70.そして父はいなくなった
「せ、正妃ッ!?」
まさに青天の霹靂。
突然の発表に仰天したヴァレンス公爵とザハドは、心なしか嬉しそうに見える。
だがファゴル大公は顎が外れそうなほど口をあんぐりと開け、ギギギ……と軋む身体を隣に座すミランダへ向けると、困った娘は可愛くにこりと微笑んだ。
「なお、ミランダ本人は既に了承済だ」
「んなっ!? お、おま、おおおお前ぇぇええッ!!」
両肩をガシリと掴まれ、半べそを掻きながら混乱する父に、ガクガクと身体を揺さぶられるミランダ。
面倒臭くなったのか慣れているのか、目を閉じ、嵐が過ぎ去るのをそっと待っている。
「もう本当に何なのお前は!? 反抗期なのか!? これだけ自由に好き勝手やって、何が不満だ言ってみろ!」
「何でいつも私ばっかり叱られるんですか……事の発端は自白剤。今回はお姉様も一枚噛んでいらっしゃいます。たまにはお姉様を叱ってください」
「何をふざけたことを!! アリーシェにはお前のような意味不明な爆発力は無い。さらに言うと、良識と慈愛を兼ね備えている。お前とはまったく違う!!」
「なんて失礼な……爆発力などと、お父様こそ意味の分からない事ばかり」
当然といえば当然なのだが、突如始まった親子喧嘩に呆れながら、クラウスは言葉を続けた。
「できれば憂いなく、環境を整えてから正妃として迎え入れたい。式の準備も含め一年近く要するため、一度祖国に戻り、もしファゴル大公国でやり残したことがあれば、その間に済ませておいて欲しい」
ミランダをずっと手元に置いておくつもりだと思っていたのだろうか。
その言葉に少し驚いたように、セノルヴォが片眉を上げた。
「猶予を頂き、ありがとうございます。それではその間にすべて済ませておきますね!」
息も絶え絶えな父、ファゴル大公を目の端に留めながら、ミランダは元気いっぱい嬉々として礼を述べる。
そのご機嫌な様子に一抹の不安を感じたのか、クラウスはスッと目を眇めた。
――この雰囲気は知っている。
ヴァレンス公爵とザハドが危険を察知し、必死でクラウスへ目配せをする。
「待てミランダ。何を済ませる気かは知らんが、念のため随時手紙で報告しろ」
「手紙で報告? いえいえ陛下、今後一年にわたり晴れて私は自由の身。報告する義務はございません」
何か後ろめたい事でもあるのだろうか、逆らうミランダに一触即発、ピリリと空気が張り詰める。
だがそこは年の功……緊張感漂う空気を割り裂くように、ファゴル大公が慌ててフォローに回った。
「ミランダ! お前は何ということを……謝りなさい! そして何かしでかす前に、この父にも必ず報告をしてくれ!!」
「相変わらず父様はおかしなことを。行動する前にいちいち報告が必要などと、年端もいかぬ子供じゃあるまいし」
「お前だから言っているんだ! 幼子のほうがまだ安全。同じように三人の娘を育ててきたはずなのに、なんでお前は昔からそうなんだ。毎回毎回、大国の王を巻き込んで……分かっているのか!?」
またしても始まる親子喧嘩。
楽しそうな掛け合いは、先程同様ミランダ優勢である。
「あらあら、何を仰いますやら? 自分が正しいと思ったことは死しても貫けと教えてくださったのは、他ならぬお父様ではありませんか」
「なっ、なんだと!? 言ってない! そんなこと、一言も言っていないぞ!? 正しいと思った道を進みなさいと言っただけだろうが」
「私は敬愛するお父様の教えを貫いただけです」
ああ言えばこう言う……ぐぬぬと歯噛みし、顔を真っ赤にして怒り狂う大公に、旅の疲れもあるだろうから別室で休んではどうかと提案するセノルヴォ。
すぐ父娘の掛け合いが始まってしまう為、これでは話が進まない。
「私も年頃の娘を持つ身です。お気持ち、充分にお察しします」
ふらふらと足元が覚束ないファゴル大公を案じ、付き添いながらヴァレンス公爵はそそくさと部屋を後にした。
え、置いてけぼり……?
要領よく逃げ出したヴァレンス公爵。
その背中を、ザハドは驚きに満ちた目で、どこか悲し気に見つめるのだった。







