7.この扱いは、承服しかねます
(SIDE:ザハド)
『謁見の間』から戻るなり、クラウスに呼びつけられたグランガルドの宰相ザハドは、国王の執務室へと急いだ。
最初に謁見したジャゴニ首長国の王女は、継承権を持たない庶子であることが事前の調査報告で判明しており、宗主国の王を謀ったとしてクラウス自ら斬首した。本件に拘わる今後の対応については、明後日の王国軍事会議にて決定する見込みである。
なおミランダを含む他の王女らは、王宮内の一角に設けた居留区に身一つで押し込まれ、ザハドが手配した侍女達による監視のもと、その行動を逐一報告されることになっていた。
「ミランダ・ファゴルについての調査報告書はあがっているか?」
執務室に入るなり、クラウスから声がかかる。
大きな扉が開かれミランダが『謁見の間』に入ってきた時、これまで一度も女性に興味を示したことのなかったクラウスが、一瞬食い入るようにミランダを見つめたことにザハドは気付いていた。
自分の後継は『血ではなく能力のあるものが担えばよい』と、頑なに婚姻を拒んでいたクラウスだったが、呼びつけられた時点で嫌な予感はしていた。
「いえ、何しろ情報が多岐にわたり、所管部署での取りまとめに時間を要しているようです」
「……他の業務を中断しても構わん。詳細について最優先で報告しろ」
「承知いたしました」
嫌な予感が的中し、ザハドは内心舌打ちをする。
ファゴル大公国ならびにアルディリア王国に潜ませている諜報員から、ミランダについて報告が度々上がってきているため、ある程度の為人は把握していたが、さらに詳しく調査を進めたほうが良さそうだ。
「ただこれまでの報告では通り一遍の悪評しか上がってきていないため、情報統制が為されている可能性もあります」
「分かる限りで構わない」
いつもならもっと詰められる場面だが、今回は珍しく寛大な様子にザハドが首を捻ると、クラウスは机の引き出しから黒い小瓶を取り出した。
「これが何だか分かるか?」
「……いえ」
「アルディリアに潜ませていた者が、王妃の宝石箱からくすねた自白剤だ」
真偽のほどは本人に直接聞けばいいだろう? と、とんでもないことを言い出したクラウスに、ザハドは慌てふためいた。
「ですが自白剤は脳を麻痺させるため、生命に影響を及ぼしたり、廃人になる者もいると聞きます。質問方法によって回答が変わる可能性もあり、そもそも適切に使用することが難しかった記憶がありますが……」
故に国内での製造を中止し、現在は使われていないはずだったが。
「ファゴル大公国で開発された新薬だそうだ。人体への影響は最小限で副作用等もないと、アルディリア国王に嫁いだファゴルの第一大公女が極秘に持参したらしいが」
いかにも怪しげなその小瓶に、ザハドが目を向ける。
「あの醜聞がどこまで真実か、お前も興味があるだろう? どうだ? 使ってみるのも一興だとは思わないか?」
効果のほどは知らんがな、とクラウスが前置きした。
「いえ、まぁ……確かにそうですね。醜聞はあれど、どれも耳を疑うものばかりで……使ってみたい気もします」
クラウスが得意げに何かを見せる時は碌なことがないと相場が決まっているため、ザハドは慎重に答えた。
この後の調査結果次第だが、現時点では信憑性を欠く醜聞も多く、確かに可能ならば本人の口から真実を聞くのが一番手っ取り早い。
取り急ぎ追加調査を進めねばと、ザハドは短く溜息をついた。
***
それから数時間後。
ザハドは調査報告書を机に叩きつけ、頭を抱えていた。
「うぐぐ……流言飛語が多分にあるのではと期待していたのだが、まさかこれほどとは」
数々の醜聞が単なる噂であって欲しい。
そう思い追加調査を命じた結果、ちょっとした本になるくらい分厚い報告書が、僅か数時間で上がってきた。
姉妹への虐待に加え、実姉の輿入れ先であるアルディリア国王との醜聞。
グランガルド侵攻の発起人に、大公夫妻の殺人未遂。
さらに今回グランガルドに向かう途中でも、隊を二分し自分だけクルッセルに立ち寄っている。
