わる悪評が真実であれば、今すぐにでも候補の座を下ろせるのですが……」
ただでさえ情報が入らない帝国では、確たる証拠も掴めない。
謁見前に何とかして、候補の座から引きずり下ろしたい。
非公式で設けた会食では、当たり前のようにセトの腕に収まり、我が物顔で振る舞っていた。
「侍女上がりと笑われ、見下され、それでも! すべてを飲み込んできたのよ!?」
「ですがファゴル大公国は強国の一つ。その大公女ともなれば、後ろ盾としては十分です」
「お前が、敗戦などするから……ッ!!」
皇后にまでのぼりつめたとはいえ、もとは侍女という身分の低さ。
ガルージャと手を組み、攻め入ったグランガルド戦ではファゴル大公国に阻まれ、さらにはアルディリアまで援軍に駆け付けるという思いもよらぬ事態だった。
戦功をあげることはできず、味方につけた有力貴族が離れていく。
何としてでも皇帝存命の間に、廃太子へ追い込みたかったのに。
「皇帝陛下の病は、重くなるばかりだというのに! このまま崩御などということになれば、皇帝の座が……!」
床に転がった香炉から灰が飛び散り、絨毯から甘くむせ返るような香りが漂っている。
長く権力の座についた皇后の顔は、かつて皇帝を篭絡したという美貌の面影もなく、権力欲と猜疑心に蝕まれ、醜く歪んでいた。
「誰もが心を奪われる美しさだと聞いているわ! 万が一、皇帝陛下が回復されても、目に留まるようなことがあれば」
自身だって媚びへつらい、皇后の座を得たのではなかったのか。
皇帝が死んでも、回復しても、どちらにしろ困ったことになりそうだ。
「……邪魔だわ」
「は?」
「目障りだと言っているのよ!」
常軌を逸したように室内を行ったり来たりしながら、ブツブツと独り言ちる皇后の声は震え、目が血走っている。
「謁見前に、始末しろと?」
「得られるはずだったファゴル大公国の後ろ盾を失い、仮に快癒した皇帝陛下が心を奪われることもない。いいことずくめよ」
皇帝になれなかった皇子の末路は、お前も知っているでしょう?
皇位争いに負けた皇子は、もれなく激戦地での最前線。
事実上の死刑宣告である。
「死にたくなければ、殺すしかないのよ」
相変わらず浅はかな女と蔑みながらも、ろくな後ろ盾もない侍女の身から皇后へと駆け上がったその狡猾さには、一目置かざるを得ない。
そうやって、生き残ってきたのだ。







