67.そして、シェリルは――
小石を跳ね上げる音が不規則に耳へと届き、カタカタと小さく車体が揺れる。
答えを聞く前に、王太子殿下の墓前で此度の勝利を報告したいと告げられ、クラウス許可のもと、王宮から一時間程の距離を馬車で向かった。
「シェリル様、気分がすぐれない場合はすぐに仰ってください」
正面に座るジャクリーン公爵が、労わるようにシェリルへ告げる。
襲撃事件以来、馬車に乗るのはできるだけ避けていた。
一時間であればと承諾したもののやはり具合が悪くなり、少し青褪めながら窓の外へと目を向ける。
曲がりくねった細道を抜け、枝葉の間から差し込む陽光を浴びて、壮麗な建物が姿を現した。
前身である大帝国アルイーダが滅び、四大国に分裂した際、それぞれの大国にひとつずつ建てられた大聖堂。
四大国すべて同じ女神を拝するこの大聖堂は、ぐるりと囲む石畳の中心にひっそりと佇んでいる。
「何か月ぶりでしょうか……」
水晶宮に召し上げられる前は、週に一度訪れていた。
瞬く間に過ぎた時間を数え、何という目まぐるしい日々だったのかと改めて気付く。
予め人払いがされていたのだろう、誰もいない大聖堂へ足を踏み入れると、半円状のドームに音が響き、波紋のように空気を揺らした。
先んじた護衛が安全を確認し、主祭壇の脇にある階段から地下聖堂へ下りると、冴え冴えとした空気が肌を刺す。
ジャクリーン公爵とともに祈りを捧げた後、シェリルはひとつの墓標へと歩み寄った。
地下聖堂内の床に埋め込まれた墓標には、享年とリヒト・グランガルドの名が刻まれており、そっと触れると、大理石の冷たい感触が指先を凍えさせる。
無言で墓標を見つめながら、シェリルはその名を指先で辿った。
「すべて、終わりました……ですがお傍に行くのは、もう少し先になってしまいそうです」
この四年間の想いが溢れ、そのままそっと目を閉じる。
戦勝報告をしているのだろうか、ジャクリーン公爵もまた隣で黙とうを捧げていた。
「……昨日の返事をしても宜しいでしょうか」
長い静寂の中、衣擦れの音とともにゆっくりとシェリルが立ち上がり、ジャクリーン公爵へと向き直る。
一晩中眠ることなく考え、出した答えは――否。
王太子と共に並び立ち、その治世を支えるべく邁進してきたシェリルにとって、別の男性と手を携え新しい国をつくる事は、亡き婚約者への裏切りのような気がして、どうしても受け入れる事ができなかった。
「シェリル様、お待ちください。その前に渡したい物がございます」
断ろうとしたシェリルの言葉を遮り、ジャクリーン公爵は木製の小箱を手渡した。
箱を開けると、金の指輪が一つ入っている。
「これは……なぜ、指輪を?」
「シェリル様、内側を御覧ください」
地下神殿の薄明りの中、目を凝らすと内側に、シェリルの名前が刻印されている。
そしてその隣には――。
「リヒト……、グランガルド?」
国章と共に彫られた二人の名前。
この指輪が何なのか、気付いたシェリルの顔がぐしゃりと歪む。
そのまま泣き崩れたシェリルと目線を合わせるように、ジャクリーン公爵は跪いた。
「王太子殿下とシェリル様との結婚式直前の凶事……準備されていた物はすべて廃棄されました」
「わ、わたしもそのように伺っていました」
「此度の戦争が終結した後、王太子殿下にまつわる物が残されてはいないかと、ミランダ殿下が当時の膨大な公式記録を一つ一つすべて当たり、何かシェリル様の支えになればと、寝る間を惜しんで調べてくださったのです」
陛下の執務室に毎日のように入り浸り、人手が足りず、手伝いをさせられていると冗談交じりに話していた。
だがまさか忙しい合間を縫って、自分の為に時間を割いてくれていたとは知らなかった。