手間のかかる宝飾品を短期間で作らせた挙げ句、職人達の仕事を中断させて、接待までさせていたらしい。
挙げれば枚挙にいとまがない。
何度見ても、どう贔屓目に見ても、卑劣・残虐・強欲、犯罪のオンパレードである。
(駄目だ、私にはどうすることもできない。やはりそのまま陛下に報告しよう)
必要であれば後見になることも考えていたが、この相手では……下手をすれば巻き添えを食って、侯爵家が潰れかねない。
(こんな悪女がグランガルドの王妃になった日には、国が亡びてしまう)
万が一の時は身命を賭して阻止する覚悟で、ザハドは固く拳を握りしめた。
緊張でカラカラになった喉を潤すため、珍しく気を利かせた侍従から果実水を受け取り一気に飲み干すと、決意を新たにクラウスのいる執務室へと急ぐ。
入室を許可され調査報告書を手渡すと、クラウスは静かに目を通した。
「水晶宮を与え、側妃として召し上げるつもりだが……お前はどう思う」
さすがに思い留まるだろうと期待をしていたところに突然問われ、ザハドは言葉を失う。
いつだって忠を尽くし、主君の命令を是としてきたザハドだが、今回ばかりはどう応えれば良いか判断がつかなかった。
血統的には何ら問題はないが、素行と性格に難がありすぎる。正妃どころか側妃すらいない現状で召し上げられ子を為せば、有力貴族達が後見の名乗りをあげることが目に見えており、今後内乱に発展する恐れすらある。
だが……。
『狂王』などと不名誉な二つ名を与えられながらも、彼がどれだけ国のために身を削ってきたかをザハドは知っている。
謁見を終えてからこれまで、何やら楽しそうなクラウスに、先程の決意が早くも揺らぐ。
「ザハドは、ミランダが側妃に相応しいと思うか?」
畳み掛けるように問われ、ザハドはついに決意を翻す。
やはり陛下にはお心のままに行動していただき、陰ながらお支えすることにしよう。
「陛下のご命令であれば……ん? んん、ん」
あの悪女には自分が絶えず目を光らせておけばきっと何とかなるだろうと口を開くが、なぜだか急に喉がつまったように声が出ない。
ごほ、ごほっと二回咳ばらいをし、少し喉のとおりが良くなったところでザハドは言葉を続けた。
「いえ、あの悪女めは陛下に相応しくありません。報告にございますとおり、取り込むには危険すぎます。下手をすれば国が傾くというのに、承服しかね……! う、うわ、わわ、わ……」
違うことを伝えたいのに、どうしたことか本心がすべて口から出てきてしまう。
今までにない経験に、ザハドは慌てて自分の口を両手で押さえた。
「そうか……まあいい。早急ではあるがこの後すぐに水晶宮に移動させ、真偽については今宵本人に直接問いただすとしよう」
そういえば、とクラウスは面白そうに目を細める。
「……侍従から、飲み物を受け取らなかったか?」
先程飲み干した果実水のことだろうか。
まさかと青ざめるザハドに、クラウスは手元の黒い小瓶を軽く振ってみせた。
「体調はどうだ? 使ってみたいと言っただろう? ……効果は今、お前をもって立証済だ」
(この怪しい薬を、飲ませたのか……!)
言ったけど……確かに言ったけれども、だが違う!
絶句するザハドへ、さらに追い打ちをかけるようにクラウスは続ける。
「この薬をあの大公女に使ったらどうなるか、興味深くはないか? 水晶宮は外部からの襲撃に備え、寝室の隣に隠し小部屋がある。声もよく通り、寝室への覗き穴もあるから、執務が終わり次第移動し朝までそこに隠れていろ」
分かったらもう出ていけ。
虫をはらうように追い出されて理解が追い付かず、半ば放心状態で自分の執務室へ向かいながら、ザハドは先程のやり取りを反芻する。
え?
今、陛下がお渡りする水晶宮に、朝まで隠れていろとおっしゃった?
ちょ、待て待て、私は朝まで何を見聞きさせられるんだ!?
先程の薬がまだ残っているのか、調子のすぐれない喉を押さえながら、課せられた夜のミッションに霞みがかった頭で思いを馳せる。
(なぜ、宰相まで上り詰めたこの私が覗かなければならないんだ……!)
明日、情報共有すればよくない!?
執務室に入るなり、ザハドは膝から崩れ落ちた。