「この指輪はクルッセルで作られました。クルッセルの領主と職人達は、王太子殿下が命懸けでシェリル様を守った話を耳にするなり嘆願書を提出し、せめて一緒にと願い出たそうです。二人の名が彫られた男性用の指輪は、今この墓標の下で、王太子殿下の遺骨とともにあります」
新しい人生を歩む際、生き残ったシェリルの手元に指輪があっては、くびきとなるやもしれないと、シェリルには渡すことなく、クルッセルの領主館でずっと大事に保管されていたのだという。
「二人をよく知る私からお渡しするようにと、ミランダ殿下は仰いました。シェリル様……王太子殿下が王となられた暁には、その治世を共にお支えしようと話したのを覚えていらっしゃいますか?」
柔らかく告げる声は温かく、彼が身に纏う空気は穏やかで、幸せだった在りし日を思い起こさせる。
肩を小刻みに震わせ、嗚咽を漏らしながらシェリルは大きく頷いた。
忘れる訳がない。
あの頃はきっとそうなると、信じて疑わなかった。
「王太子殿下はここグランガルドにいらっしゃいます。そしてその想いは、こうしてシェリル様へと届きました」
憚ることなくポタポタと落ちる涙をその大きな手に受けながら、シェリルの両手を丸ごと包み込む。
「新たな国は、王太子殿下の愛したグランガルド……そして弟君である陛下の治世を支えるための礎となります。残されたその想いを、私とシェリル様で受け継いでいく。そのように考えては如何ですか」
「でも、でも……」
「王となる私の隣に立つのは、あのとき志を同じくし、誓い合った貴女であって欲しいと切に願っているのです」
「でも!!」
優しく告げられ、シェリルは迷うように頭を振る。
「心はそのまま、王太子殿下に残されたままで構いません。私の妻はシェリル様だけですが、夫婦としての実態が伴わずとも良いのです。陛下も常々仰っていました。子など無くとも優秀な者に後継を譲ればよいと」
「そんな……」
そういえば頑なに結婚を拒み、ザハドに当たり散らしていたと、父であるヴァレンス公爵から聞いたことがある。
困ったように眉尻を下げたシェリルに、ジャクリーン公爵は微笑んだ。
「ああそういえば、ミランダ殿下から言伝を預かっていました。新しい国で私に愛想が尽きたら、いつでもファゴル大公国に亡命してこい、と。受け入れの準備は常に整っているそうですよ」
「まぁ、またそんなことを!!」
あまりの内容――零れ出る涙とともに、クスッと笑いが漏れてしまう。
此度の戦争にせよレティーナの件にせよ、辛い事をひとりで背負うくせに、そんな素振りをひとつも見せず、いつも誰かのために忙しそうにしている。
その上シェリルが結婚の申し出を承諾する前提で、言伝までしているとは。
「ふふ、まったくもう……」
結婚の申し出は断るつもりだったのに。
絶対に幸せにするのだと断言していたミランダの姿が瞼に浮かぶ。
いつだって、彼女は本気なのだ。
「ひとつだけ、条件を付けても宜しいですか?」
畏まって告げるシェリルに向かい、ジャクリーン公爵は構わないと頷いた。
「誠心誠意、お支えすると誓います。ですが何年経っても、何十年経っても、心はずっと王太子殿下のもとにあるかもしれません。それでも本当に、宜しいのですか」
「……勿論です」
酷い事を言っていると自分でも分かっている。
だがシェリルをよく知る目の前の彼は、愛する人への想いごと受け止めて、それでもいいと、そう言ってくれた。
慈しむような優しい瞳で見つめられ、なぜだか喉が詰まったように言葉が出なくなってしまう。
何が正解かなんて、誰にも分からない。
もしかしたらあの時のように、この選択を後悔する日が来るかもしれない。
それでもきっと――、死んだように生きた日々を捨て、無我夢中で走った先にはきっと、何かがあるはずなのだ。
地下聖堂の中、壁沿いに並ぶ燭台に灯がともる。
ゆらりと揺れた橙の灯りが、煌めく雫に映り込み、瞬かせたシェリルの目からゆっくりと零れ落ちた――。







